悪魔と天使の夢現
沙魚川 出海
悪魔と天使の夢現
夜は私の時間。
誰も彼もが私の虜となり、本能と欲望を剥き出しにした彼女達は、情けない声を上げながら果てるのだ。
この闇が夜毎に私を昏く染め上げ、陰々たる美しさをさらに深めてゆく。
夜の私は無敵、最強。
今宵の獲物はどの娘にしようか――舌舐めずりしながら、暗闇の世界を飛び回る。好みの娘を捜して次から次へ。以前より選り好みが激しくなったことは自覚しているが、この世界では誰も私に逆らえない。ならば好きなだけ吟味して何が悪い。私は『選ぶ側』の存在なのだ。
ふと、一人の娘が目に留まった。
二十歳くらいだろうか。ベージュ系のセミロングヘアに、社交性に富んでいそうな整った小さな顔。タオルケットに隠れた体つきは細いのに、女性らしく出るところは出ていて艶めかしい。
どうせ男に困ったことなんてないんだろうな。
――こいつに決めた。
喉からあられもない声を響かせて、一生忘れられないような恥辱と凌辱の世界に縛りつけてやる!
「あら? 貴女だあれ?」
小首を傾げながら、娘は甘ったるくて虫唾が走る声でそう言った。咽喉に砂糖でも詰めているのかこの娘は。だが、直に喘ぐだけで精いっぱいになるのだ。どんな可愛い声を上げてくれるのか、想像するだけでぞくぞくと全身が痺れた。
「私はエフィアルティス! 人間の娘よ――お前は今から私の奴隷となるのだ!」
びしっと人差し指を突きつけ、自慢の長髪を掻き上げる。この娘、確かになかなかの美人だが――それでも私の美貌には及ばぬ。私こそが最も美しいのだ!
「エアフィル……長いよー、わかんない」
「エフィアルティスだ! エフィアルティス様と呼ぶがよい」
ちなみに今私達がいるのは、大きな天蓋ベッドが置かれたムードのある部屋。純白の敷布に、薄暗い照明が妖しい影を落としている。私の力によって生み出されたベッドルーム――この部屋に連れ込まれた者の貞操観念は、それがどんなに高貴で上等であろうと崩壊を免れないのだ。
「えーっとお、じゃあエフィルアティス様、あたしに何の用? そのコスプレはなあに?」
「コスプレじゃない! それにエフィアルティス様だ!」
娘は物怖じすることなくベッドに座っている。その態度に余裕さえ感じられて腹が立った。
「私は悪魔。この角も翼も、全て本物だ」
恐れ入ったか――私の宣告に、しかし娘は身を乗り出して目を輝かせた。興味津々といった面持ちである。
「ええー、じゃあこの尻尾も本物なの?」
「あっ、こら触るな! 私は悪魔だぞ! もっと怖がれ!」
唇を尖らす娘に、違和感を覚えた。おかしい。この娘、私の力が効いていないのか? 今まで何人もの娘を弄んできたが、こんな経験はなかった。
「それで悪魔さん、あたしに何の用なの?」
「エフィアルティス様だと何度――フッ、まあいい。生意気な口を利けるのも今のうちだ」
私は翼を広げ、掌を娘に向けた。
「むむむ……! 感じる、感じるぞ! お前の欲望を!」
「ほえ?」
「せいぜい後悔するがいい。お前は私の奴隷と化し、凌辱の限りを尽くされるのだ。この世のあらゆる恥辱をその身に刻んでやろう――この夢魔エフィアルティス様がな!」
説明しよう!
私は夢魔――いわゆるサキュバスである。
夢魔族は人間を誘惑し、淫らな夢を喰らうのを生業とした悪魔の一族。男はインキュバス、女はサキュバスと呼ばれ、飽くなき欲望を抱く愚かな人間の夢を夜な夜ないただくのだ。
つまりここは夢の世界!
夢の中の私は無敵!
誰であろうと私には逆らえないのだ!
「むま? むまって夢魔? サキュバスのこと?」
「ほう、よく知っているな」
サキュバスという言葉がすぐ出てくるとは、なかなか博識な娘だ。だが無駄ァ! 知っているというだけでは私をここから追い出すことなど不可能!
「あれえ? でも貴女、女の子の悪魔さんだよね? サキュバスなら男のところに行くんじゃないの?」
「はんっ! なんであんな汚らわしい奴と肌を合わせねばならんのだ。私達夢魔に元々男も女もない。安心しろ、お前の淫乱な欲望通り――男となってお前を貫いてやる!」
獲物の理想の姿となり夢を喰らう。男の精液を吸い取り、女には精液を注ぎ込む――それが夢魔。
かつてインキュバスはスコットランドの貴族の娘を妊娠させ、悪魔の子を産ませたらしい。夢の中では誰もが無防備。夢の中では誰もが無抵抗。ゆえに人間は夢魔を恐れるのだ。
もっとも、女の私が男に化けても孕ませることはできないが――それならそれで、この娘に永遠に続く快楽を味わわせてやるまで!
「さあ、偉大なる我等が父――火の神ウルカヌスよ! 私に力を!」
翳した掌から娘の欲望が流れてくる。
感じる――これがこの娘の理想の男!
「サッカバス☆プリンセス――変・身ッ!」
日曜朝に放送しているキッズアニメの魔女っ娘よろしく、私は手を上げてポーズを決めた。
この甘ったるい砂糖女がどんな男に犯される願望を持っているのか、全く以て楽しみである。
さあ――来い!
「…………」
「…………」
「…………」
「……あれっ!?」
なぜか私は変身できていなかった。いつもと同じ悪魔の姿だ。背中にちょこんとついた翼、可愛らしい角に尻尾、腰まで届く魅惑的な黒髪に、膨よかな胸、露出度高めの黒いショートドレス。
悪魔の雛形、これぞデビルといった感じの服装である。
「ど、どうして……?」
愕然としていると、力強い視線がすぐ傍から送られていることに気づいた。
ベッドに腰かけた娘が、熱を帯びた瞳でこちらを見つめている。
「うふふ。これは夢の世界……。何をしても許されるのね~」
「えっ、あの……ちょっと」
「悪魔さーんっ」
強引に引っ張られ、ベッドへ雪崩れ込むようにダイブ。がっしりと体を抱きかかえられ、身動きが取れない。
「うわあっ! や、やめ……ッ――んん~!?」
唇をキスで塞がれ、服の中へと手が滑り込んでゆく。娘の舌が私の唇をなぞり、熱い吐息が顔にかかった。
「こんなに綺麗な悪魔さんが、あたしと同じベッドにいるなんて」
「いえ、あの、私、責めるのは好きだけど責められるのはあんまり……」
うっとりとした眼差しでこちらを凝視しながら、娘は夢魔顔負けの淫らな手つきで私の服を脱がし始めた。
「大丈夫ですよう。優しくしますから……ね?」
「いやあ~ッ!」
むかつく。
むかつくむかつくむかつく!
あんな小娘に体を弄ばれるとは、なんたる屈辱か。結局昨夜は「ごめんなさい、許してください……」と謝るまで一晩中責められ続け、裸のまま逃げ出すという失態を犯してしまった。
だが今夜こそ――今夜こそ、犯すのはこちらの番だ。
あの娘になぜ私の力が通じなかったかは不明だが、二度と関わらなければ問題はない。昨夜のことは記憶から抹消し、今宵はもっと可愛くて綺麗な女の子の夢に――
「――って、あれえっ!?」
「えへへ。来ちゃった」
ベッドには昨夜と同じ、あの甘ったるい声の(責めている時はもっと甘い声だった)砂糖女が顔を赤らめて座っていた。
「な、なぜ……?」
「昨日の夜のことがどうしても忘れられなくてえ……呼んじゃった、悪魔さんのこと」
血の気が引いた。
そして確信した。この娘は普通ではない。昨夜味わった見事な技もそれはそれは普通ではなかったが、もっと根本的なところでこの娘には普通ではない何かを感じる。
動揺しているうちに娘に手を引かれた。抵抗する気も失せ、すとんと腰を下ろす。妖しいベッドルームで、悪魔のコスプレをした女がリア充の娘と肩を並べている光景は、なんだか滑稽だった。
手の甲に重ねられた柔らかい掌の温もりが、私にはひどく恨めしかった。可愛い女は指先まで何一つ欠陥なくつくられていて、近くで見れば見るほど、肌で感じれば感じるほど、まやかしの私とは別次元の生物なのだと思い知らされるのだ。
私はがっくりと首を垂れて、全てを壊す一言を口にした。
「……同類?」
「ちょっと違うけど、似たようなものかなあ。夢に関係する能力――という意味では」
その答えを聞いて、私の夢想の日々は泡沫の如く消えていった。
やっぱりそうだ。
こんな変な力――私だけしか使えないわけがないじゃないか。私だけが特別なわけないじゃないか。いつかこうなると思っていた。私みたいな『選ばれる側』の人間は、彼女みたいな『選ぶ側』の人間に淘汰され続けるのだ。思えば昔からそうだ。ただ不細工に生まれただけで、虐められ、不当な扱いを受け、いつも陰に追いやられてきた。好きでこんな顔なんじゃない。好きでこんな性格なんじゃない。能力が同じ二人の女がいた場合、人は皆可愛いほうを選ぶのだ。容姿も才能のうち? 可愛くなる努力が足りない? 優れた容貌を遺そうとするのは種の本能? もういいよ。聞き飽きた。
だからせめて――
せめて夢の中だけでも、私は無敵でいたかったのに。
「ずるいよ……あんたみたいな人生勝ち組は、もう全部持ってるじゃん。それなのに、まだほしがるわけ? 悪魔の私と違って――」
貴女は天使みたいに可愛いのに。
夢の中で私は涙した。
名前も知らない女の子の隣で、偽りの顔を涙で濡らした。
彼女は優しく、甘い声で、泣かないでと言った。
そして耳元で――おかしなことを呟いた。
「予言だよ。あたしたちはそう遠くない先、運命の出逢いを果たすの。それでね、悪魔と堕天使はとーっても甘い恋をするわ。砂糖よりももっと甘くて素敵な恋を。だから悪魔さん。その日まで、あたし以外の子とエッチなことしないでね☆」
天使の言葉が遠のいてゆく。
長い長い夢から、私は覚めた。
◆
講義が終わり、ぞろぞろと学生達が帰路につく。
正門付近にはちゃらちゃらした女の子がたむろしている。
みんな、これから友達と遊んだり飲みに行ったりするのだろうか。
俯きながら独り歩く私には、関係のないことだ……。
ふと、なんだか視線を感じた。視線に温度があるのならお湯も沸かせそうな――灼熱の矢でハートを射貫くような、情熱的な視線だった。
その熱い眼差しを向ける人物は、正門の真ん中、人だかりの中心で開口一番言い放った。
「はじめまして、エフィアルティス様!」
早く自己紹介して、恥ずかしい名前を訂正しなければ、と思った。
〈了〉
悪魔と天使の夢現 沙魚川 出海 @IzumiHazekawa
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