第8話 悲しみの忘れ方2
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俺は今はフリーター……と言えば聞こえはあんまりよくないと思います。正確にはフリーターとも違いますね。ニート……ともちょっと違うと思います。ネオニートって言葉を知っていますか? ネットを使ってお金を稼いで、それで生活してる人の事を言うんです。
アフィリエイトブログを作ってる人や、音楽サイトで音楽を作っている人がいますが、俺の場合は動画でCMを作って、それでお金をもらっています。……ああ、インターネットはあまりしないから分からないんですか。そうですね……インターネットを知らないと、どういうものか説明するのが難しいかなと思います。
元々、俺も普通の家に生まれて、普通に小学校を卒業したと思う、ごくごく普通の子供だったと思います。そりゃアニメだって好きですしマンガだって好きですけど、オタクって言う程でもなかったと思います。運動は苦手ですし、絵だってそんなに得意じゃありません。勉強が特に得意だった科目もありませんでしたから、本当にごくごく普通、だったんだと思います。
特に小学生の時は人見知りする性格ではなかったと思いますけど、それが変わったのは中学生から、だったと思います。
そう言えばインターネットは分からない、と言いますけど、携帯は分かりますか? 店に電話があるから、分からない? ……それが一番だと思いますよ。
最近だったら生活するのは窮屈です。
時代は繋がりを求めてるとか言いますけど、本当にツイッターなりフェイスブックなりブログなり……どこかで情報を流してないと、遠方の知り合いからは勝手に死亡判定出されたりしますし。メールだって返信できない時はできないんです。携帯を四六時中持ってる訳じゃないんですから。俺の家は特に厳しい家でもなかったと思いますけど、ただ必要性を感じなかったと言う、それで携帯を持っている家庭ではありませんでした。携帯も小学生の時は一度も触った事がなく、中学の時も特に必要がなかったせいで、俺は入学した時も携帯を持っていませんでした。
最近だったらゲーム機持っていなかったら駄目とか、週刊誌追いかけてなかったら駄目とか、どこにでもグループに入るためには条件があるんですよ。俺は男子でしたし、女子ほどギスギスはしてませんでしたけど、気まずい事になるのはよくありました。
そんな中、俺は特にゲームにも携帯にも興味がなく、本屋で平積みされてるベストセラーに興味を持つような中学生に成長していましたから、本の話題ができる人がいないのにがっかりした記憶がありますが。
その俺にも奇跡的に友達ができました。
その友達は……渡瀬君と言います。
渡瀬君とは同じクラスだったんですけれど、俺は相川、渡瀬君はわ行と、最初の席は出席番号順ですから、一番前と一番後ろで、全く接点がなかったんですよ。掃除当番だって、席替えの時だって、一度も一緒になった事はありませんでした。彼の事を初めて認識したのは、クラスの話題についていけず、自然と図書館に通い詰めるようになった頃でした。
ゲームを持ってなかったので、ゲームでこのキャラをどうやって育てたとか、全然クリアできない戦闘をどうやってクリアしたとか、一緒に通信で共闘しようとか、ゲーム機をそもそも持ってなくって興味もない俺にとっては興味ない話題でした。だからと言って体育会系みたいに部活で汗を流してスポーツに打ち込むって言う事もなかったんですから、いわゆる草食系だったのかもしれません。
図書館の少し日焼けしてインクが焦げたような黄ばんだ匂い、本棚の隅にほんの少し残る埃の匂い、パラリパラリと本をめくる音……。図書館にも色々あるんでしょうけど、うちの学校の図書館はペストセラーが入って来るのは随分と遅かったように思いますけど、在庫はびっくりするほど豊富でしたから、読む本には困りませんでした。夏休みとかに出版社かさ冊子が配られるじゃないですか。夏に読みたい本100選とか。自分は中学に入ってから、その冊子に載っているような本を片っ端から読むようになったんです。
渡瀬君と出会ったのは、そんな100選の中で半分突破した頃、5月に入った位でしょうか。学校もゴールデンウィーク明けにテストをするぞと脅しをかけてきた頃でしたから、図書館はいつもよりも人が多くって、本を読むために来ている俺にしてみれば居心地が悪かったですね。
閲覧席も勉強に来たグループに占領されて、俺が本を読む場所がなくなっていて、本を持って途方に暮れている時。普段だったらあまり近寄らない受験生用の勉強コーナーから手招きされたんです。部活に特に入ってない俺は、三年生に知り合いなんかいる訳もなく、少し驚いてその人を見たら、灰色の髪でにこにこと笑っている男子に会いました。小学生に見間違えてもおかしくない位小さい、それが渡瀬君でした。
「やあ、君も読書?」
「うん……ええっと」
「ああ、俺は渡瀬。相川君だよね?」
「え?」
「俺、クラスで一番後ろの一番端だからさ。クラス全員の名前を覚えやすいんだよね。頭はつむじしか見えてないから、なかなか名前と顔と一致しないけどね」
「はあ……」
「でも相川君はよく覚えてたよ。きっと俺と同じ人種なんだろうなと」
勝手に受験生の勉強コーナーに陣取って、勉強ではなく堂々と大量に純文学のハードカバーを積んで読んでいる彼は、なんて神経が図太いんだろうと、中学生ながらに随分と感心しました。
「ここの席、いて怒られないの? その、先生とかから」
「ああ……大丈夫だと思うよ。中間テスト前は受験生は逆に図書館に来なくなるからさ。ほら、閲覧席、今結構うるさいじゃない?」
そう言いながら渡瀬君がちらりと奥の閲覧席を見るので俺も見てみると、人数集まると結構うるさくなるから、いつも静かに本が読めるはずの場所も、随分と騒がしくなって、とうとう先生の雷が落ちていました。その雷に思わず肩をすくめると、渡瀬君はくすくすと笑います。俺よりも随分と達観した雰囲気だな、と言うのが渡瀬君の第一印象でした。
俺は当時、読んでいたのはベストセラーばかりだったから、渡瀬君みたいな純文学は実はあんまり読んだ事がありませんでした。積んでる本は太宰治に芥川龍之介、夏目漱石と、目が滑りそうと読まず嫌いをしていた本ばかりでしたけど、渡瀬君が一冊抜いて俺に差し出してくれました。確かそれは「坊ちゃん」だったと思います。
「君も結構本読むんでしょ? 何なら一緒に読まない?」
正直俺は少し困りました。今まで、人がいる気配を感じながら読むのは朝の読書の時間位で、人の気配がある中で本を読み続けるのは苦手でした。特に今は受験生用勉強コーナーには俺と渡瀬君しかいないから、余計気まずく感じたのです。
俺はどうしたものかと困り果てていましたが、渡瀬君は俺の持っていた本を見て軽く口笛を吹きました。俺が持っていたのはミステリー物で、渡瀬君の読んでいるラインナップからはちょっと外れているかと思います。
「いいね、俺あんまりその手のジャンル読んだ事ないんだ。おすすめはあるかい?」
「ええっと……」
思えば、ゲーム機がなくっても、携帯がなくっても、こうして話が弾んだ事は生まれて初めてだったのかもしれません。俺、本当に友達が少ないですけれど、本の話題で話が弾んだのは後にも先にもこの時位でした。今はネットで読んだつもりになって本を読んだ事がない人が多いですし、残念ながら俺の知り合いにも、本を読む人はいなかったんです。
二人で図書館に通って、一緒に本を読んで互いの趣味の本を交換するようになりました。俺はミステリー物やハードボイルド物、娯楽小説一般は読んでいたので、お勧めを渡瀬君に回すようになりました。渡瀬君はとにかく純文学に造詣が深く、彼の勧めがなかったら純文学の大半は読んだ事ありませんでした。中学生で「人間失格」や「我輩は猫である」はなかなか読まないと思うんです。
渡瀬君はやたらめったら中学生らしくない雰囲気だと思ったら、俺が知っている中でもっとも知識が豊富な所でした。読んでいるのは純文学だけでなく、史実も好きだと言う事で歴史も勉強していました。本を読んでいるからと言って国語以外は成績があまりよくないのは、歴史の授業だとあまり取り上げない事……戦国時代や三国志、幕末の話なんかは好きじゃなかったら自分で勉強しないし知らない話ばかりですよね……ばかり知っていたせいでしょうね。俺も全く人の事言えませんでしたけど。
二人で図書館で話をしていると言う事は、クラスでも何かと言われるようになりました。
ある日、担任に呼び出されました。
「相川君、渡瀬君と仲いいでしょう?」
「はい」
「渡瀬君に教室に来てくれるよう言ってくれる? 渡瀬君、この所教室に来てないでしょう?」
そう言われて、初めて気が付きました。気付けば渡瀬君はクラスで見かける事はなくなっていたんです。
クラスではすっかりとグループ分けができていました。女子はグループに所属してないと死活問題なため、何かにつけてこぞってグループを作り群れたがりますが、男子は違います。男子は孤高って奴になりたがるんですけど、それを阻むのが携帯やらSNSです。それらで見張る事のできない奴は警戒されると言う事に気付いたのは、つい最近です。
渡瀬君は俺と同じく、携帯を持っていなくって、もちろんその関係でSNSにも所属してないタイプの人間ですから、いい言葉で言うなら皆で知る事、悪い言葉で言うなら監視する事ができなかったんです。おまけに俺と違って教室に顔を出している訳でもないから、ますます渡瀬君は浮いてしまいました。
俺は担任に言われた事については、随分と悩みました。だって、俺は教室に出て、電化製品がないと付き合えない連中と付き合うのに何のメリットがあるか分からなかったんですから。
ある日その日も一緒に本を読んでいて、俺は渡瀬君に初めて、その事を伝えました。
「担任がさ、君が教室に来ない事をひどく心配していたよ。来なくっていいのかい?」
あの時、俺は今でも渡瀬君がどうしてあんな顔をしたのか分かりませんでした。渡瀬君は普段だったらもっと知的な雰囲気を保って、仙人みたいに老成している……そんな彼が初めて脅えたような怒っているような、年相応の顔をしているのを見たのは、後にも先にもあの時だけな気がします。
「……嫌だ」
「渡瀬君?」
「皆違って皆いいって言ってるくせして、人と違う事をすると途端に反発してくる、あんな所に帰りたくない」
「渡瀬君?」
「相川君は俺側の人だと思っていたのにね」
そう言って悲しそうな顔をした時には、既に俺のよく知っている渡瀬君に戻っていました。
それから、図書館に行っても渡瀬君に会わなくなりました。よくよく出席簿の読み上げも聞くようになりましたが、やっぱり教室には入っておらず、彼とは音信不通になりました。
そしてある日。俺はまた担任に呼び出されました。
「……渡瀬君ね、病気が悪化しているみたいで。ごめんなさいね、私が変な事言ったばかりに……」
担任はひどく意気消沈としていました。
あとあと調べてみて分かった事ですけれど、渡瀬君が教室に入らない理由と、担任がどうにか教室に入れたがった理由、そして渡瀬君がひどく達観していた理由と言うものにはきちんと筋が通っていました。
彼は脳の病気だったんです。ストレスに極端に弱く、ストレスがある一定以上溜まったら途端に発作が起こると言う。彼のストレスの耐性では、寿命を削らない限りは長生きできないと。
だから彼はたくさん本を読み、どうにか達観した人間になってストレスを克服しようとしたのですけど、中学生って言うのは残酷な生き物です。彼が人と違うと言うのに気付いた途端にイタズラが始まっていたのです。もちろんクラスメイトも本当に軽い気持ちで、いじめにまで発展させる気はなかったんだと今なら思いますけど、彼は身体が拒否してクラスに入る事ができず、とうとう発作で学校に行く事もできなくなってしまったんです。
最後に彼にあったのは、彼がすっかりと冷たくなってからでした。親御さん曰く、彼が唯一友達と紹介してくれたのが俺で、死ぬ前に遺書を残してくれたのは、家族以外でしたら俺だけでした。
俺は渡瀬君が死んだ時、泣く事はできませんでした。葬式の日、彼にイタズラをしたクラスメイトは大勢泣いていましたけど、俺だけは泣かなかったんです。
二人で読んだ「銀河鉄道の夜」の主人公達みたいに、俺と渡瀬君は本を読んで、本の世界をあちこち旅していたんです。あの夕焼けのオレンジ色は今でもよく覚えています。
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