3-7

 おそらくは常日もそうだったように、正木先輩も自分の心のうちに生じた疑惑について検証し、できることなら否定したいと考えて、今日の話し合いに臨んだようだった。敷島が重ねてその見込みが薄いことを告げると、ふっと肩の力を抜いて、安堵の表情を覗かせたものだった。


「しかし意外ですね」


 スコーンの包装を剥がしながらそう言ったのは敷島だった。


「意外って何がだ?」


「正木さんはあまり犯人探しに興味を持つタイプだとは思ってなかったので」


「俺は文化祭を成功させたいと思っている――名取文香の文化祭を」


 敷島は微かに首を傾けると、スコーンをお皿の上に置いた。バニラオイルの甘い香りがふわりと漂ってくる。


「特に一鯨への参加について、並々ならぬ思いがあるようだ。だったらその思いに水を差すようなことはあって欲しくない。そう考えるうちについつい犯人探しの泥沼にはまってしまったんだ。そのスコーン、いい匂いだな」


「ちぎるんで、正木さんも食べてくださいよ」


「悪いな」


「ありがと」


 敷島は一瞬むすっとした表情であたしを見た後で、スコーンを三つに分けてくれた。わーい、ありがとう。


「七度尋ねて人を疑え、ってのは失せものの話だが、軽々に人を疑うなという教訓でもある。まして、可愛い後輩を疑うなんて、ろくでもないな」


「ひゃふほんかがふぃんたくでズルしたのはまふぃがいないですしふぉこまでふぃふぃんをふぇめなくっても」


「食うか喋るかどっちかにしろ」


 あたしと敷島のやり取りにおかしみを感じたのだろう。正木先輩の笑みが屈託のないものに変わる。


「ま、いずれにしても犯人探しは俺のキャラクターには合わん。これくらいでやめにしておこうと思う。二人ともありがとう。おかげで頭の中のもやもやが晴れた」


 それから正木先輩は実においしそうにスコーンにかじりついた。


「――ひとつだけ、聞いても良いですか?」


 正木先輩が食べ終わるのを待って、敷島が言った。


「何でも聞いてくれ」


「正木さんがメモ用紙に刑事ドラマと書いたのはどうしてですか?」


「ああ、そんなことか。実はうちのお袋が刑事ドラマ好きでな。居間の本棚にDVDがわんさかあるんだよ。志が低いっちゃ低いが、脚本を作るにしても練習するにしても元ネタがあれば簡単にできるからなぁ」


「なるほど。ありがとうございます」


 それからしばらく世間話をした後、正木先輩は午後からお寺の庭掃除があるとかで、先に喫茶店を出た。別れしな「今日のことはできれば老松さんには内緒で頼む。いくら老松さんでも俺に疑われたとなれば傷つくだろうしな」と言い残していったのはいかにも正木先輩らしいけど、ちょっと残酷だと思ってしまった。きっと彼は常日のことを可愛い後輩の一人としか見ていない――。


「ねぇ敷島」


 あたしは空っぽのコーヒーカップを見つめながら、隣で脚本を読んでいるパートナーに声を掛けた。


「うん?」


「さっきの正木先輩の推理なんだけどさ」


「うん」


 パートナーは脚本を机の上にばさりと置き、ゆっくりと顔をことらに向けた。


ことについてはどう思った?」


「別にどうも思わないさ。あの人にとっては、自分が脚本家でないということは自明のことだってだけのことだろう? むしろ――」


「むしろ?」


 あたしが聞き返すと、敷島はしばらく考えてから「いや、やめておこう」と言ってかぶりを振った。


「何、気になるじゃん」


「大した話じゃないんだ。それよりも脚本のことでちょっと川原に聞いてみたいことがあるんだが、良いか?」


 あたしとしては大したことない話の方が気になるのだけど、敷島の性格的に、今聞いても教えてはくれないだろう。


「はいはい。なんでしょう」


「まだじっくり読んだわけでもないのにこんなことを聞くのもおかしいかも知れないが、一体全体どうしてこいつが『至高のトリック』なんだ?」

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