6-3

 ジャージのポケットの中で、何かが小刻みに震えたようだった。


 すぐに緊急連絡用に手提げから移しておいたケータイの振動ということに気づいて取り出すと、一通のメールが届いていた。


件名:余計なこと

送信:敷島哲

日付:10月30日9時46分

一つだけ余計なことを言う。脚本家は生徒会長だ。


「ありがと、敷島」


 あたしは声に出してそう言うと、ケータイをポケットにしまい直した。何より余計なことと二回も書いたあいつの面倒な優しさが、嬉しかった。


 あたしは考える。


 敷島はかなり早い段階で名取会長こそが脚本家なのだと当たりを付けていた。日曜日の喫茶店で、常日、正木先輩、清乃の三人と話すよりもずっと前――おそらく、神託の直後にあたしの話を聞いた時点でそうだとわかっていたのだと思う。


 何故わかったのだろう。あたしはあの時自分が話したことを振り返りながら、敷島の思考を辿る。


 ――いや、川原が『不思議の国のアリス』かと思ってな。


 あの時あたしは、自分のものも含めて全員が出した企画の内容を話したんだった。


 名取文香――時代劇


 正木学――刑事ドラマ


 老松常日――ウェストサイドストーリー


 仲井供緒――ゾンビもの


 山辺清乃――時をかける少女


 川原鮎――不思議の国のアリス


 続いてあたしは日曜日に敷島が常日と正木先輩、それに清乃に対して尋ねたことと、その答えを思い出す。


 ――老松がウェストサイドストーリーを案に選んだのは何か理由があるのか?


 ――小劇団用にキャストがコンパクトに編集された脚本もあるし、ミュージカル要素を削れば元ネタのロミオとジュリエットよりもずっと簡単にやれるから良いかなって思ったからなんだけど、それがどうかしたの?


 ――正木さんがメモ用紙に刑事ドラマと書いたのはどうしてですか?


 ――実はうちのお袋が刑事ドラマ好きでな。居間の本棚にDVDがわんさかあるんだよ。志が低いっちゃ低いが、脚本を作るにしても練習するにしても元ネタがあれば簡単にできるからなぁ。


 ――時をかける少女を選んだのは何か理由があったのか?


 ――もちろん好きな話だからだよ。中学生が主人公だから、衣装を用意する手間が省けるかなってのもあるけど。


 三人の企画に共通して言えることがある。


 時間も予算も限られている中で実現できる企画は何かと考え抜いた末の結論だということだ。採用された企画を提案した者が実行責任者となるというのが神託のルールである以上、当然のことだと思う。


 実を言うとあたしの企画だってそうなんだ。。ハロウィン衣装の定番となっている『不思議の国のアリス』の衣装なら手に入りやすいだろうと思ったのだ。いやまぁ、何だかんだ言って、ああいう衣装が好きというのも否定はしないけどさ。


 あたしのことは置こう。今考えるべきは明らかに実現性を度外視した企画を提案した二人のことだ。


 一人は仲井君。服装は制服をそのまま使えば良いにせよ、ゾンビ役が使用するかぶりものや特殊メイクをどうするかという問題がある。出演者も大勢必要になるし、正直、実現性に難があると言わざるをえないだろう。


 ただ、仲井君にはイカサマをする機会がない。神託ボックスを組み立てていた時は清乃が一緒にいたのだから無理。組み立て終わってからは清乃が持っていたから無理。神託が始まってからは、箱に触れる機会がまったくなかったのだからやはり無理。厳しい言い方になるけど、仲井君が実現性を度外視した企画を提案したのは、単に彼が浅はかだったからなのだろう。


 だから敷島は残る一人――名取会長こそが脚本家なのだと当たりをつけたのだろう。実際の映画ほどではないにしても、時代劇の衣装や小道具はそう簡単に用意できるものではない。


 経験豊富、百戦錬磨の名取会長がどうしてそんな実現性に難のある企画を出したのか。答えはひとつ。その企画が絶対に採用されないことを知っていたからだ。


 イカサマの方法は、清乃が指摘したとおりだろう。すなわち、常日から手渡されたメモ用紙を秘かに握りこんでおいたメモ用紙とすり替えたのだ。そうしておいて、メモ用紙に名前がないことを説明し、自ら率先して神託ボックスの中をチェックするふりをして、常日から手渡されたメモ用紙を箱に戻し、他のメモ用紙と一緒に取り出したというわけだ。


 首下が熱いような気がして、ジャージのファスナーを少し下げる。


 ここまでは良い。問題はここからだ。


 ――むしろ問題は何故そんなことをしたのかだと思うが。


 おそらくは敷島もまだ答えを出せずにいる問題。


 それをあたし一人で解明しなければならなかった。


 考えろ。考えろ。考えろ。


 名取会長がイカサマをしてまで自分の企画を通そうとした理由――。


 いや、そうじゃない。敷島が言っていたじゃないか。あの人がこうだと決めればそれに異を唱える人間はいないだろう、と。その通りだと思う。


 あの時敷島は、自分が脚本を書いたと知られたくないなら『匿名の知人に書いてもらった』とでも言えば良いだけの話だとも言った。わざわざあんな風に騒ぎを起こす必然性がないとも。


 しかし、そうではないと思う。名取会長は『至高のトリック』の作者が自分であるということを、わざわざあんな風に騒ぎを起こしてでも、隠しておきたかったのだ。


 ふいにあたしは「あっ」と声をあげた。『至高のトリック』の脚本の中に、不自然な台詞が紛れ込んでいることに今さらながら気づいたのだ。


 ――では、七月九日の午後八時半から午後十時と、七月二十三日の午後七時半から午後九時半、それに八月二日の午後五時から午後七時はどうですか。


 ――お察しのとおり、首飾り売りの仕業だと確定している事件の犯行時刻です。

 

 劇中の五十海市内では他にも殺人事件が起きているのだろうか? そんな記述はどこにもなかった。しかし、警部補はわざわざ『首飾り売りの仕業だと確定している事件』と言った。まるで物語の外で首飾り売りの仕業だと確定していない死体が存在していることを仄めかすように――。


 ――まさか、清乃はあの首飾り売りに殺されたって言うんですか?


 ――そのまさかです。山辺さんの遺体は桜ヶ池公園の奥で発見されたのですが、その首には絞められたような痕跡があり、さらにビニール紐まで巻き付けられていました。


 そういうことか!


 あたしは理解した。今、向かうべきは新聞部室なのだと。

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