幕間

Criminal Side

 薬局内に一時のチャイムが鳴り響くのを聞いて、あたしはふうとため息をついた。本来なら昼休みの終わりを知らせるためのものだが、フランク薬局の場合、近所の診療所から患者がそのまま流れてくるため、大抵はこのくらいの時間まで調剤に追われることになる。


 今日は良い方だ。待合室は空だし、午後の予約分も調剤が終わっている。今から休憩に入れば三十分はゆっくりできるだろう。そう思った矢先に、自動ドアが開いた。


「いらっしゃいま……」


 がっかりした気分が悟られないように声を張り上げようとした矢先に、さらにがっかりするような事実に気づかされる。入ってきたのは数日前にアパートの前でばったり出会ったあの刑事だった。


「こんにちは、川原さん」


「困りますよ。職場まで押しかけてくるなんて」


 あたしは周囲の様子を窺いながら、彼女の側に近づく。


「申し訳ありませんね。どうしてもお話したいことがありまして。協力してはいただけませんか?」


 言葉遣いは丁寧だが、有無を言わさぬ態度である。あたしは盛大にため息をついてから「手短にお願いします」と答えることにした。


「ええ。それはもちろん」


「――お店の裏に回ってください。ここで物騒な話をしたくはありません」


「わかりました」


 あたしは白衣の襟を正すと、刑事とともに薬局を出た。


「それで、お話というのは?」


「山辺さんの司法解剖の結果が出ました」


「わざわざそんなことを伝えに?」


「はい。山辺さんが殺されたのは九月十一日の夜――七時半から九時までの一時間半とみて間違いありません。死因はやはり絞殺でしたが、凶器は首に巻き付けられていたビニール紐ではありません。細くて厚い布……そうですね、ちょうど川原さんがしてらっしゃるネクタイのようなもので絞め殺されたものとみられます」


 思わず首元に手が伸びてしまう。あの日、清乃を殺害するのに使用したネクタイはとっくに処分してあるというのに。


「やっぱり首飾り売りの仕業ってことですか」


「その見込みは高そうです――ちなみに犯行があった日の夜、川原さんはどちらにいらしたんですか?」


「え?」


「ですから、犯行当夜にどちらにいらしたのかと」


 刑事は平然と繰り返した。


「そうではなくて……清乃を殺したのは首飾り売りなんですよね?」


「おそらくは」


「だったらどうしてあたしのアリバイを調べるんですか」


「気に障ったなら申し訳ありません。ただこれは、捜査に協力してくれる方全員におききしていることなんです。型どおりの質問というやつですね」


 謝るけれど譲る気はないらしい。とすればこちらもここで突っぱねるのは得策ではないだろう。あたしは白衣のポケットから手帳を取り出し、今月のページを開く。


「あの日は確か水曜日ですよね。なら、六時半にはアパートの自分の部屋に帰っていたと思います。あとはずっと部屋に閉じこもって……あ、いや違うな。十時過ぎに一度外出しています。公共料金の納付期限が迫っているのを思い出して、近所のコンビニに」


 清乃の死体を運び出すのに車を使っている。アパートの誰かがあたしの車のエンジン音を聞いていた可能性や、あたしの車が駐車場にないのを確認した可能性がある以上、外出したこと自体は話しておいた方が良いだろう。コンビニに行って公共料金を支払ったのは事実なわけだし。


「なるほど。では、犯行のあった七時半から九時までの間はずっと自室にいたわけですね。そのことを証明してくれる人はいますか?」


「いませんよ。ずっと一人でしたから――これであたしも容疑者の仲間入りですか?」


「いえ。夜ですから、一人でいてもおかしくはありませんよ」


 刑事は安心を誘うように笑ったが、鋭い視線を向けられて安心できるはずもない。


「十時過ぎにコンビニにいたことなら、証明できるんですけどね」


「では、七月九日の午後八時半から午後十時と、七月二十三日の午後七時半から午後九時半、それに八月二日の午後五時から午後七時はどうですか」


「どうというのは」


「もちろんアリバイですよ。少し前のことになりますが、もしわかれば教えていただきたい」


「何でそんなことを――って、ひょっとして」


「お察しのとおり、首飾り売りの仕業だと確定している事件の犯行時刻です」


 よっしゃ。あたしは心の中で快哉を叫びつつ、平静を装って手帳をめくる。


「七月九日は自宅に帰っていたと思います。七月二十三日は会社の納涼会で十時近くまで駅前の居酒屋にいましたね。八月二日は……薬剤師会の会合に出席していて、終わったのがそれこそ七時ちょうどなのでアリバイ成立ですかね」


「ありがとうございます。おかげで首飾り売りの候補者がひとり減りました」


「どういたしまして」


「ところ川原さん」


「はい?」


三津田みつだ寿ひさしさんをご存じですか?」


 尋ねた時の顔のまま、表情が凍り付く。


「……友人です」


 やっとのことでそう答える。どうして刑事があの人のことを知っている?


「山辺さんとも親しい間柄だったそうですね」


「さぁ、そこまでは」


 そうか。携帯電話の着信履歴から清乃の交友関係を調べたのか。しかし、何故このタイミングであの人の名前を――?


「先ほど私は山辺さんの殺害について、首飾り売りの犯行である見込みは高いと言いました。ただ、新聞報道などによって誰もが首飾り売りの手口を知っていることを踏まえるならば、こういうことも考えられるのではないでしょうか。すなわち、山辺さんの殺害については首飾り売りではない別の人物であって、首飾り売りの犯行に見せかけただけに過ぎない、と」


 そう繋げてくるか。あたしは両手を白衣のポケットに突っ込んで、小さく息を吸い込んだ。


「面白い意見ですね」


 意見という部分に殊更力を込めてやった。


「そうだとしたら、真犯人は清乃の身近にいる人物ということになりそうですね」


「きっとそうでしょう」


「しかし、刑事さん。何か具体的な根拠と言えるようなものはあるんですか?」


 あたしがねっとりとした視線を向けると、彼女は小さく肩をすくめた。


「それがないものだから、困っているんですよ」

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