第3章/Sunday People

3-1

 まだ九時前だと言うのに日曜日の桜ヶ池公園は、大勢の人で賑わっていた。


 ウォーキングをするスポーツウェアのおねえさん、スケッチブックに園内の風景を写すおじいさん、コーギーの散歩に付き合うおばあさん、ジョギングをする若夫婦、ケータイ片手に園内を散策する中高生エトセトラエトセトラ。桜ヶ池に視線を向ければ、雲ひとつない青空から降り注ぐ日の光を反射して、きらりきらりと輝く水面が目に映る。理想的な秋晴れの一日だった。


 あたしは公園の入り口にある柱時計で時間を確認すると、藤棚の下へと向かった。


 既に敷島は来ていた。グレーに近い青のジーンズに、黒いセーター。洒落っ気の少ない実用性を重視した服装はいかにもアイツらしい。が、この日の敷島は普段とは違っていた。ベンチでリラックスしている野良猫を撫でるためだろう。驚かせないように細心の注意を払いながら、首の辺りに手を伸ばそうとしていた。


「ミャー」


 雉トラさんはブサイクな鳴き声をあげて敷島の手を払うと、どこかに行ってしまった。公園住まいの野良猫は人間慣れしている子が多いはずなんだけど。まぁリラックスしている時にあの三白眼に迫られたらびっくりするのも無理はないか。


「……だから猫は苦手なんだ」


 思わずぷっと吹き出してしまって、それで敷島に気づかれてしまう。


「なんだ川原、いたのか」


「ごめんごめん。今来たところ」


「そうか」


 不機嫌そうに相づちを打つのは良いけど、猫に払われた手を隠そうとするなって。全然さりげなくないぞ。


「……まだちょっと時間があるな。少しここで話をしてから行くことにしよう」


「オーケー」


 あたしはうなずきながら、敷島が電話をかけてきた日のことを思い出す。


 あたしが常日から神託の件で相談を持ちかけられたのと同じように敷島も正木先輩から相談を持ちかけられ、あたしが望んだのと同じように敷島もあたしの立ち会いを望んだのだった。


「敷島って正木先輩と面識あったの?」


 あたしは偶然の一致に驚きつつ、そんなことを尋ねてみた。


「俺が一年の時に、ちょっと世話になったことがあってな。それ以来の付き合いだ」


「そうなんだ。でも、どうして敷島に相談を持ちかけたんだろ」


「……先だっての高校生連続転落死事件を解決したのは俺だという噂を聞いたらしい。どこでそういうことになったんだか知らないが、まったくもって迷惑な話だ」


 心底うんざりしたような声。あの事件を解決に導いたのはどう考えても敷島だろうに、どうも本人はあたしが解決したものと捉えている節がある。それこそ迷惑な話だと思う。


「ま、何にしてもあの人の頼みでは、あまり無碍むげにもできなくてな」


「うーん、あたしは構わないけど、正木先輩は良いって言ってるの?」


「信頼できる人間なら連れて来ても問題ないと言っている。俺としても、神託の現場に居合わせた川原がいてくれれば心強い」


 あーもう、敷島もそういう言葉を直球で投げてくるなっての。


 あたしは口をカモメにして、できるだけつまらなそうに「そう」と言ってから「そっちの電話で悪いけど、実はこっちも敷島にお願いすることになるかもしれないことがあってさ」と続けたのだった。


 敷島との電話の後、あたしはすぐに常日と連絡を取り、敷島が同席しても良いか尋ねてみた。常日の性格からして難色を示すかなと思ったけれど、案外あっさりオーケーがもらえた。もしかしたら、常日も正木先輩が聞いたのと同じ噂を知っていたのかもしれない。


 そんなこんなで日曜日の今日、あたしと敷島は別々の人間から頼まれた同じ相談事に揃って乗ることになったわけだ。


「先に老松で、後が正木さんだったな」


「うん」


 あたしはうなずいて、公園の向かいにある瀟洒なカフェに視線を向ける。あそこで九時半に常日と、十一時に正木先輩と会う約束になっていた。


「脚本は持ってきているか?」


「もちろん」


 あたしはバッグの中から紙束を取り出して、敷島に手渡した。


「こいつが神託の翌朝に生徒会室の意見箱に突っ込んであったのか」


 敷島は呟きながら脚本をパラパラとめくる。


「とても一晩で書き上げられる量じゃないな」


 その指摘が意味するところに気がついて、あたしは「あっ」と声をあげた。


「前々から準備してたってことだよね」


「そういうこと。神託のイカサマの件も含めて、脚本家の行動は、周到に計画されたものだったと考えるべきだろう。それは良いんだが――」


 そう言って口を噤んだ敷島の元にさっきのキジトラさんが戻って来て、ズボンにすりっと体をこすりつけた。


 何だ懐いているんじゃん。と、思ったらやっぱり敷島が伸ばした手を払ってどこかに行ってしまった。


「ひとつわからないことがある」


「手の出し方が鋭すぎるんじゃない?」


「……猫の話じゃなくて」


 むすっとした声が返ってきた。脚本家の話だったのか。


「そもそも神託で演劇の実行責任者と内容を決めることになったのは、誰も立候補者が出なかったからなんだよな?」


「うん、そうだけど?」


「いやな。どうしても自分が書いた脚本を使ってもらいたいんだったら、下手な小細工をするよりも素直に手上げした方がずっと確実だったとは思わないか?」


「確かに……」


 あの場ではもう一度神託をやり直すという意見も出ていた。不正行為があったことは疑いようがなく、名取会長の裁定次第でどう転ぶかわからない状況だったことは間違いないだろう。


「前に川原から神託の話を聞いた時にも同じようなことを言ったが、重要なのは脚本家が何故イカサマをしたのかということなんだ」


「うーん、自分が脚本家だということをみんなに知られたくなかったからとか?」


「それだけなら他にもっと良い方法がある。誰かに根回しして『役員のひとりから匿名で演劇の内容について具体的な提案があった』とでも言ってもらうとかな。もちろん脚本家本人がそうしたって良い。


 敷島は三白眼を細めて虚空を見やる。相変わらずとんでもなく目つきが悪いが、瞳の奥には案外優しい光が宿っていることをあたしは知っている。


「何故する必要のないイカサマをしたのか――イカサマでなければならない理由は何だったのか。昨日から俺はずっとそんなことを考えている」


 そう言って、敷島はまた脚本をぱらぱらとめくった。


「それにしても老松といい正木さんといい、どうして神託の件について蒸し返そうと思ったんだろうな。ひょっとしてこいつに不満があるんだろうか」


「うーん、それはないんじゃないかな。二人とも――ううん、生徒会の人間はみんな脚本の出来に満足していると思うよ」


「川原もか?」


「うん。そりゃあ百点満点とはいかないけど、ありかなしかと聞かれたら、あり。大ありって即答する」


「そうか。まぁその件は直接本人たちに聞いてみれば良いか」


「ニャー」


 ふいの鳴き声は足下から。今度は三毛猫が物欲しそうに敷島の顔を見つめている。


「……それにしてもこの公園は猫が多いな」


 さらにもう一匹、さび柄さんが三毛の隣にスタンバったところで、敷島がため息交じりに呟いた。


「昔から捨てに来る人が多いんだよ」


「なるほど。広い公園だし、夜でも出入り自由だから、そういう連中にとっては恰好の場所なんだろうな」


「そうだね」


 小さくうなずくあたしだけど、内心それだけじゃないとも思っている。


 その名の通り桜ヶ池公園の中央には星形の大きな池がある。江戸時代に灌漑用水を貯めるために造成されたという池の外周は2キロ近くにも及び、桜だけでなく四季折々の花鳥風月が楽しめるスポットとして地元では有名である。


 飲み水に困ることはなく、猫好きの来園者に餌をねだることができる場所――捨てられた猫もここでなら生きていけると期待できる環境。それが無責任な人たちの身勝手な結論とまったく関係がないとはあたしには思えなかった。


「最期まで飼い続ける覚悟がないんなら、初めっから飼わなければいいのに」


「まったくだな」


 敷島が目を細めて二匹の猫を見やった。彼らに同情しているのだろうが、残念ながらその思いは伝わらなかった。睨み付けられたものと勘違いした三毛さんは風のように走り去って行き、もう一匹のさび柄さんもそろそろと後退を始める始末だ。


「そこまで怖がらなくて良いのにねぇ」


「笑いながらフォローされるのって絶妙に腹立つな」


「まぁまぁ」


 あたしはチチチと舌を鳴らしながら、さび柄さんの目を見る。で、ちょっと外す。それを何度か繰り返すと、さび柄さんはすっと体の緊張を解いた。


 よしよし、良い子だ。と思っていたら、ぴょんとジャンプしてあたしの隣に着地してそのまま丸まり出した。


「好かれているな」


 あたしがさび柄さんのぷにぷにボディを撫でていると、敷島がぼそりと言った。


「そうでもないよ。そりゃあ餌をくれるかも知れないと思って愛想は振りまくけどさ。多かれ少なかれ人間のことは警戒してる。ここの野良猫はみんなそう」


「一度は人間に裏切られた猫がそう簡単に人を信用するわけもないか」


「それもあるけど――あぁ、あの事件が起きたのは敷島がまだ五十海に来る前だったっけ」


「あの事件?」


「あたしが中学二年生の頃に、この公園で野良猫が殺される事件があったんだよ。それも一度や二度じゃなくって。最終的に十匹近くが犠牲になったんじゃないかな」


 新聞部の深月創介が作った計画書の中に『連続殺猫事件』とあったのは、おそらくその事件のことだろう。もっとも、事件はのだが。


「酷いことをするもんだな。犯人はどんなやつだったんだ?」


「それがまだ捕まってないの」


「そうなのか。さっき、最終的に十匹近くが犠牲になったと言ったからてっきりもう解決した事件なのかと思ったんだが」


「解決はしてないね」


 あたしはちょっと考え込んでから、連続殺猫事件の顛末について敷島に説明することにした。


「動物虐待を繰り返す人間はエスカレートして人間に危害を加えるようになるって話、聞いたことない? あの事件の犯人はまさにそうだったみたいでさ。野良猫を殺すだけでは飽き足らず、ついに人を殺すことまでしてしまったの」


 確か、犠牲になったのは当時まだ二十代の女性だったはずだ。警察がどういう根拠に基づいて、野良猫殺しと同一犯だと判断したのかはわからないが、記者会見でそう断言する様子がテレビ放送されたのを今でも覚えている。


「もっとも、それ以降犯行はぴたりと止まったみたいでね。人ひとり殺して満足したのか、それとも後悔したのか、あるいはもっと全然違う理由なのかはあたしにはわからないけど、連続殺猫事件の中で唯一の殺人が、最後の事件になったというわけ」


 説明しながら、あたしは当たり前の事実に気づかされる。


 犯人が逮捕されていない以上、事件は少しも終わっていないのだ。長らく新たな犠牲者が出ていない。だから、これ以上事件は起きないだろう。そんなのは甘い見込みに過ぎない。


 けれど、あたしは事件があったことなど少しも気にせず、この公園を敷島と待ち合わせをした。今この公園を訪れている人たちも似たようなものだろう。そう言えば、殺人事件後の一時期、この公園は夜間の立ち入りを禁じていたはずだが、それが解除されたのははいつのことだったろう――。


 あたしの隣でさび柄さんが大きなあくびをした。見るからにリラックスしているけど、時折動く黄色い瞳だけは警戒を怠っていないように思えた。

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