4-3

 状況が呑み込めなくてぽかんとしているあたしをよそに、名取会長は『父さん』に百歳交番を訪れた理由を説明した。


「そうだったのか」


 いつも以上に早口な会長とは対照的に、西郷氏は暢気そうな声で続けた。


「この間文香から文化祭の話を聞いた時はまだ先のことだと思っていたが、もう明日なんだなぁ」


「もう、日にちくらいちゃんと覚えてといてよ」


「悪かった悪かった」


 それから西郷氏は穏やかな眼差しをあたしに向けて「文香のお友達ですかな?」と尋ねてきた。


「いえ。あっ、あたしは友達っていうか、その」


「川原鮎さん――生徒会で一緒に頑張ってくれてる仲間だよ」


 妙にテンパってしまったあたしを見て、会長が助け舟を出してくれた。


「あ、はい。川原です」


 警察関係者ならあたしの名前を知っているかもしれないとも思ったが、西郷氏は紳士然とした態度を崩すことなく「いつも娘がお世話になっています」と言って、丁寧に頭を下げたのだった。


「いえ。私の方こそお世話になりっぱなしで」


「いえいえ。我が儘な娘ですから振り回されて大変でしょう」


「いえいえいえ。会長のリーダーシップあっての生徒会ですから」


「いえいえいえいえ――」


 無限に続くかと思われたやり取りは、名取会長の咳払いによって中断を余儀なくされた。


「良いから。そういうの良いから。挨拶がすんだなら前、通して」


「何だ。もう行くのか」


「私たちは明日の準備で忙しいんです。交番で油を売ってる警部さんの相手なんかしている暇はありません」


 会長はそう言って、拗ねたようにそっぽを向いた。


 西郷氏はそんな会長を見て苦笑いを浮かべた後で、あたしの方に向き直って再び頭を下げた。


「面倒な娘ですが、よろしくお願いしますね」


 会長は黙ってあたしの手を取り、交番の外へと向かって歩き出した。


「父さん」


 交番を出て、ドアを閉め切る前に、会長は西郷氏に背を向けたままそう言った。


「うん?」


「別に来てくれたって良いんだからね。あの人たちに気を遣う必要なんてない」


「気を遣ってるつもりはない。この間も言ったように、仕事があるんだ」


「わかってます」


 会長は西郷氏に背を向けたまま、呟くように言った。


「それから、あの人たちなんて言い方はするな」


「はい……」


 会長は振り返って「気を付けます」と言った。


「文香」


「何?」


「また、お前の口から文化祭の話が聞ける日を楽しみにしているよ」


 会長は「うん」と小さくうなずいてから、外村さんにだけ丁寧な挨拶をすると、あたしとともに交番を離れた。


「妙な勘ぐりをされるのも嫌だから言ってしまおう」


 学校へと戻る道すがら、会長はそんな風に話を切り出した。もう、口調がいつもの感じに戻っていた。


「私の両親は私が中学に上がる年に離婚してね。私は母に引き取られたんだ」


「それで名字が違うんですね」


 あたしは大変でしたねとも言わずに、思ったことをそのまま口にする。事情も知らずに、同情の言葉をかけるなんて器用な真似はあたしにはできない。


「あ、いや。両親が離婚した時に名字が変わったのは確かにそうなんだが、名取姓になったのは実は中学三年生になってからなんだ。母が再婚したんだよ」


 その再婚の相手というのが清乃と会った方の父親なんだ。あたしは心の中で呟いてから、ふと正木先輩のことを思い出した。


 ――これから俺たちはどうすれば良い? さ――悪い、名取。


 神託の不正が明らかになった際、先輩はそんなことを言っていたが、今なら理由がはっきりわかる。昔から会長のことを知っている彼は、つい彼女のことを「西郷」と呼ぼうとしてしまったのだろう。


 ――俺? 帰る方向がてんで違うよ。


 会長と正木先輩は幼馴染だというのに近所に住んでいないというのも、今なら理由がはっきりわかる。両親の離婚によって――あるいは母親の再婚によって――会長は、正木家の近所ではない別の場所に引っ越したのだ。


「今でもお父さんとは会ってるんですね」


「そうだな。大体月一ペースでは会っていると思う。母と義父はあまりいい顔をしないんだが、時々は会ってやらないと、どんどん老け込んでいってしまいそうでな。今日はまさかの邂逅だったが」


「好きなんですね、お父さんのことが」


「ほっとけないってだけだよ。不器用な、不器用すぎる人だから」


「不器用すぎる?」


 思わず聞き返すと、会長は一瞬あたしから目を逸らした。


「Yシャツにアイロンかけるのがおっそろしく下手なんだ」


 これは韜晦とうかいしているということなのだろう。しかし、あたしは別段深く追求しようとも思わなかった。実の父親を前にして、獅子ではなく――ただの十八歳、ただの娘として振る舞う会長も、それはそれで魅力的だということをわかっていたから。


「さて、カワ。交番まで付き合ってくれた礼にカレーパンでもおごってやろうか」


「シマパンのですよね? なら、もう一声」


「よし、アンパンもつけてやる」


 もちろん、ただの十八歳、ただの娘ではなく――頼れる五十海東高の獅子として振る舞う会長も。

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