第51話 闇に葬られた真実
事件から3日後、ベーレンドルフはダミアンの工房に足を運んだ。
「約束の品、出来上がりまであと少しです。どうぞ、中でお待ちください。刑事さん」
時刻は正午を回っていた。
結局盗まれたオートマタの行方は分からないままである。誰が何の目的でブランデンブルクの別荘から持ち出したのか。
「そういえば、誰かに付けられていると言っていたな。ダミアン」
ダミアンはコーヒーを入れながら答えた。
「えんじ色の……あれはメルセデス社の車ですね。この工房からブランデンローザまではつけて来ていました。その先はちょっと自信がないですね。どんな人物が載っていたかまではさすがに――」
ペーパーでこしたコーヒーはとても飲み安い。いつのまにかダミアンの入れるコーヒーを楽しみにしている自分に気付き、ベーレンドルフは不機嫌な気分になった。
「最初から人形が目的ということはまずないだろう。我々が盗まれたアメリア夫人のオートマタを追っていることを知っている人物は少ない。おそらく俺か、お前さんに何か用があったのかもしれないなぁ。で、この場合は、やはり俺か。今、俺の動きを知りたい輩と言うと、やはりアメリア夫人が殺された後、ベルンシュタイン卿の依頼を受けて連続殺人事件に偽装をした闇の組織が、自分たちをターゲットにしている警察の動きを偵察していたところに、偶然とんでもないものを見てしまい、興味本位で盗み出した……というのが、大筋だと俺は睨んでいる」
ダミアンは人形の頭を手に取り、ベーレンドルフに見せた。
「相変わらすごい腕だな。ダミアン」
それは夫であるベルンシュタイン卿に殺されたアメリア夫人の生首の人形であった。
「物はできあがっているのです。あとは汚しですね。盗まれたときと同じ状況に仕上げて完成です」
ブレーメン警察署の証拠品保管庫には、手足を縛られ、顔を包帯でぐるぐる巻きにされている人形が、シーツを被せて保管してある。その首はアメリア夫人ではなく、ブランデンブルク氏が経営するブティック――ブランデンローザから借りてきたマネキンである。
経営者であるブランデンブルクは顔に大きな傷を負い、また口を激しく損傷したため言葉をまともにしゃべることができなくなっていた。ブランデンブルクはすっかり焦心し、店を手放すことにしたという。
「奴は不運ではあるが、自業自得ということも言える。今回の一連の事件は、結局のところアメリア夫人とブランデンブルク氏の火遊びが原因なんだから、その代償としては、当人たちはそれなりの酬いを受けたと言えるかもしれないが、ベルンシュタイン卿は財産を失い、事件に巻き込まれたジールマンは新聞記者を止めることとなったしなぁ」
ベーレンドルフは、今朝のジールマンの言葉を思い出していた。
自分が新聞記者を続けていくのなら、やはりあの事件については書かずにいられないでしょう。仕事とはそういうものです。書くべきこと、書かなければいけないことを、書けないのだとしたら、それはもう、新聞記者ではいられないということです。今後何をするかはまだ、決めていませんが、まずはこの街を離れるつもりです。私の命はあなた方に救われました。それは感謝しています。しかし、思い出したくない記憶でもあるのです。それほど、あの日の出来事は、僕の心に闇をもたらすものでした。そんなものからは、一刻も早く遠ざかりたいのです。それでも何かお役に立てることがあるであれば、連絡をください。後で引っ越し先の住所を電報でお知らせします。それでは、お元気で。
「今朝、ブレーメン駅まで、ジールマンを見送りに行って来た。窃盗犯の逃亡を助けたとあっては、俺もいよいよ焼きが回ったな」
ベーレンドルフは今朝のジールマンの様子を話しながら煙草をふかした。
「珍しく良い事をしたもので、後悔をしているんですか。刑事さん」
ダミアンのからかいに、舌打ちをしたものの、これでよかったのだと思うベーレンドルフであった。
「何一つ謎は解明していない。お前さんの両親のこともある。今回の件は世間には知られていないが闇の世界では広く知られることとなったかもしれない」
「それは一番望んだ結果ですよ。刑事さん。僕が探しているものは明るい場所ではないのですから。闇を探すのは難しいですが、向こうから来るというのであれば、探す手間が省けるという物ですよ」
「お前なぁ」
ベーレンドルフは呆れたという表情を浮かべながらコーヒーを飲み干す。
「心配いりませんよ。僕にはあなたという強い味方がいる。カペルマン刑事もあれで結構頼りになりますし、アーノルド刑事も口は堅そうですし、この数か月は僕にとって収穫の多い日々でしたよ。刑事さん」
偶然ではあるが、ダミアンの父、ダニエル・メルツェルと接点のあるエルヴィン・ディートリヒという医師の娘と知り合うことができた。ニーナ・ディートリヒはダミアンと同じように父の秘密について危惧をしている。このことも早く解決しなければならない。
「お前さんの父親の捜査は慎重にやらなければならないだろうな。どうも、闇が深そうだ」
「コーヒーもう一杯いかがですか。刑事さん」
ダミアンは作業途中のアメリア夫人の生首人形を作業台に置いてコーヒーを入れ始めた。
「確かに、これはアメリア夫人だが、あの、盗まれたものとは、どこか違って見える」
ベーレンドルフはじっと、夫人の顔を見つめた。それはよくできた人形ではあっても、ダミアンがこれまで作ったオートマタとは異質のものに見えた。
「その違いがわかるあなたは、きっと真理にたどり着くでしょう。人がなぜ人で、人形がなぜ人形なのか」
「人は人だ。人形は人形だ。それ以上でもそれ以下でもない……いや、それ以上でもそれ以下であってはいけない、と俺は思っている」
ベーレンドルフのその言葉に何か思いついたのか、ダミアンは二杯目のコーヒーを差し出すと、引き出しから何かを取り出し、夫人の生首人形に手を加えたが、ベーレンドルフにはダミアンの死角になって、何をしたかは見ることができなかった。
「さぁ、完成です」
ダミアンがすっと、目の前から身を引いた。
「こ、これは……」
そこにはアメリア夫人の生首があった。とても人形には見えない。それはアメリア夫人の首だけの姿である。
「これが僕の仕事ですよ。刑事さん」
ダミアンは不敵に笑みを浮かべる。
「悪魔め……」
ベーレンドルフは、少しでもこの青年に気を許したことを後悔した。
ブレーメン駅から西に向かう列車の中、深く座席に腰をかけ、新聞を顔にかけて眠り込んでいるように見える男がいる。だれもその男の異変に気付いてはいない。男の持っている新聞はブレーメン新聞だった。そこには、彼が書いた記事が掲載されていた。
訃報;海王星を発見した天文学者、ヨハン・ゴットフリート・ガレ死去
ガリレイ・ガリレオがそれでも地球は回っていると説いてから250年の歳月が立とうとしている。今でこそ当たり前になった、太陽系にある惑星、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天皇星、そして一番外側の惑星である海王星が発見されたのは、1846年――今から60年以上前のことである。その偉大な功績を遺した我が国の天文学者ヨハン・ゴットフリート・ガレが7月10日98歳の長寿を全うし、この世を去った。ガレは――
その記事は、コンラート・ジールマンが書いた最後の記事となった。彼は汽車に乗った後、何者かによって背中から心臓を一突きにされ死亡していたことがあとでわかった。その知らせがベーレンドルフに知らされるのは、数日あとのことだった。そしてベーレンドルフは思い出すことになる。
ジールマンを見送った日、えんじ色のメルセデスを見たことを――
おわり
オートマタ・クロニクル めけめけ @meque_meque
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