3-2
じゃれてくるさび柄さんに別れを告げて喫茶店に向かうと、常日が外で待っていた。花柄の赤いワンピに暖かそうなコーデュロイのジャケット。おさげ髪もいつもと違って、右サイドに寄せている。コンタクトレンズをはめているのか、トレードマークの銀縁眼鏡も今日は掛けていなかった。
「おーす、常日。お待たせ」
「おはよう、鮎。折角の休みなのに悪いね」
「謝らない謝らない。あたしも神託の件、気になってはいたんだ」
「そう? でも、助かったよ」
お堅い印象を持たれやすい常日だけど、私服だとずっとイメージが柔らかくなる。と言うか、可愛い。どこでどうすればこういう着こなしを身につけることができるんだろう。あたしの場合はボトムスの選択肢がジーンズ一択な時点でどうにもならないのかも知れないけども。
「敷島君も今日は来てくれてありがとう」
「期待に沿えるかはわからない」
そう言って敷島は、店先に置かれた黒板に視線を向けた。照れ隠しのつもりなのかも知れない。
「しまった。星雲堂のレシートを持って来なかった」
あたしがふと思い出して言った。この喫茶店は近所にある本屋の直営店で、買った本のレシートを見せると全品五十円引きになるという素敵なサービスがあるのだ。
「今日は私が払うから」
「悪いよ」
「それくらいはさせて。頼んだのはこっちだもの」
常日が短く言って、喫茶店の扉を開けた。
小洒落た注文カウンターの向こうにゆったりとした喫茶スペースが広がっている。全席禁煙で、革張りの椅子も適度に柔らかいので、読書にはもってこいの場所だ。
唯一欠点があるとすればそれは店の名前である。星雲堂書店の直営ということにちなんでスターブックスカフェ。ついでに店の壁には緑色の円に白い女性という実に特徴的なロゴマークが掲げられている。海の怪物セイレーンではなく知の女神ミネルウァを模したものらしいが、図案的にはほぼほぼアウトだと思う。
「何を頼む?」
「ええと、じゃあコーヒーをレギュラーサイズで。敷島もそれで大丈夫?」
「ああ、構わない」
「了解。私が三人分オーダーしておくから、席を取っといてもらってもいいかな」
「どの辺が良い?」
「どこでも。人目に付かないとこなら」
あたしは「オーケー」と言ってうなずくと、敷島とともに店の奥の席を目指した。
「常日のことは前から知ってたの?」
「部の予算折衝で顔を合わせた程度だな。川原こそ、老松とファーストネームで呼び合っているのは生徒会に入る前からの付き合いだからか?」
「ああ、うん。一年時のクラスメートなんだ」
「そういうことか」
敷島は軽くうなずくと「紙ナプキンをもらって来る」と言って、注文カウンターの方へと向かった。きっと常日の迎えも兼ねているのだろうけど。あたしはだから、丸テーブルの隅に置かれたメニュースタンドを見やりながら、くだらないことを考えることにする。
くだらないこと。敷島にとってファーストネームで呼び合うことは親密さの証しなんだ、とか。そう言えば、六月に亡くなった彼のことも敷島はファーストネームで呼んでいたっけ。
「お待たせ、鮎」
顔を上げると、常日がトレイを持って立っていた。トレイの上にはコーヒーカップが二つ。残りの一つは? 敷島が持ってきた。紙ナプキンと、それに山盛りポーションミルクと一緒に。
「そっちに置くぞ」
敷島はそう言って、常日のために空けておいた席の側にトレイを置いた。どうやらあのとんでもない量のポーションミルクはすべて常日のためのものらしい。
「ありがとう、敷島君」
常日は敷島にお礼を言うと、自身もコーヒーカープをテーブルの上に置いて、椅子に座った。
「先に飲んでて」
依頼人はそう言って、休日用の可愛らしい手提げから、飾り気のかけらもない大学ノートを取り出した。そうしてそれから妙に儀式めいた所作で、ポーションミルクをひとつひとつ開封し、その中身をコーヒーカップに垂らしていく。
「敷島君にはどこまでのことを話してるの?」
カップの中がカフェオレとコーヒー入りミルクの間に差し掛かったところで、常日はそう言って話を切り出した。
「一通りの説明はしてあるよ。ただ――」
あたしが視線を送ると、敷島は小さくうなずいて後を引き継いだ。
「そうだな。多少面倒でも神託が行われた日とその翌朝にあったことは逐一説明してくれると助かる。特に脚本を発見した時のことは、老松だけしか体験していないことだから、詳しく話して欲しい」
「わかった」
常日はノートを広げてテーブルの中央に置いた。ページの左半分に、箇条書きで主立ったできごとが書いてある。
1 会長と一緒に生徒会室に入室(三時半頃)
2 仲井君入室、会長の指示で印刷室へ
3 会長退室、職員室へ(三時四十五分頃)
4 清乃入室
5 鮎入室(四時五分前)。
6 仲井君入室、清乃と神託ボックス作成
7 会長入室、神託の準備開始(四時ちょうど)
8 副会長入室(七分遅刻)
9 神託の実施
⇒取り出したメモ用紙に記名なし
11 箱の中を確認
⇒1枚多く入っていたことが判明
12 会長、判断保留を宣言(四時半頃)
13 意見箱から脚本を発見(翌七時半過ぎ)
あらかじめ話すことをまとめておいたのかも知れない。常日は項番を指さしながら、要領よく説明していく。
「――神託の日にあったことはこんなところ」
「川原の話と矛盾するところはなさそうだな」
敷島は低い声で呟くと、コーヒーで唇を湿らせた。
「折りたたんだメモ用紙を回収したのが正木さんで、箱の中から一枚を選び取ったのが老松なんだよな――細かいことだが、回収の際、箱にメモ用紙を入れたのは正木さんか? それとも、個々の役員なのか?」
「待って。思い出す」
常日は目を閉じて深呼吸をひとつした。
「名取会長は手渡しだった。私と清乃もそう。仲井君は自分で直接箱に入れてたね。鮎もそうだった」
敷島が一瞬こちらに視線を走らせたので、あたしは小さくうなずき返した。ぼんやりと周囲の様子を眺めていたあたしと違って、常日は目の前のことに集中していたはずなのに、なかなかどうしてよく観察している。
「箱の中に手を突っ込んだ時に、何か妙な感じはしなかったか?」
「まったく。面の手触りはふつうだったし、複数の紙が入っている感じもあった」
「折り方についてはどうだ?」
「触っただけでわかるような特徴的な折り方のものはなかったと思う。後で机に用紙を並べたけど、どれもごくごく八つ折りだったから」
「わかった。それじゃあ続けて神託の翌朝のことを話してくれ」
「あまり話すことはないけどね」
常日はコーヒーのようなものを美味しそうに飲んでから、再び説明を始めた。
「あの日もいつもと同じように七時半に登校したの。職員室で鍵を借りて生徒会室に行くと、意見箱に大きな封筒が突っ込んであるのに気が付いてね。前日にはなかったからなんだろうと思って引っ張り出して、中をみたら脚本だったというわけ」
「毎朝の生徒会室の鍵開けは老松の役割なのか?」
「そういうわけじゃないけど、朝のうちに空気の入れ換えをした方が気持ち良いし、人がいない方がはかどる仕事もあるから」
「それにしても毎朝七時半に登校というのは早すぎないか? 老松はバス通なんだろう?」
「私の家からだとバスの接続が悪いものだから、一本逃すと次は八時半ギリギリに登校しなくちゃならないから。何となく落ち着かなくって、いつもそうしてるの」
「なるほど――生徒が校内に入れるのはいつからか知ってるか、川原?」
ふいに質問の矛先があたしに向いた。
「七時だったはず」
ついこの間まで常日よりずっと早くに登校していたあたしは即答する。一度、六時半に学校に着いたら昇降口に鍵がかかっていて途方にくれたことがあった。
「と言うことは、意見箱に脚本が入れられたのは、会長と正木さんが校舎を出てから昇降口が施錠されるまでの間か、七時に昇降口が開いてから七時半過ぎに老松が生徒会室に来るまでの間ということになるな」
「結構限定されるね」
脚本家は間違いなく生徒会役員の誰かなのだから、教師や業務員が意見箱に脚本を入れた可能性は無視して良いだろう。
「ちなみに川原はその日、何時頃に登校したんだ?」
あたしを疑ってるのかよとは思っても口に出さず、素直に「八時過ぎだよ」と答える。あの日は駐輪場で清乃と合流したはずから、何なら裏を取ってもらっても構わないぞ、敷島よ。
もっともあたしが本当に脚本家なら――そんなことはないのだけれど――昇降口が開いた直後に登校して自慢の脚本を意見箱に突っ込み、一旦校外に出て時間を潰し、何食わぬ顔で戻ってくるくらいのことはするかも知れない。そう考えると、登校時刻を確認してもあまり意味はないように思えるが、敷島はどう考えているんだろう。
「ところで老松」
しかし敷島はあたしの返事に何の反応も示さず、常日の方に向き直った。
「こうやって相談を持ちかけようと思ったのは、老松自身何かしら事件についての答えを持っているからなんじゃないのか?」
しばらくの沈黙の後で、常日はうなずいた。
「実はそうなの。私は正木副会長が脚本家なんじゃないかって疑っている」
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