ものかかない(前)

「ああ、その画家なら簡単だわ。ああ、うん、金額とかは調達先によるから。一週間後ぐらいにまた連絡するわ」

 男は携帯を切ると、電話ボックスから出て一つ大きく伸びをした。携帯電話があるのに電話ボックスを使うのは街の中で周りから聞こえづらいように話すのに便利だからだ。ただ、痩身とはいえ180cmはある彼には少し狭く、頭が当たらないよう気をつけなければならないのが悩みだったりもする。さて、今日はこれ以上仕事もないし、何をして時間をつぶそうか、たまには昼から飲むのも悪くないなと思った途端、スマートフォンが着信音を鳴らし、男はめんどくさそうにまた電話ボックスに入っていった。

「はい、リアルエージェンシーの佐久間です」

一瞬で嘘の会社名と名前を考えることができるのは彼の特技の一つだが、今回はちょっと社名がダサい、なんてことを考えていると、電話越しに早口な女の声が響いた。どうやら、酒はお預けらしい。


 マスターが先に誘導していてくれたのだろう、いつもの席にグレーのカーディガンを羽織ったセミロングの女性が腰掛けていた。男は「お待たせしました」と一礼してから、先ほど作ったばかりのリアルエージェンシー佐久間の名刺を手に取り渡そうとする。女はそれを制した。

「あ、名刺はいいです。どうせそれも偽名なんでしょ」

その女の言葉に、男は名刺をしまうとコートを脱ぎ、そして気を引き締め直した。これは、簡単な依頼ではないかもしれない。

 男は、偽物専門の調達屋だ。どんなものでも、偽物なら必ず調達するのだ。この仕事を何年もやっていると色々な人間に会う。それでも名刺まで偽名であることを最初から見抜いてくる相手というのはそうそうい

ない。そしてその殆どが面倒くさい要件を言ってくるものだ。きっとそういう人間は物事の本質を見抜くのがうまい人間なのだろう。得てしてそういう人は一人では解決できない変なこだわりを持っていて、それを具現化するために自分のような人間に頼んでくるのだ。お金に糸目をつけないことも多いので上客といえばそうなのだが、依頼に苦労してしまうので他の依頼をキャンセルしなければならなくなることも少なくない。あと、こういう相手はとにかく自分の望みを叶えることに意識がいっているから、あまり礼儀を気にするタイプではない。それなら、声を聞く限り30代ぐらいであろう女性なら、こっちの見た目も気にするかもしれないとスーツを着てきた必要はなかったかもしれない。相手もよく見ればカーディガンの下はデニムを履いている。そんなことを考えながら調達屋は長椅子に腰を下ろし、やってきたマスターに「いつものね」と一言頼んだ。女はロイヤルミルクティーを頼み、最近流行りのカフェとは全く違う、いかにも「喫茶店」という言葉が似合う木目調の落ち着いた内装に目をやっていた。


「いい店ですね。いつもここを使うんですか」

「ああ。場所も雰囲気もいいし、何よりここはタダなんだ」

「何かあるんですか」

「ここの家具とか、絵とかを調達してきた、その料金代わりさ」

「ああ、なるほど」

「だから、何か食べてもいいんだぜ。ここのドリアは最高だぞ」

「いや、今お腹空いてないし、いいかな」

この端の席は三方を壁に囲まれているし、調達屋が商談で使う時は店のマスターが隣の席に「予約席」の札を立ててくれるので話が聞かれることはない。そんな気の利くマスターが、ロイヤルミルクティーと、クリームをたっぷり乗せウエハースを刺したカフェオレを持ってきてくれた。秘密が漏れるのを避けるため他の店員がこの席へ来ないようにしてくれる。早速調達屋はいつものようにウエハースでホイップクリームをすくい、口へ運んだ。

「随分かわいらしいものが好きなのね」

「いいだろ。今はスイーツ男子なんてよく聞くじゃないか」

女はその声を聞いて小さく笑い、ロイヤルミルクティーを飲み、おいしいという表情を見せた。口調もくだけてきて、少し緊張がほぐれたようだ。その方がこっちもやりやすい。調達屋は本題に入ることにした。

「名前は」

「大原若葉」

「で、大原さん。俺のことはどうやって知ったの」

「ネットの掲示板で噂が出て、実際にお世話になったって人に番号聞いたのよ。その人はデート用のブランド服を用意してもらったって」

「なるほど。そんなやついっぱいいるから誰だけわからないけどな」

「冗談のつもりでかけたのに、本当に出てきて驚いたわ」

「よく言われる」

調達屋はそう言うとカップを手に取り、クリームたっぷりのカフェオレを口へ運んだ。コーヒーシュガーも入れてもらっているので、クリームと牛乳と砂糖の甘みが一丸となって全身、そして脳にしみていく。これを飲むことでいつもの調子が戻り、依頼を聞く準備ができる。脳に糖分がいいとかそういうことではなく、単にルーティンのようなものだ。

「で、何を持ってくればいいんだい」

「本当に、なんでも調達してくれるのね」

その言葉に、調達屋はもう一度カフェオレを飲み、自信を込めて言った。

「ああ、なんでも持ってきてやるぜ、偽物でいいならな」

大原は、一つ息を吐き、そして口を開いた。

「じゃあ、さ、偽物の芥川賞をちょうだい」

大原はそう言うと、恥ずかしそうに顔を伏せた。調達屋のカップをコースターに戻そうとする手が止まり、大原の顔を見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Reality ー本物の偽物の物語ー 日向日影 @hyuugahikage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ