Reality ー本物の偽物の物語ー

日向日影

その男、偽物につき

 人間は、ものごとを正確に捉えられない生き物です。

たとえば、全く同じ言葉でも、その発言した人物に対して好感を持っているかどうか、その言葉を聞いた場所の雰囲気はどうであったか、自分の体調はどうであったかによって、受け取り方というのは全然変わってしまいます。

 信じる神の名の下に正しい学説を弾圧したり、高名な研究所が発表すれば存在しない物質で大騒ぎする。それが自分に得だとわかれば嘘だってわかっていても本気で信じることさえ出来る。

 本物と偽物を見分けるというのは、それだけ大変なことのようです。

これは、そんな私たちのための物語。



 「いやあ、『次回は私の家で』と澤口君に言われた時は驚いたが、これはこれは」

男は、少しワインが回った赤ら顔で、まるで自分の威厳をアピールしようとするかのような少し演技じみた動きで窓の方を向きながら、この部屋の主人らしい澤口という男に向けて話しかけていた。中心部から少し離れたこのタワーマンションからは、最新の高層ビル街と、街のシンボルである電波塔を見下ろすことが出来る。視界の奥には郊外の自然公園や山があり、まるでこの街の全てを自分の手に収めたような感覚にとらわれるには十分な光景であった。

 「これだけの部屋に住めるということは、それだけ給料もいいということですな。それはいいことだ。優秀な社員にちゃんと対価を払う会社はいい会社。私はそう思うんですよ」

 「はい。最近はおかげさまで弊社の業績も好調でして、ありがたいことです。このマンションも、弊社の管理システムが導入されていまして、その縁もあって住んでいます」

 「なるほどなるほど。それにしても、この部屋はセンスがいい。家具も、花も、そしてその絵。私の見る限り、その絵は村木晴臣の作品でしょう。印象派を正しく継承しながらも、日本人らしい美意識が込められたその画風、まさに村木先生だ。画壇の外には名はとどろいていませんが、私も彼の絵が大好きでね」

 右手に値段の高さを強烈にアピールしてくる腕時計と指輪を見せつけるようにしながら箸休めのソルベをすくうスプーンを動かしつつ、日本でも有数の流通会社の全ての意思決定をするワンマン社長であった駒形は、去年の個展のビラに書いてあった紹介文そのままに画家を讃えていた。対面に座る澤口も同じように梨のソルベを食べながら、今日のために営業課をあげて行った調査の確かさに笑顔をこぼしそうになるのをこらえていた。まだだ、まだだ。この作戦の成功のために、一番大事なのは、これからなのだ。なんだって、確証を得るまではわからないのだ。

「私はね、何年もこの会社をやってきてね、やっぱり信頼すべき相手はセンスが合う人、何が上質かをわかってる人だと、そう確信したんですよ。もちろん、会議も大事ですけどね、実際のところは、書類やプレゼンだけじゃわからない。結局、最後は人と人がやることなんだよ。ここまでこうやってきて、会社を大きくしてきたんですからね、それはやっぱり一番大事だと思うんです」

「いや、全くです。駒形社長のお話は、いつも勉強になります。さて、そろそろメインが来るようですね」

澤口がそう言うと、出張シェフがタイミングよくキッチンから皿を持ってきた。シェフは若々しい青年の男で、今日のコースのような熟練した技術が必要とされそうなものを彼が作っているというのは驚くべきことであった。

「本日のメイン、ブレス鶏のポワレでございます」

そう言いながら皿を置いたあと、シェフは駒形に向かい深々とお辞儀した。その姿を見れば、彼が由緒正しいところで修行を積んだであろうかのような気品がありありと伝わってきた。

「おお、私はブレス鶏に目がなくてね。本当に今日は素晴らしい。日本の地鶏も悪くはないんだがね、やはり、このブレス鶏の、まるで絹のような舌触りはね、やはり素晴らしいと思うんですよ。これは、ソースは赤ワインベースかな」

きっとそれもグルメ本に書いてあったであろう感想を言いながら、満面の笑みを浮かべながら駒形はシェフに問いかける。それを澤口は下手だけはうたないでくれよと言わんばかりの不安げな表情で見ていると、シェフは上品な笑みを浮かべた。

「さすがは駒形様、よくお気づきでございます。このソースには赤ワインと鶏の肉汁、それに粒胡椒と柿を使っております」

「ほお、柿とは珍しい。しかし、柿とはまさに日本の果物。これこそ和洋折衷というものですな」

「はい。この柿の風味で、日本人によく合う味になったと思っております。お口に合えばよいのですが」

駒形はその答えに満足した様子で、フォークとナイフを取り、大きめの一切れを口へと運んだ。その間、澤口はそっと自分の方にも皿を置いたシェフに一瞥することさえなく、駒形の様子を見ていた。自分たちのような、決して官民ともにコネクションが強いわけでもなく、ずば抜けた技術や名声があるわけでもない企業には、こういうワンマン社長を味方につけるのが大口契約を取るのには一番だ。その命運が、この鶏肉にかかっている。澤口が営業の同僚やエンジニア、そして私に今回の作戦を命じた営業部長の顔を思い出しながら息を飲んでいると、駒形がゆっくりとうなづき、口を開いた。

「いやあ、これはおいしい。ブレス鶏は使いこなすのが難しい食材ですが、なんと見事にポワレされていることか。それに、このソースも、コクがありながらほのかな甘みがあってさっぱりとしている。最高のメインですね」

「ありがとうございます」

シェフが深くおじぎをするのを見て、澤口はやっと安心して皿を見た。丁寧に優しく火が通されたのが一目でわかる焼き色と、ソースの赤、付け合せの緑が、テーブルクロスの白と、そして花の紫色と見事に調和していて、それだけでこのコースが一流の仕事であることがよくわかる。よくこんなことができたものだ、と感心していると、シェフがこちらを見て一瞬微笑んだ。

「澤口くん」

「は、はい」

「君のように、上質とは何かを知っている人とはこれからも仲良くしていきたいものだね」

「え、それは、つまり」

「ああ、君の会社と流通管理システムの契約をするように指示を出しておこう。おいしいブレス鶏や、村木先生の絵が集い、ハーモニーを奏でるこの部屋のように、上質な関係でありたいものです、ぜひ、お願いしますよ」

「あ、ありがとうございます。必ず、満足のいくシステムを提供させていただきます」

そう言って深いお辞儀をしたあと、澤口はやっと鶏肉を口にした。弾力のある食感、肉汁のうまみ、ソースの甘辛さに、大きなことを成し遂げた喜びが混じり合って、全身に染み渡るようなおいしさであった。


 駒形がやってきた社用車に乗っていったのをお辞儀したまま見送ってから、澤口は上司に接待の成功とデザートを食べながら話し合って決めた契約書を交わす日時などをメールした。遠からず、大喜びの返事が送られてくるだろう。それから彼はエレベーターに乗り、また部屋と戻った。改めて窓越しに風景を見ると、彼は深くため息をついた。そこには少しの罪悪感があった。会社のためとはいえ、人を騙すのは気が乗らない。

「おお、おめでとさん」

その声に澤口は振り返ると、さきほどまで出張シェフとしてそこにいた男が、頭をバスタオルで拭きながら、得意気な笑顔を見せていた。彼の姿はシェフの時に見せていた気品にあふれた姿とは全く違うものであった。髪の毛は整髪料と黒のヘアスプレーを洗面台で洗髪して落としたようで、染めてから結構経ったであろう少しくすんだ金髪が姿を見せていた。

「さて、じゃあ時間もないし、とっとと最終確認やりますか。まったく、あのおやじ、どっかの受け売りのうんちくは多いわ食べるのは遅いわ、きっとこれから大変だなあんた」

さっきまで出張シェフだった男は、脇においてあった鞄からペンと伝票を取り出すと、すらすらと何かを書き始めた。

「こんな感じかな」

男が澤口にメモを見せる。

「あ、料理関係の代金だけは急に連絡来たってことで割増料金あるから」

「思ったより高いんですね」

「何いってんだよ、本物揃えるよりはるかに安いぜ」

男は、そう言いながら笑顔を見せた。その表情はシェフのふりをしている時にも感じられた若さに、何か言いようのない影が含まれていていた。調達という仕事をしている中で、きっと自分が想像つかないような苦労と経験をしてきたのだろうと、澤口は妙に納得していた。営業という仕事を長くしていれば、多少は人を見る目というのも養われる。

「それにしても焦ったぜ。三日前だぜ。急にそっちが呼んでいたシェフがインフルエンザになったけどシェフと料理も調達できないか、って言われた時はよ。こっちはやっと村木って画家の複製画を、彼のファンだったから真似してたって元画家志望が描いてたのを見つけたってところだったのによ」

「いや、その時は本当申し訳ありませんでした」

「こいつが空いててよかったぜ。料理となれば俺はこの天才ちゃんに頼るんだ。こいつは見た目と愛想はあれだから自分の店も持ててなくて、色々な店でヘルプやってるけど腕は超一流よ。昔は高級ホテルの副料理長まで行ったんだけど、客の対応とかホテル内の会議とかできないから料理長になれなかったぐらいでな」

男がそう言いながら台所を指差すと、台所から年のほどは50代あたりと思われる痩身で短髪の「天才ちゃん」が、食器洗い機に皿を入れながら申し訳なさそうに一礼していた。その皿を見ながら澤口は心底感心するように呟いた。

「それにしても、あの鶏も偽物なんですよね」

「ああ、市場に行って地鶏をな。地鶏とブレス鶏って全然肉質は違うけど、まああのタイプのうんちくじじいならわからんさ。あんだけファンだって言ってた画家の絵も偽物見分けられないぐらいだしな。俺に包丁ダコがないのも気づかないでよ。どうせ柿のソースの方ばかり印象に残ってるだろうよ。ああやって肉以外のところにポイントを置くのが騙すポイントなのさ。天才ちゃんがちゃんとブレス鶏っぽい感じに仕上げてくれたしな」

男はテーブルに置いてあった花を握りながら、そんな感じの調達にまつわる苦労話を続けていた。茎がぐにゃっと曲がって、造花であることが一目でわかる。

「これだって、この花が本物だったら匂いで料理どころじゃなくなるんだぜ。こんなこともわからないやつは、きっと鶏の違いなんて気づかないから、安心しろよ。何年も調達屋やってる俺が言うんだから、間違いないぜ」

澤口をそれを聞きながら、自分も花は本物だと思っていたことは内緒にしようと思った。

「でもよ、実際の花より、こういう匂いのない造花の方が使いやすい。枯れることもないしな。あんたもそう思うだろう?本物よりいい偽物なんていくらでもあるのさ」

調達屋は造花をゴミ箱へ捨てる。ちょうどそれと同じタイミングで澤口は携帯をチェックした。まだメールは来ていない。ふと、この携帯まで偽物にされていたらどうしようとバカらしいことを考えてしまっていた。

「いやー、それにしても、いい風景だねぇ。うん、気持ちいい。あんたはいいねえ、こんな部屋に住めて」

調達屋は窓を見ながら、そんな冗談を言った。

「止めてくださいよ。本物の私の家はこんなに豪華じゃないです」

「だろうなぁ。課長じゃあここは住めないよなぁ。今回家借りた相手も、旦那が常務で奥さんの実家が結構金持ちだったからなぁ。あんたの会社のシステム入ってるマンション、こことあと一つぐらいしかなかったから了承取れてよかったぜ。今頃俺が用意した温泉を楽しんでるだろうよ。あ、その温泉代もそっちの代金に入ってるからな。正式な請求書はまた後日送るからよ。さて、そろそろハウスクリーニングが来るから、あんたは仕事あるんだろ。帰りなよ。ほら、あんたも帰りなよ。今日はありがとうな、ソース、最高だったぜ。給料はまた振り込んどくから」

調達屋のその言葉に、鞄に食器や調理道具をしまい終えていた「天才ちゃん」は深々とお辞儀をし、部屋を出ていった。

「いやあ、今回はありがとうございました。大学時代の友人から『偽物なら何でも調達してくれる人がいる』って聞いたんですが、ここまで見事にやってくれるとは。おかげさまでいい方向に進みそうです」

澤口は鞄を両手で持ちながら深々とお礼をし、それからクローゼットにコートをとりにいった。

「おう。また何かあったら連絡してくれよ」

「はい。何か必要なものがありましたら」

「何でも用意してやるぜ、偽物でいいならな」

その言葉を言う調達屋は少し誇らしげであった。

「その時はこちらに電話して、高橋さんをお願いしますと言えばよろしいですか」

澤口はそう言いながら、


あなたの願い、叶えます

ウィッシュ調達事務所

主任調達者 高橋 雄伍


と書かれた白の名刺を見せた。調達屋はそれを見ながら苦笑いした。

「いや、電話番号はいいけど、その名刺は捨ててくれ。それもこっちの商品だからよ」

「え、あっ…、なるほど」

澤口はその意味に気づくと、ひどく感心したようにうなづいた。

「そう、その会社も名前も、偽物だからな」

調達屋はそう言うと、まるで親をからかった時子どものような笑みを見せた。

その刹那、澤口の携帯がファンファーレのように鳴った。

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