6-2
昇降口で室内履きに履き替えてから、あたしは肺を空っぽにする勢いで、息を吐き出した。
脈拍が早い。あたしの中で、やっかいな予感はますます強いものになっている――にも関わらず、あたしはその正体をまったく掴めないでいた。いけない。これじゃあ常日に仕事を押しつけてサボっているのと変わらないではないか。あたしは背中を丸めると、尚も絞り出すように息を吐き続けた。
「っつはぁ!」
反動で今度は一気に肺を膨らます。そうだ、もっと酸素を!
「川原――?」
廊下から誰かの声がした。
はっと身を強張らせた拍子に、気管の具合がおかしくなったらしい。あたしは再び背中を丸めてげほげほと咳き込んだ。
「おい、川原。大丈夫か?!」
顔を上げなくてもその声を聞き違えることはない。
駆け寄って来たのは敷島哲だった。
「へい……き……のどのちょうし……おかしく……なった……だけ」
我ながら説得力のないことを言う。きっと敷島はさっきよりもずっと心配そうな表情であたしを見ているんだろう。
「水でも持ってくるか?」
「しんぱいしすぎだって……良し、もうオッケー」
あたしはそう言って、ゆっくりと身を起こした。
「今日は試合なんでしょ? 出発はまだなの?」
「もうすぐだ。なんで、部のジャージに着替えようと思ってな」
言われてみれば確かにまだ学校指定のジャージ姿だ。
「そっか。なら、あたしのことは良いから、早く行きなよ。マネージャー」
「わかってる」
ぶすっとした声でそう応じると、敷島はあたしの横を通り過ぎて、2-Bの下駄箱まで歩を進めた。
「川原」
歩を進めた後で、あたしの方を振り返らずに言った。
「何?」
「本当に大丈夫なのか?」
そう尋ねてくるんじゃないかと思っていた。敷島はそういうやつだ。
「そうだね。何せ、身長百六十九.五センチだらかね」
「お前な」
敷島のことだ。あたしが今の状況を洗いざらい話したら、きっと一緒に答えを探そうとしてしまうだろう。ひょっとしたら、そのために試合への参加を見合わせることすらしてしまうかも知れない。
敷島が隣にいてくれればどんなに心強いか。だけどそれでは駄目なんだ。
敷島の居場所はあたしの隣じゃない。もっとふさわしい場所がある。それに、あたしだって、ただ敷島に守られているだけの自分でいたいとは思わないから。
「こっちはあたしに任せて。敷島は早くサッカー部に戻るべきだよ」
「信じて良いんだな」
「うん。信じて」
重ねての返事はなかった。敷島は運動靴に履き替えると、そのままサッカー部室へと走り去っていった。
あたしは一人きりの昇降口で、バチンと自分の頬を叩いた。
相変わらずやっかいな予感の正体はわかっていない。しかし、文化祭に絡んでこの五十海東高で何か不穏な事態――事件が起きつつあることは間違いないと思う。であれば、だ――。
――気合を入れろ、川原鮎。これはお前が解決すべき事件だ。
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