転生して目覚めてみれば人間が絶滅危惧種に指定されていた

@washiduka

第1話 転生して目覚めてみれば人間が絶滅危惧種に指定されていた

登場人物


ジェスト・ロンド 人間 男 32歳

 世界最強と名高い呪文使いの一人。基本的に自分さえ良ければそれで良いという性格をしている。


ロミナ・ロンティ 人間 女 14歳

 ジェストの転生者、通称エリー。数百人しか生き残っていない人間の一人として魔神の都市”アルミナ”で飼われていた少女。ジェストが覚醒し、人間最後にして最強の呪文使いとなる。決して発育がいいとは言えない体つき。精神は完全にジェストに支配されている。


”見守る者”シャーデル 魔王シャープド・アイの眷属 女 20代半ばの外見

 研究所で人間を担当する飼育係。専門は、勿論人間の飼育。研究者として真面目に人間の生態を研究している。


”統べる者”ハート・オブ・メイルストローム 魔神 十代後半の少女のような外見

 災厄の中心と呼ばれる魔神の侯爵の一人。古の戦いから三千年、現在は絶滅寸前の人類研究所の所長をしている。不出来な部下に気苦労が絶えない。



   転生して目覚めてみれば人間が絶滅危惧種に指定されていた

                                   鷲塚

   


 暗い地下室に剣戟と爆音とが響き渡る。閃光が走り、巨大な姿を浮かび上がらせる。死力を尽くして戦う英雄達。英雄達は、迷宮の奥に潜む魔神を追い詰めるが、邪悪なりとも相手は神であった。その圧倒的な力に高名な勇者達が一人、また一人倒れていく。

 世界最強のマジックユーザーと名高いジェストも、魔神の魔力を帯びた咆哮に足がすくむ。自慢の呪文は魔神の絶対魔法防御により効果を成さない。

 自分とさほど変わらない背丈の少女が冷めた目でジェストを見ていた。ストレートの黒髪が美しい少女だ。しかし、その瞳は限りなく暗い。光の届かない洞窟のような目だ。

 ジェストは、自分を縛る咆哮の魔力に抵抗しようと試みるが、一度崩れた精神バランスはそう簡単に戻らない。

 このゴミ虫め、と魔神に言われているような視線がジェストに向けられる。ジェストは歯をガチガチと鳴らすことしか出来ない。

 フン、と魔神は鼻を鳴らした。間を置かず魔神が手にする禍々しい意匠の剣が振り下ろされた。剣が一閃しジェストの首を真一文字に薙ぐ。ジェストの首に一筋の線が走り、滑るように首と胴体とが分離した。

 スッと首は転げ落ち床に転がる。分離した胴から血の噴水が吹き上げていた。

 その光景を薄ぼんやりと首だけになったジェストは認識できた。ああ、自分はこれからすぐに死ぬんだな、という実感があった。仲間達には悪いが、保険をかけてて良かったとおもった。次の人生は平温に生きよう。争いのない時代に転生できればそれに越したことはない。そうしてジェストは最後の力を振り絞り、呪文を発動させるためのコマンドワードを呟くのだ。

「transmigration」

 呪文が発動した瞬間、ジェストの頭は魔神によって木っ端微塵に踏みつぶされた。



 ジェストの意識は急激に覚醒しようとしていた。遙か高い所から自由落下する。そんな感覚だった。暗い闇の中を延々と落ちていって、目の前に灯った光が爆発するように広がる。そうして、ジェストは、ハッと目を見開いた。

 目の前に男の顔があった。自分は、ふかふかのベッドに組み伏せられていて、今にも何かありそうな雰囲気だった。興奮した男の息づかいと共に男の顔が近づいてくる。

「Ka」

 咄嗟に男に向けて呪文を唱えた。コマンドワードのみで形成される最も短い呪文だが、人間を吹き飛ばす位の威力がある。目の前に発生した衝撃波により、男は3メートル程浮き上がり、弧を描いて部屋の隅に打ち付けられた。

 咄嗟のことに、ジェストの鼓動は激しく打ち付けていた。どこか気怠い体を起こし、床で伸びている男をちらりと見た。若い男で十代後半と言ったところだろうか。

「こんな所で目覚めてしまうとは、呪文をしくじったとしか思え……」

 自分の声に途中まで言って言葉が止まる。頬に一筋の汗が伝い、膝の上にぽとりと落ちた。恐る恐るジェストは胸元を見る。状況からして薄々判ってはいたものの、産毛も見えないような肌だった。少しばかり膨らんでいる胸に手を当ててみる。とても柔らかな感触が掌から伝わってきた。

「ばかなあああああっ!」

 ジェストの悲痛な叫びが部屋中に響いた。後悔のあまり、全身が小刻みに震えている。

「く~っ、呪文ミスったか! こんな女の子に転生してしまうとはっ!」

 ジェストは、ストレートの金髪をかきむしり悪態をついた。十メートル四方の真っ白い部屋にポツンと置かれたベッド。部屋の中には他に何もない。そして一面は殆どが鏡となっている。奇妙な部屋だ、とジェストは思った。

 ジェストは気がつかなかったが部屋の鏡は全てマジックミラーなのだ。その先にもう一つ小さな部屋があった。そして、小さな部屋では、ちょっとしたパニック状態が起きていたのだ。

「なああああああぁつ! シャーデルさん、今の見ましたか!!」

 額から角を生やした若い男がジェストを指指し、口から色々なモノを飛び散らせて叫ぶ。

「に、人間の呪文使いは数千年前に我々が絶滅させたはずでは……」

 白髪交じりの、これまた立派な角を生やした男がメガネの位置を直すようにしてジェストを何度も見た。

「大昔に使われた転生の秘術。それが今になってあの子に作用した可能性はどうなの?」

 主任と呼ばれた、背中に蝙蝠の様な羽を生やした女がぶっきらぼうに答えた。

「転生……、ですか?」

 若手研究員とて魔神の眷属の端くれ、人間の呪文についてもかなりの研究を納めている。その呪文の中に世代を超えて自分の記憶と能力を残したまま生まれ変わるというものがあった事を男は思い出していた。

 その事をふまえ冷静になり考えてみると、絶滅寸前の人間を保護し何とか増やそうとしている施設はここだけなのだから、転生先は必然的にこの施設となる可能性が高いと思える。

「あ、奴がまた何か呟いてますよ……」

 若い男がまたジェストの唇を指指した。確かに二言三言何事か呟いている様に見える。

「マイク、マイク入れて!」

 シャーデルの声と同時に、年配の研究員が慌ててマイクのスイッチをオンにした。

「……hear of Noise」

 呪文の殆ど最後、コマンドワードの終わり部分だけが監視室のスピーカーから僅かに聞こえた。

 三人は息をのんだ。唱えられたのは僅かな音も察知する地獄耳の呪文だ。全員口に手を当て息を潜める。

「絶対に物音を立てるな」

 そうシャーデルの目が言っていた。互いに目を合わせ同意するよう頷く。

 一方ジェストは、僅かな物音も聞き逃すまいと精神を集中させた。現状、自分が何処にいるのかという事を把握しなければ動くに動けない。

 しかし、聞こえてくるのは部屋の隅で気を失っている男の呼吸音と空調設備が送り込んでくる排気音ぐらいだ。

「フン、この周囲には誰も居ないか……」

 ジェストは、この部屋唯一のドアに向かいドアノブを回した。金属で出来たノブは回れどもドアはピクリとも動かない。ノブには中から開けることが出来ない方式の鍵が施されている様だった。

「鍵……、ね」

 思っていたとおりドアには鍵が掛かっていたが、希代の呪文使いにとって鍵は鍵では無い。解錠の呪文は初歩の初歩なのだ。ジェストは素早く呪文を唱えていく。

「Open lock」

 直ぐに呪文は完成した。

「うおっ、解錠の呪文ですよ、主任!」

 若手の男が素っ頓狂な声を上げた。そして、直ぐに自ら犯してしまった行為に得も言われぬ表情を浮かべる。

「あ、俺、やっちゃいました……?」

 シャーデルの額に血管が浮いていた。怒りでピクピクと眉間が動き、握られた拳がわなわなと震えていた。怒鳴りつけてやりたいが気がつかれたかは判らない。シャーデル達は視線をジェストに戻し様子をうかがった。

 解錠の呪文が効力を発揮し、電子ロックを無視して機械的な鍵が重い音を立てて外れた。観察室の三人はその過程を息をのんで見守る。

 ジェストは一端ドアノブに手を掛けるがピタリと動きが止まる。若手研究者の声が聞こえていたのだ。間抜けな奴らだ、とジェストは思った。

「そー、こー、かああぁぁぁぁ」

 少女の声でジェストが唸るように呻き、ゆっくりと鏡に向かって振り向いた。そして、何事か呟きながら一歩、また一歩と近づいてくる。

「あの呪文は知らないなあ」

 スピーカーから聞こえてくる呪文の詠唱に、若い方の研究員が脳天気に呟いた。結構長い呪文の詠唱だ。シャーデルも何とか思い出そうとするが、なかなか呪文の名前が出てこない。科学が発達し呪文を殆ど使わなくなった魔神社会において人間の呪文は学問の一分野に過ぎない。学科で収めていたはずの呪文だがどうしても思い出せなかった。

「……Sword」

 ジェストの手に、青く輝く光の刀身が握られていた。極限にまで圧縮されたエネルギーが超高温かつ超高密度の剣となっているのだ。呪文をコントロールするジェストに被害を与えること無く、剣は空気を振るわせ低く唸りを上げている。

「まずい、まずい、まずいわよ!」

 呪文が発動したのを見てから、シャーデルはそれが何の呪文か思い出すことが出来た。人間の呪文使いが作り上げた最強の近接攻撃呪文だ。並の魔神なら触れた瞬間に蒸発は必至である。そして、この部屋にいる魔神は、自分を含めて全員が並の魔神であった。

 目の前にどこか歪んだ笑みを浮かべた少女が迫ってくる。そして、鏡の前に来ると手にした剣をおもむろに振り下ろした。

 剣の通り道にあった硝子が蒸発し、支えを失った箇所から崩れ落ちていった。派手な音を立ててマジックミラーが崩れ落ちガラスが粉々に砕けていく。

 ジェストが中を確認すると、白衣を着た三人の人間が驚きの表情のまま固まっていた。ジェストは相手を最初は人間だと思ったが、よく見ると頭に角があったり背中からコウモリの様な羽を持った者もいる。何処かで見たことがある風貌だった。遙か昔の記憶を掘り起こし当てはめてみて言い放つ。

「うわっ、魔神だ」

 汚いものでも見てしまったかのようにジェストが口を尖らせる。自分たちを蔑む目で見る少女にシャーデルは戦慄を覚えた。それは自分の実力でこの場を乗り切る自信が相手にあるからだ。シャーデルの心臓がビートを刻み、冷や汗が頬を伝う。

(落ち着け、シャーデル。コイツの言動から見て、我々が飼っていた少女としての記憶は持ち合わせていまい。突然襲ってくる事は無いだろう。忌々しいが転生は100%成功している。問題は、こいつが何処の誰かと言うことだ。それさえ判れば対話で何とか対処できないだろうか)

 シャーデルはそう思った。しかし、名のある呪文使いは三千年ほど前に全滅している。自分が物心つく頃には、この惑星に人間はほとんど居らず資料にも残されていない。だから、コイツがどこの誰かを判断する事がそもそも出来ない。

 シャーデルが考えを巡らせている間にガラス片をものともしないジェストが一歩、また一歩と近づいてくる。その度に足下でガラスが割れて音を立てるが、砕けたガラスが柔らかな少女の足を傷つけることは無かった。

「わあああ、いつの間にかShieldの呪文まで使ってますよ!!」

 Shieldは物理的な攻撃を防ぐ呪文だ。それがガラス片からジェストを守っていた。圧倒的な攻撃力と防御に、気が動転したのか研究員の男二人は、もう終わりだ、と半泣きで抱き合っていた。

 頼りにならない部下二人に、シャーデルは、泣き言を言ううんじゃあない、と大声で罵りたくなるのをグッと堪える。

 その間にジェストは行動を起こしていた。観察室の機器をソードで蒸発させ通れる様にし、観察室へと侵入する。小さな部屋は見たこともない機械で埋め尽くされていた。

 部屋の機械を奇妙に思いながらも、ジェストは三人の目の前で歩みを止める。魔神は人間に取って殺すべき敵である。それに加え、転生する前の自分が魔神の一人に殺されたという恨みも少なからずあった。

「ロ、ロミナ・ロンティ。は、話し合おうじゃないか!」

 シャーデルは得体の知れない呪文使いにそう言ってみた。時間稼ぎをすれば助かるかもしれない。観察室の壁に掛けられた時計を見てシャーデルは思った。

「あん、誰だよそれは」

 恐らくこの身体の事だろうとジェストは思った。転生した身体の記憶を読み取ることが出来ないのは、転生の呪文が完全に成功した訳ではない事を物語っている。だが、自分の持っていた能力を全て引き継げたのは幸運だった。その能力を最大限に発揮し、魔神に囚われているであろうこの場を乗り切らねばならない。ジェストとしても必死なのだ。

「此処は何処だ? 王国歴何年なんだ? 言わなければ殺す」

 ジェストは手にしたソードの切っ先をシャーデルの喉もとに突きつけた。この程度の魔神なら掃いて捨てるほど殺してきている。

「どっ、どどど、どうします。シャーデルさん」

 若手の魔神があたふたとシャーデルに聞いた。動揺している様で呂律が回っていない。

「こんな所で殉職なんて私は御免ですよ、妻も子も居るんですから」

 中年の研究員が眼鏡のずれをなおしながら言った。

 シャーデルは部下の二人を交互に見た。もはや頼れるのは自分だけだ。

「さあて、ここは何処で何年なんだろうなあ。判らないのか? 可愛い呪文使いさん」

 挑発する様にシャーデルは言った。あと少し、あと少しだけ時間を稼ぐ必要があった。

「ぶっ殺されてえのか、てめえら……」

 ジェストは訝しげにシャーデルを見た。先ほどまで震えていた魔神が自分を挑発してくるとはどういう事だ。実力的に相手が自分に適うとは思えない。一枚の障壁すら展開していない魔神達に何が出来るというのだ。

 抵抗されても面倒だ、とジェストは思った。土壇場になって底力を発揮するのは人間も魔神も変わらない。そうならないうちに目の前の魔神を抹殺し、外で情報を集めた方が良い様に思えてくる。

「もうお前らに用はない」

 冷たい声でジェストが言った。

「どしぇぇぇぇぇ!!」

 悲痛な叫び声を男二人が上げる。シャーデルはもう一度時計をチラリと見た。あと少しあと少しなのだが間に合わなかった。絶望感がシャーデルに襲いかかり、死への恐怖で顔がゆがむ。

 ジェストはお構いなしにソードを振り上げた。そして、手にしたソードを魔神達に振り下ろそうとしたその時、突如として観察室のドアが開いた。

「ロミナー、会いに来たよぉぉぉぉ!」

 ドアを開け放つ豪快な音と共に現れたのは十代半ば程の少女だ。ストレートの黒髪を揺らし、部屋に駆け込んでくる。突然の出来事に、ジェストはソードを振り下ろすことさえ忘れてしまっていた。

「は、ハート様あぁぁぁぁ!」

 観察室の魔神三人は同時に声を上げていた。魔界の侯爵ハート・オブ・メイルストローム。それが彼女の名前だった。彼女はこの施設の所長でもある。駆け込んできたハートは、施設の惨状とひねた表情をしている少女を見てげんなり肩を落とした。

 シャーデルは小さくガッツポーズをした。これは勝利のガッツポーズだ。生き延び、確実に相手を打ち倒すことの出来るお方が来てくれたのだ。

 ソードを握るジェストの腕が小刻みに震えていた。驚愕の表情を浮かべ、眼球がプルプル震えている。暗い洞窟の中で向けられた蔑んだ瞳が記憶からフラッシュバックされる。ジェストは左手で首筋を撫でた。わき上がる生唾をゴクリと飲み込み、振り上げたソードをハートオブメイルストロームに向けた。

「な、何故お前がここに!」

 ジェストはこの魔神の名を知らない。故にお前と呼ぶしかないのだが、それがハートには癪に障った。卑小な人間如きが自分の事をお前呼ばわりするとは思わなかったのだ。

「何故にだと? そりゃあ私はここの局長だからな」

 ハートの周囲の空気が炎のように揺らめくのをジェストは感じた。それは以前死ぬ時に感じた力よりもさらに強大になものだ。

「私の名は、ハート・オブ・メイルストロームだ。貴様にお前呼ばわりされるいわれは無いわ」

 年頃の少女の様に透き通った声だがあくまでも冷たい。

 シャーデルにはハートがかなり機嫌が悪そうに見えた。自分が可愛がっていた人間があの様なのだ。機嫌が悪くなるに決まっている。ハートの怒りから来る圧力は、一歩間違えれば自分も命を取られるのでは無いかと思うほどである。

「おい、シャーデル。これはどういうことだ?」

 突然かけられたハートからの言葉に、魔神の研究員三人の背筋が伸びる。三人とも顔が引きつっていた。

「こっこ、これはですね。恐らく転生の呪文が今になって効果を発揮して……」

 一つ間違えれば殺される。そう思うと上手く言葉が出てこない。あたふたと手をばたつかせシャーデルはどもっていた。

「狼狽えるな、馬鹿者ッ!」

 可愛い声に似合わぬ迫力のある怒声だった。ハートの叱責に研究員の三人は恐れおののき身構える。ジェストを無視して三人の前にツカツカと歩み寄った。

「この程度のトラブルを自分たちで解決できないでどうするんだ。君たちは……」

「申し訳ございません。ハート様」

 ジェストの事を無視して研究者達を叱責しているハートは先ほどと違い隙だらけだ。

(あの姿、忘れたくても忘れられねえぜ。俺たちをぶっ殺していった魔神の一人。ハート・オブ・メイルストロームとか言ったな! だがしかし、今なら殺せる。見たところ障壁は展開されていない。隙だらけの心臓にソードのひと突きで蒸発コースよ!)

 ジェストは手にしたソードをハートに投げつけた。ソードは光の筋となって一直線にハートに吸い込まれていく。部下を指導するハートはソードを避けようともしなかった。

「勝った!!」

 ジェストは勝利の雄叫びを上げた。しかし、薄皮一枚の所で剣は届いていなかったのだ。触れるか触れないか。ぎりぎりの所でソードが光の粒子となって拡散していた。

「絶対魔法防御……、か」

 ハートは苦々しく呟いたジェストにぐるんと首だけで振り返る。

「その呪文……。思い出したよ。ジエェストくうぅぅぅん」

 振り返ったままハートは残忍な笑みを浮かべた。冷たい笑みがジェストの心に突き刺さり恐怖を煽る。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。圧倒的で一方的な力により与えられる恐怖が心を押しつぶしていくのを感じたジェストは一歩、二歩と後ずさっていた。

「我々を追い詰めたつもりになって、集められた人間どものうちの一人ですよねえ」

 ドッとジェストの身体に汗が滲んだ。このままここに居てはまずい。ジェストは咄嗟に壁通過の呪文を唱える。人として裸のまま外に出るのは少々恥ずかしいがこの際だ、そんなことは言ってられない。

 呪文が効果を発揮したことを確かめることもなくジェストは壁へと走った。壁についた手を中心に波紋が発生し、軽く力を込めると染みこむように体が壁を通過していく。

「あの消え方はA-14ですかね」

「いいや、私にはA-27に見えました」

 その様子を観察していた男達がボソリと呟く。ハートはジェストが消えた壁を見据えて鼻で笑った。

「冷静に分析している場合かよ!」

 シャーデルの言葉には、ハート様の前であまり粗相ををすると命がないかもしれないぞ、という忠告も含まれている。それに気がついたのか、二人は口をつぐんで押し黙った。

 そんな研究者達に向け、ハートは一つ息を吐いて見せた。何を言われるのか、三人も身構えて直立不動だ。

「お前達に任せても仕方ない。シャーデル君は始末書の準備でもしておきたまえ。あとは私が何とかする」

 そのまま、悠然と壁に向かって歩いていく。何のお咎めも無かった。そう思った研究者の三人は胸をなで下ろす。観察室の空気が緩んだのを感じたのか、ハートは壁の前でピタリと止まり振り返った。

「まったく、最近の若者は……」

 冷たい目で三人を見てから、ハートはジェストと同じように壁の中へ消えていった。

 観察室には研究員の三人だけが残されていた。

「た、助かった……」

 男二人はヘナヘナと腰砕けて座り込んでしまう。

(人間って、恐ろしい生き物だったんだな……)

 ハートが消えた壁をじっと見てシャーデルは心の底からそう思った。



 壁をすり抜け、一直線に通路を進むと魔神の文字で非常口と書かれたドアが見えた。魔神の文字が変化していなかったは不幸中の幸いだ。おかげで迷わず外を目指せた。

 途中、布生成の呪文で作り上げた大きな一枚布をマントのように羽織る。あのドアを開ければ外だ。一旦外に出てしまえば後はどうとでもなる。

 一度振り返ってみるが後ろから追いかけてくる気配はない。ジェストは非常口のノブに手を掛けた。

「鍵、ね……」

 下らない手間を取らせる。ジェストは呪文を唱えて解錠し、勢いよくドアを開けた。

「んなあああああぁぁぁぁっ!」

 外付けの非常階段に躍り出たジェストの目の前に見渡す限りの摩天楼が広がっていた。

 ジェストは手すりから身を乗り出す様に周囲を見回す。空を行き交う自動機械、煌びやかなネオンサインと立体映像。そして、眼下には大勢の魔神達がまるで蟻のように蠢いていた。

 ジェストは呆然とその光景を眺めていた。自分の知っていた人間社会とは何だったのか、そう思わざるを得ない。文明レベルが違いすぎた。

 その場から一歩も動けなくなったジェストの後ろで突如声がした。

「残念、だったねえ。ジエェェェェストくうううぅぅん」

 ジェストは細い肩を叩かれてビクリと身をすくめた。恐る恐る振り向くと、ハートが邪悪な笑みを浮かべて立っていた。そのままジェストの横に並び、両手を大きく掲げ眼下に広がる大都市を見下ろす。

「見たまえ! この大都会を、科学を、魔神の文明社会を! 人間のそれとは比べものにならんだろう」

 確かに魔神の都市はジェストが認識できるそれとは掛け離れたものだった。ハートに対して何も言えず、ジェストは押し黙ってしまう。そんなジェストにハートは耳元で囁いた。

「君たち人類は三千年ほど前に我々が殆ど殺してしまったからね。生き残っている君たちを見つけるのに苦労したんだよ」

 ジェストは血の気が引いていくのを感じた。あれから三千年も経っていて、人類が絶滅寸前の状態になっている。人類は魔神との生存競争に負けたという訳だ。

 そして、地球を支配した魔神達はこの星で繁栄を築いている。自分がどうあがこうが魔神達に反抗するのは難しいに違いない、と言うことを認識せざるを得ない。

「転生したキミは、事実上人類最後の呪文使いだ。我々に協力してくれると嬉しいものだんだがね」

 その声には、有無を言わさぬ凄みがあった。いいえと答えた瞬間に、また首を落とされかねない迫力があった。思わずジェストは首筋を撫でていた。

「そういえばキミは首を跳ねて殺したんだったな。生首の状態になってまでも呪文を完成させたのに残念でした」

 ハートは完全に勝ち誇った笑みを浮かべていた。

「人類は絶滅寸前、この星は我々魔神のモノとなったのでした」

 ジェストの肩をぽんぽんと叩く。最初は忍び笑いを漏らしていたハートは、次第に声を上げて笑い、仕舞いには腹を抱えて笑い出した。

 自分が生き残るには、この窮地を脱出しなければならない。

(コイツは完全に油断している。一瞬の隙を突いて飛翔の呪文を唱え距離をとり、洞窟では使えなかったオレ最強の呪文をこいつらにぶっ放してやるぜ)

 奥歯を噛みしめ、ジェストは勇気を奮い起こした。青く澄んだ瞳に生気が漲る。

 古代エルフ語による高速詠唱で飛翔の呪文は一瞬で完成した。重力を遮断し、風を纏ったジェストは爆風を巻き上げ空に昇った。

「お、おおっと!」

 突如として巻き起こった突風に、腹を抱えて笑っていたハートは尻餅をついてしまう。

 何事かと見上げてみると、ジェストがあれよという間に小さな点となっていく。

「ふん、小賢しい真似をする」

 ハートはゆっくりと立ち上がった。服に付いた埃を払い、ペロリと舌なめずりをする。

「服が少々破れるが仕方ない、か」

 愚かな人間をたしなめる為の必要経費と思えば安いものだ。ハートは背中に意識を集中し千年以上も使わなかった魔神の翼を展開させた。上着を引き裂き出現したのは蝙蝠に似た巨大な翼だ。

「相手になってやる……」

 ハートは、デーモンズ・ロアという魔神の特殊魔法を使い空気抵抗と重力を遮断し、一気に空へと舞い上がった。そのスピードは、ジェストよりも数段早い。

「来やがった!!」

 ハートが自分めがけて上昇してくるのをジェストは見逃さなかった。自分よりも数段速い速度で接近してくるが、距離は十分に稼いでいる。用意した呪文を高速詠唱で唱えれば完成するに十分だ。

「いくぞあああああっ!」

 高速詠唱を開始し、さらに両腕を振るって印を切っていく。その指先から光が迸り空中に紋様が刻まれていく。

 凄まじい勢いでハートが迫ってきているが呪文の完成の方が早い。ジェストは立体的に組まれた魔法陣の中心に両手を翳しコマンドワードを唱える。

「Disintegrate」

 突き出した両腕の先端に真っ黒なエネルギーが収束していく。それは、直径5メートルほどの球となった瞬間に発射された。

「ほんの3秒ほどだがオレの勝ちだあああぁぁぁッ!」

 遠くから見れば、まるで真っ黒なレーザー光線のように見えたであろう。それほどのスピードで黒い固まりがハートに迫った。

「……Anti Magic She……」

突如として眼前に出現した黒い圧力にハートは絶対魔法防御を展開しようとした。間に合わないと思い身体を捻った瞬間、肉体の半分以上をその超高圧力に持って行かれてしまう。そして、黒い球は地上に激突すると真っ黒な大爆発を起こした。

 半球状の爆発は直径五百メートルは有ろうかという大きさで、緑色に光る稲妻を周囲に纏っている。その暗い闇の中に存在するあらゆるモノは原子分解され、霧が拡散する様に消滅していく。

 効果範囲の全てを分解しつくし、原子分解のエネルギーは中心に収束した。ビー玉ほどに小さくなったエネルギーの固まりが弾けて消える。

 後には半球状の痕跡が残されていた。むき出しの断面はまるで磨かれているかの様に光り輝いていた。

 支えを失ったビルディングが崩壊を初め、魔神達の悲鳴が一帯に響いていた。



 半分だけになったハートの体は、その場にプカリと浮いていた。最初はじわりと血がにじみ出て、すぐ吹き出すように溢れ出た。

「とっておきの原子分解だ。さすがに奴もお陀仏だろう」

 ジェストがゆっくりとハートに近づいていくと、残った半身の断面が僅かに蠢いた。

 異常を察知したジェストは、一瞬後ろに下がってしまう。その判断が致命的だった。

 躊躇わず止めの一撃を与えなければならない場面だった。そう思ったのも束の間、蠢いた断面が一瞬にして復元していた。

「あ~あ、元から破れていたけど、これじゃあね。半分ほどしか服がないなんて滑稽だわ」

 半分になった服を破り捨て、一糸まとわぬ姿となったハートが言った。それから、眼下に広がる無残な光景を見てため息をつく。

「やってくれたなあジェストくん。今の一撃で何の罪も無い一般市民が数万人死んだんじゃあないか? ひどい奴だな、キミは」

 ハートは首をゴキゴキと鳴らし、空中を歩くようにジェストに近寄っていった。それの動きに合わせてジェストも後ずさる。魔神の生命力を侮っていた。たった今、ジェストは、魔神の侯爵ともなればたとえ頭を失っていても再生できるという事を知った。

「魔神の刑法に照らし合わせてるとだな。死刑は確定としてだ。1万回死刑になってもお釣りが来るぞ。魔神の死刑執行人はしつこいからな。九千九百九十九回蘇生されてだ、繰り返し殺されるだろうなあ」

 ハートは喉の奥でクククッと笑う。

 余りに無邪気な笑顔にジェストは戦慄を覚えた。

 このまま何もしなければ確実に殺される。距離を取り、今度こそ原子分解を直撃させれば。そう思い、ジェストが用意したのは瞬間移動の呪文だ。本来、記憶に残っている場所に一瞬で移動する呪文だが、ジェストが生きていた時代から3000年も経っている。呪文をしくじって構造物の中に転送された日には一瞬でお陀仏となる。だからジェストは視認できるぎりぎりの範囲を狙って瞬間移動することにした。

 再び古代エルフ語による高速詠唱で呪文が完成し、ジェストの姿が掻き消えた。

「フン」

 ハートは鼻で笑うと、物体探知の呪文を詠唱する。これは知っている物・人等を察知し、方向と距離とを認識する事ができる。飛んでいっては先ほどの二の舞だろう。それならば、ジェストに探知されない方法で近づいた方が良い。

「再び魔神に逆らわぬよう首輪をつけておかねばな」

 眼前にかざした指先に意識を集中すると、大気中から指先へと淡く光る粒子が集合していった。それは美しい銀細工を施したチョーカーとなりハートの手に落ちる。チョーカーを握りしめ、ハートは次の呪文を唱えた。

「……Dimension Door」

 ハートは目の前に現れた光るドアを開け、その身をするりと滑り込ませる。ドアを閉じたその先には、目をひんむいて驚愕の表情を浮かべるジェストが居た。

「瞬間移動はいいアイデアだったなあ。三千年前なら逃げおおせたろうが、この惑星に最早キミの知っている場所は一つとしてないんだもんなあ」

 たっぷりと嫌味を含めた声でいたぶる様に言った。一瞬、屈辱と自分の非力さにジェストの顔が歪む。

「もう一度聞くぞ。私に協力するつもりはないか? 人間の呪文には興味があるんだ。呪文書を持っているんだろう。そいつを差し出せば命だけは助けてやるよ」

 両手を広げ、包み込む様に、やすらかさえも感じる口調でハートは言った。

「人間の呪文使いが呪文を使うためには呪文書が必要だよな。キミが呪文書無しでバンバン呪文を使うから不思議に思ってね」

「お前に……」

「なんだって、聞こえない」

「お前に差し出す呪文書なんてねえよ!」

 先祖より受け継いだ呪文書を差し出すぐらいなら戦って死んだ方がマシだ。ジェストは怒りを込めた目でハートを睨み付ける。そんなジェストをハートはせせら笑った。

「おいおい、そんな目で見ないでくれよ。ロミナ・ロンティの可愛い顔が台無しになってる」

「俺はジェストだ。ロミナじゃあない!」

「もちろんキミじゃないよ。キミの体と元の意識を合わせてロミナだ。研究室の中だが、私は特別可愛がっていたんだぞ。それをこんな面倒事にしてくれて……」

 言い終わるか否かという時にジェストは爆裂の魔法を撃とうと口を開いた。いや、開いたのだが一音節唱えることなくハートに組み付かれ、口元を覆われていた。

「呪文使いの弱点は音だ。静寂の呪文でも、こうやって口元を押さえてやってもいい。諦めるんだなあジェスト君。キミはもう終わりだ」

 その腕から逃れようとジェストは必死に藻掻くが魔神が相手ではびくともしない。観念したのか、ジェストから力が抜けていくのをハートは感じた。少々手間を掛けたが一段落だ。

「ロミナを返して貰うぞ、ジェスト君」

 ジェストの首に先ほど作り出した魔法の工芸品がくるりと回る。

「あああああああああああああッ!」

 激しい閃光がチョーカーから発し、叫びを上げてジェストは頭を抱えた。魔神が込めた強力な魔力に意識を刈り取られそうになる。

(この魔法の工芸品に抵抗しなければ終わりだ。意識を集中するんだ)

 強力な圧力がジェストの意識を圧迫していく。呼吸が自然に荒くなる。生唾が口に沸いてくるが、それを飲み込むことも出来ずだらりと流れ落ちていく。

(早く、逃げないと、私が私で無くなってしまう。なんでも良いから呪文……。あれ、何で浮かんでこないの?)

 徐々にジェストの表情が苦悶の表情から落ち着いていく。その様子を見ていたハートは、作りだした魔法の工芸品が思い通りの効力を発揮した事を確信した。

「どうしたかね、ジェスト君。逃げなくてもいいのかい?」

(逃げなきゃ、逃げなきゃ……。でも、なんで逃げるんだっけ? それに、私の名前はロミナだし。ジェストって誰だっけ? ハート様が変なこと言ってる。うん、私はロミナ。ロミナ・ロンティだよね。大都市アルミナの研究所住まいでハート様に一番可愛がられているロミナだよ!)

 チョーカーの光が収まると、ロミナの意識がはっきりと覚醒した。いつもの部屋に居たはずなのに布一枚羽織った姿で空中に浮いているのだ。

「わわわっ、う、ううう、ういてる! って、裸あぁぁぁ!」

 ロミナはマントのようになびいていた布を咄嗟に体に巻き付けた。ほっと一息吐き、そこで初めて自分の目の前に居るハートに気がついた。

「あれ、ハート様も裸でお空の上?」

 訳がわからずロミナは小首をかしげた。そんなロミナにハートはにっこりと笑顔を返す。

「なあに、気にするなロミナ。ところで、ロミナは私のこと好きかい?」

 この人は今更何を聞いているんだ、とロミナは思った。自分に向けられた笑顔には笑顔を返す。それから飛び跳ねる様にハートに抱きつく。

「だーいすき!」

 ハートは抱きついてきたロミナの頭をよしよしと撫でた。遠くで崩壊したビルディングが土煙を上げる。都市の後始末に呪文書の探索。これから忙しくなるな、とハートは思った。


  

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転生して目覚めてみれば人間が絶滅危惧種に指定されていた @washiduka

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