3-4

 常日は神託の真相を知りたかったのではなく、正木先輩が脚本家なのかどうかを検証したかったようだ。敷島の推理によってその見込みが薄いということがわかると、それ以上のことは求めてこなかった。


 もしかしたら――常日は正木先輩が脚本家であって欲しくないと思っていたのではないだろうか。


 普段から正木先輩に対しては何かと攻撃的な常日だが、心底軽蔑しているわけではないと思う。むしろ彼の個性と能力に一目置いているからこそ、余計に欠点が目についてしまうのだろう。


 とは言え、もし本当に神託で不正を行っていたなら、立場上糾弾せざるをえない。それで、悩んだ末にあたしに相談を持ちかけたのかも知れない。


 まるで恋する乙女みたいじゃないかと思ってから、心の中で常日に謝る。実際にそうだったとしても、そうでなかったにしても、あたしのような部外者が勝手に妄想をたくましくすべきでないと思い直したのだ。


「――最後にひとつだけ、聞いても良いか?」


 別れ際、喫茶店の駐車場で敷島は常日にそう切り出した。


「私に答えられることなら」


「老松がウェストサイドストーリーを案に選んだのは何か理由があるのか?」


「それは私にしか答えられないことだね」


 自分の言い回しにおかしみを感じたのか、常日は少し顔をほころばせた。


「小劇団用にキャストがコンパクトに編集された脚本もあるし、ミュージカル要素を削れば元ネタのロミオとジュリエットよりもずっと簡単にやれるから良いかなって思ったからなんだけど、それがどうかしたの?」


「いや、ちょっと気になっただけだ。悪かったな、引き留めて」


「ううん。今日はありがとう。敷島君と話ができて良かったよ。ついでに鮎も」


 またそのオチかよ。確かに神託の議論ではほとんど役に立たなかったけどさぁ。


「これからどうしよっか?」


 常日がいなくなると、あたしはんー、と背筋を伸ばしながら敷島に尋ねた。


「まだ結構時間があるな。とりあえず公園に戻ろう」


「うーい」


 敷地を出て、交差点に差し掛かったところで信号機に行く手を阻まれる。立ち止まると急に隣の敷島を意識していまうのは何故なんだろう。歩いている時や、喫茶店で話し込んでいる時は少しも気にならないのに。


「晴れたな」


「お、おう」


 なんだ自分。なんなんだその返事は、


「しばらく晴れ間が続くって天気予報おねえさんが言ってた」


「文化祭の翌日まで続けば良いんだがな」


「まだ大分日があるじゃん」


 そう言ってから、ふと敷島が妙なことを言ったことに気が付いた。


「文化祭翌日まで? 何で当日じゃないの?」


「そっちは片付があるだろ」


 言われて思い出す。そうだった。五十海東高では文化祭の翌日の日曜日に全校生徒が登校して校内清掃をやることになっていたんだった。


「そっちはって、まるで敷島は出ないみたいじゃん」


「出ないんだよ。県予選と重なってな」


「何それずるい」


「ちゃんと学校の許可は取ってあるっての。ほら、青信号だぞ。行くぞ」


 選手権大会の県予選なら当然のこと学校公認だろうに、清掃に参加しないことを負い目に感じてしまう男は、殊更ぶっきらぼうな声でそう言うと、一足先に横断歩道を渡り出した。


「そうだ敷島」


 横断歩道の反対側で追いついて、あたしは言う。


「敷島はウェストサイドストーリーを観たことがあるの?」


「中学時代の友人にやたら映画好きなやつがいてな。そいつに押し付けられたDVDの中にリマスター版があってな。川原はどうだ?」


「実は観たことなくって。ええと、ロケット団と邪悪団が争っていることくらいしか」


「ジェット団とシャーク団だな」


 ぐふうと声にならない声を漏らすと、敷島は苦笑しながらあらすじを説明してくれた。


 移民の街ウェストサイドで、ポーランド系移民の非行グループ・ジェット団と、プエルトリコ系移民の非行グループ・シャーク団はなわばりを巡って激しく衝突していたこと。そんな中、二人の男女――トニーとマリアが恋に落ちたこと。トニーはジェット団のリーダーの親友で、マリアはシャーク団のリーダーの妹だったこと。マリアの願いを聞き入れてトニーがリーダーたちの決闘を阻止しようとしたこと……。


 あらすじを聞いていると、原典とは結構違うところが多いように思える。それでいて、ロミジュリの翻案であることは誰にでもわかるということに素直に関心する。ひととおり説明を聞いた後であたしがそんなような感想を告げると、敷島は少し考え込んでから「映画マニアの友人によると、五十年代アメリカの社会問題に切り込むための翻案なのだそうだが、俺にはよくわからない」と応じた。何だかちょっと引っかかる言い方。


「ひょっとして面白くないの?」


「いや、面白いか面白くないかで言えばとても面白かった。ただ――」


「ただ?」


「不幸な結末ってのは、嫌いなんだよ。例えフィクションであっても」


 あたしは敷島の顔を見ていられなくって、思わず視線を反らしてしまう。


 かっこつけじゃなくて本心から言っていることはわかってる。


 単に自分の嗜好を言っているだけで、悲劇を否定しているのではないこともわかっている。


 だけどあたしはどうしてもまっすぐな敷島のことをまっすぐに見返すことができず、心の中でだけ呟いてしまうのだ。


 ――不幸な結末になることがわかっていても、止めようのないことだってある。

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