3-9

 敷島と少し話をした後で本屋を出ると、見知った顔がこっちに向かって歩いて来るのに気がついた。


 まずい、と思う間もなく向こうもあたしの存在に気がついた。


「Oh……」


 彼女――清乃は何故か完璧にネイティブな発声でそう呟くと、スマートフォンを取り出して、電光石火のフリック入力を始めた!


「ちょちょちょ」


「いやいやいや」


「待て待て待て」


「無理無理無理」


 押し問答の末に何とか清乃の誤解を解き、山辺ネットワークへの情報流出を阻止したあたしだったがその代償としてコーヒー一杯をおごらされる羽目になった。


 そんなこんなで本日三回目のスターブックス。そろそろ店員さんに顔を覚えられてしまいそうだが、気にしない。あたしは敷島に清乃を案内させて、三人分の飲み物を注文する。


 あたしと敷島がブラックで、清乃はマロンキャラメルマキアート的なやつ。正木先輩におごってもらったものをそのまま清乃にスライドしたみたいでちょっとクヤシイ。


 飲み物を受け取り、例によって例のごとく奥の席に向かうと、敷島が清乃に何かを説明しているところだった。


「なるほどね。つまり鮎は脚本家が誰なのかについて議論したくって、敷島君を呼び出したってわけか」


 おお、なかなか良い説明じゃないか。この説明なら常日や正木先輩の名前を出さなくて済むし、何よりあたしたちがいわゆるおデートをしてたんじゃないってこともわかってくれるに違いない。


「鮎もなかなかうまいこと理由を捻り出すねぇ」


 あんまりわかってくれなかったらしいけど、気にしないことにして「へい、お待ち」と、ちょっと乱暴にコーヒーカップをテーブルの上に置いた。


「――会長じゃないのん?」


 しばらくマロンキャラメルマキアートを堪能した後で、清乃は何でもなさそうな口調でそう言った。


「え」


「あ、だから、脚本家」


「……どうしてそう思うの?」


「他のメンバーには決定権がないから。神託のズルがうまくいっても、会長にダメって言われたらそれでおしまいでしょ」


 確かに最終的にあの脚本で行くって決めたのは会長だが。


「あーでも、そうか。あの会長ならダメってことにはならないだろうって、予想がつきそうなものか」


「だと思う。それに会長は不正が発覚するまで神託ボックスに直接触っていないから、無理だと思うよ」


「方法はあるでしょ」


「え?」


 再びそう言ってから、思わず敷島の方を見てしまう。


「方法はあるな」


 面倒くさそうな声が返ってきた。


「そうなの?」


「会長が脚本家だとして、正木先輩と常日がズルに関わっていないなら、全員分のメモ用紙が回収されて常日が引くところまでは問題なかったってことになるよね」


「――より正確に言うと、箱の中には正しく六枚のメモ用紙が入っていて、その中から一枚を老松が引いてきたということだな」


 清乃と敷島が交互に言う。何だか妙に息が合っているぞ。


「ズルは常日が会長にメモ用紙を手渡した後で行われたの。つまり、常日から受け取ったメモ用紙を開くように見せかけて、あらかじめ用意しておいた無記名のメモ用紙を開いて見せたというわけ」


 言われてみれば、あの時会長はメモ用紙を開く前に一度手のひらに握り混んでいる。あのタイミングですり替えることは不可能ではないだろう。しかし――。


「待って。そうだとしたら、ボックスの中には五枚しか残って……って、そうか! 不正が発覚した後、会長は自らの手で箱の中をチェックしたから、その時に常日から受け取ったメモ用紙を戻すことができたんだ!」


「そゆこと」


 清乃は軽くうなずいてから、コーヒーカップに鼻先を近づけて甘やかな匂いをくんくんと嗅いだ。


「そもそも神託って仰々しい名前はついてるけど、誰がどういう役割なのかが定まっているわけじゃないし、やり方は結構いい加減でしょ? そーゆー状況でズルするのってかえって難しいと思うんだよね。でも、会長だけは違う。あの人はメンバーの中でただ一人、神託のやり方をコントロールできる立場だった」


「そうだな。確かに生徒会長には不正をする機会があっただろう」


 敷島も清乃に賛同したが、賛同しただけには留まらなかった。


「しかし、それでも会長が脚本家である蓋然性は低いと思う」


「ほうほう。どうしてどうして?」


。さっき山辺は生徒会長だけが神託のやり方をコントロールできる立場だったと言ったようだが、そもそも脚本を決めるのだって、あの人がこうだと決めればそれに異を唱える人間はいないだろう? 自分が脚本を書いたと知られたくないなら『匿名の知人に書いてもらった』とでも言えば良いだけの話だ。わざわざあんな風に騒ぎを起こす必然性がない」


 敷島は今朝方あたしにしたのとほとんど同じ内容の説明を清乃にした。


 それでおや、と思ったことがあった。


 する必要のないイカサマというのは会長だけでなく、他のメンバーにとってもそうだったはずだ。なのに常日が正木先輩への疑いを口にしたとき、正木先輩が常日への疑いを口にしたとき、敷島はそれぞれまったく別の否定材料をあげてみせた。


 ひょっとして敷島は名取会長こそが脚本家だと半ば確信しているのだろうか。その上で、何故する必要のないイカサマをしたのかについて考え続けているのではないだろうか。


 あたしは敷島の横顔をそっとうかがう。いつもと同じ凶悪なまでの無表情からは、今ひとつ感情が読み取れなかった。


「うーん、言われてみればそうだねぇ」


「山辺は脚本に不満があるのか?」


「ううん。読んですぐはちょっと気になったこともあったけど、今はぜーんぜん。本番で鮎に殺されるのがめっちゃ楽しみだよ」


 周りがぎょっとするからいきなり物騒なことを言うのはやめて欲しい。


「そうか。なら、犯人探しはナシで良いんじゃないか? きっと、文化祭が終わったら名乗り出てくるさ」


「そっかー。ま、敷島君がそう言うならそれで」


 清乃の返事に敷島は満足そうにうなずいた。


 それでわかったことがあった。


 敷島は脚本家の正体が誰かを推理する振りをしていただけなのだと。常日に対しては正木先輩への疑惑を薄めることを言い、正木先輩に対しては常日への疑惑を薄めることを言う。そして、清乃に対してはもっとはっきりと犯人探しはなしにしようと提案する。神託の不正によって生徒会にうっすらと残ってしまったしこりをひとまず取り去るというのが、今日の敷島の行動原理だったわけだ。


 色々考えているんだな、と思う反面そういうことはあらかじめこっちにも話しておけよな、と文句のひとつも言いたくなる。すでに雑談モードに入った清乃に対してまぁまぁ小粋な受け答えをしているのを見ているなおさらそう思う。


「まー私としては鮎に芳山和子を演じてもらいたいというのもあったんだけどねぇ」


 と言うからには筒井康隆の原作版かな。てっきりアニメの方だと思っていた。


「ちなみに時をかける少女を選んだのは何か理由があったのか?」


「もちろん好きな話だからだよ。中学生が主人公だから、衣装を用意する手間が省けるかなってのもあるけど」


「しかし中学生と言うにはちょっと身長的に無理がないか?」


 今すぐそこに正座しろ。十露盤石を持ってきてやる、と思ったのもつかの間――あたしは重要なことに気がついて、冷や汗を流す。


 コーヒーには含まれるカフェインは、腎臓の血液ろ過機能を促進する効能がある。平たく言えば利尿作用である。そしてあたしは午前中だけで三杯ものコーヒーを飲んでおり、その間ただの一度もトイレに行っていないのである。


「敷島、ごめん。ちょっと通して」


「何だトイレか」


 デリカシーのない発言に対し「そうだよ!」と怒鳴り返して、あたしは花畑へとダッシュする。


 ……花摘み中。


 重荷から解き放たれたあたしが、軽い足取りでテーブルに戻ってくると、清乃がガシッとあたしの肩を捕まえて、身をかがめるよう目線で合図する。


(どうしたの、清乃)


(シッ、声が大きい)


 敷島もいつの間にか、壁際のあたしが座っていた椅子に座り、目立たないように身体を小さくしている。


(はす向かいの席なんだけど……見える?)


 清乃がテーブルの上にコンパクトミラーを置いて、ちらちらと角度を調整する。


(あ、名取会長じゃん)


 鏡に写っているのは紛れもなく我らが生徒会長・名取文香の横顔だった。


(正面におじさんが座ってるでしょ?)


 うーん。ミラー越しだからあまりよくわからない。ちょっと直接見てみよう。


(あっ、こら)


 年格好は五十代くらいだろうか。どきりとするほど真っ白な髪はしかし、鋭角的な顔立ちによく似合っている。着ているスーツにはシワが目立っていたが、不思議とだらしない感じはしなかった。そのおじさん、コーヒーを飲みながら実に楽しそうに笑っている。名取会長もいつになく幼い笑顔を見せて、熱心になにごとか話していた。


(お父さんかな?)


(それが……前に会長のおうちにお邪魔したことがあるんだけど、違う人が出てきたんだよね。『文香の父です』って言って)

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