第4章 前/LAST SCENE

4-1

 文化祭を明日の土曜日に控えて、校内は朝から喧騒と言ってもいいくらいの活気に包まれていた。


 あちこちの教室から聞こえてくる音、音、音、声、声、声。


 テンポ良く金槌を叩く音も、勢いにまかせてビニールテープを伸ばす音も、軽快に廊下を駆けていく足音も、教室内のざわめきも、廊下からきこえてくるささやきも、時折校舎のどこかから聞こえてくる謎の叫び声も、どこか浮ついているようだった。


 そう。五十海東校では、文化祭前日をまるまる準備に充てることになっている。これまでだって放課後やロングホームルームの時間に少しずつ準備を進めてきたとはいえ、まとまった時間が取れるのは今日、この一日だけだ。どのクラスも追い込みに必死だった。


 2-Aももちろん看板と店内装飾、それに衣装の仕上げでおおわらわ。あたしはといえば、清乃ほか数人の女子とともに針仕事に取り組んでいた。


「痛って、また刺さった」


 あたしは思わず布から手を離して、顔をしかめる。


「あっちゃん、また?」


「指先穴だらけになってねーか?」


 小川おがわゆずと、村良むらら華子はなこが口々に心配そうな声をあげる。

 これでもう九回、いや十回目か。うーん、みんなに誘われて衣装製作部隊に入ったけれど、やっぱり裁縫はあまり得意じゃない。


「はい、絆創膏。あともう一枚しかないからね」


「……すいません」


 清乃にぺこりと頭を下げて、絆創膏をうやうやしく受け取る。なんかもう左手が見た目グローブみたいになっているので、情けないやら申し訳ないやら。旧友たちが「よっしゃ。三枚目かんりょうだぜ」「お、いい感じ」「ところどころ縫い目がアレだけど許して欲しいんだぜ」などと言い合っているのがキラキラと輝いてみえる。


 輝いてみえるといえば、この衣装もそうだ。


 2-Aの出展はドイツ酒場風喫茶店。企画者の意図をより正確に反映するならばドイツ南部風ということなのだそうで、配膳係の男子はレーダーホーゼン、女子はディアンドルという民族衣装を模した服装をすることになった。


 そこでちょっとした騒動があった。女子が着るディアンドルはブラウスとボディスと呼ばれる胴衣、それにスカートとその上につけるスカートから構成される衣装なのだが、クラスのエロ男子がロングホームルームの際に持ち込んだ参考資料によれば、ブラウスと胴衣の襟ぐりがとんでもなく深くえぐれているのだ。


 要するに、要するにだ。胸の北半球がたいへん見えやすいデザインなのである。当然「こんなの着れるか、アホ!」と女子からの猛反発があり、コンセプト原理主義という名のエロ男子派閥と激しい論争になった。


 クラスを二分しかねない争いはしかし、普段ならばホームルームではほとんど話に参加せず、仏というより地蔵状態になっている担任教師によって終止符が打たれた。


里見さとみ、この世で一番綺麗な人は誰かわかるか?」


「は、ええと、クレオパトラとかですか」


睦宮むつみや、お前はどうだ」


「わ、和名わな先生です」


 美人で独身で三十二歳の国語教師の名前が出て、教室はどっと沸いた。


「二人ともはずれ。着たい服を着ている人だよ」


 大畑教諭は教室が静まりかえるのを待って、言った。


「もっとおとなしいデザインのものもあるようだから、調べてみると良い」


 たったそれだけの言葉で趨勢を決定づけると、大畑さんは再び地蔵に戻ったのだった。


 そういうわけで女子の衣装はごく普通の白いブラウス、黒い胴衣、制服そのままのスカートということで落ち着いた。


 しかしまぁ、エロ男子どもに肘鉄を食わせたその後で「ちょっと地味すぎたかな」「もうちょっとかわいくできないもんかね」などと悩み始めるのが女子という生き物である。


 大畑さんの言う「もっとおとなしいデザイン」をあれこれ調べ、短い時間と少ない予算でできることを模索した結果、胴衣の前面にコルセット風の飾り紐をつけようということになったのだった。


 確かに、紐止めの布を縫い付けてエプロンと同じ緑色の飾り紐を通した胴衣は、黒一色よりもずっと魅力的だった。ま、あたしはバックヤード係で生徒会の仕事もあるから、ディアンドルを着る予定はないのだけれど。


「お、これ華子のじゃん。ちょっと当ててみ~」


「ウェストがやばい」


「……ついこの間寸法測ったばっかなのに?」


「腹筋する。今夜は夜通し腹筋する」


 楽しげかつ深刻そうに会話をするゆずと華子。二人とも文化祭当日は配膳係をやることになっているから余計に熱も入っている。羨ましいとは思わないまでも、その目の輝きには眩しさを感じてしまう。こういう衣装はあたしには絶対に似合わないだろうし、胸を強調するデザインは却下されたにせよあるにこしたことはないだろうし、そもそも別にディアンドルを着てみたいわけでもないんだし。


「いてっ」


 考え事をしすぎて、また針を指に刺してしまった。


「鮎――言ったよね」


 清乃がにっこりと笑った。


「絆創膏はもうあと一枚しかないって」


「あい……」


「適材適所で行こうか」


 にっこりと笑ったまま絆創膏を差し出すと、清乃は看板製作部隊が金槌を振るっている辺りを指さした。あたしはうなずいて、とぼとぼとそちらに向かった。


「あー、その持ち方じゃ指打つか釘が曲がるかするよ。ちょい貸して」


 男子のひとりに金槌を借りて、とととと、っと手早く木々を打ち込む。


「おお、すげ。うまいなー」


「え、何? 見てなかった。もっかいやって」


 見世物じゃないんだけどなと思いつつ、もう一度、ととととっ。


「はええ!」


「疾風ウォルフ越えたんじゃね?」


「本職? ねぇ川原さん本職?」


 なんか男子がいっぱい寄ってきた。


「本職じゃないけど部屋の本棚は自作だよ」


 おおっ、と歓声があがる。そうか。今時の男子はあんましないのかDYI。


「そしたらあたしもこっちに入るから、午前中のうちに終わらせちゃおう」


「「「へい、姉さん!」」」


 あーもう、一々盛り上がるなっての。清乃に笑われてしまう。


 そんなこんなで一時間ほど大工仕事に精を出したところで、昼休みのチャイムが鳴った。ひとまず清乃たちのところに戻ってお昼ご飯の相談でもしようと思ったところで意外な人物が2-A教室に入ってきたのに気がついた。


「カワ、頑張ってるか?」


「名取会長……」


 あたしが思わず声に出すと、クラスメートも有名人の入室に気がついてざわつきはじめる。


「明日の文化祭の件で、百歳ももとせ交番に挨拶に行こうと思うんだが、カワも一緒に来てもらえないか?」


「今からですか?」


「ああ。昼ご飯を買いに行くついでで構わない」


 どうしたものかなと思いながら、級友たちに視線を向けると、三人そろって「どうぞどうぞどうぞ」のジェスチャー。まぁ名取会長が相手なら仕方ない。


「わかりました。それじゃ、お腹も空いてきたし、早いとこ行きましょうか」

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