2-11

 常日がいなくなってすぐに、音楽堂から清乃が戻って来た。


「お待たせしましたっ♪」


「あぁ、お疲れ」


 常日の相談事が気になっていたせいか、つい気の抜けた返事をすると、清乃に顔を覗き込まれてしまった。


「どったの?」


「ごめんごめん。ちょっと考え事をしてて」


「考え事って?」


 清乃に隠し事というのはちょっと後ろめたいし、まだ相談を受けると答えたつもりもないけれど、安易に話して良いことではないだろう。あたしは「今夜の夕食何かなって」と言って肩を竦めることにした。


「よーし、行きますか」


 半信半疑な視線を向けられているのはわかったので、あたしは殊更大きな声でそう言って、愛車のスタンドを蹴り上げた。


 一緒に帰ると言っても、二人とも自転車乗りなので、縦に並んで走ることになる。清乃が前で、あたしが後ろ。それで夜風の街を駆け抜けていくのだ。


 走っている間は余程のことがない限り、言葉を交わさない。けれど、清乃のペースに合わせてペダルを漕ぐのは退屈ではなかった。気分が良いときの清乃がこっそり鼻歌を歌うのに耳を澄ませるのも――。


 いつもの交差点まで来たところで、あたしたちは自転車から降りる。帰りが一緒なのはここまで。だから、さよならをする前にちょっとだけお喋りをするというのがここのところの習慣になっていた。


「清乃、今日は随分ご機嫌だけど、何か良いことあった?」


「今日だけじゃないよ。毎日充実してる」


「生徒会と吹奏楽部を掛け持ちしてればそりゃねぇ」


 正直、過労で倒れないか心配になるくらいだ。


「それもあるけど、さ」


「あるけど?」


「鮎と一緒に何かをやるのって初めてだなーって思うと、わくわくな毎日なのさっ」


 コミュニケーション能力の高い親友はしかし、時々びっくりするほどの直球を投げてくる。


「あたしとしても清乃が生徒会にいてくれて正直助かってる。ほんと、ありがとう」


 そっぽを向いて呟くように言うと、親友はいたずらっぽく微笑んで「どういたしましてだけど、それじゃ四十九点かな」と言った。


「どういうこと?」


 あたしが尋ねても、清乃は首を横に振るだけで答えようとはしなかった。


「……私と鮎がしてからもう一年半になるのかぁ」


 しばらくして、清乃が夜空を見上げて懐かしそうに言った。


「あたしの方はほぼほぼ初対面だったけど」


「はいはい。そうでしたね、青須あおす中の狼さん」


「その呼び名はやめい」


「ふーんだ」


 あたしと清乃の友達付き合いが始まったのは高一の四月に同じクラスになってからだが、出会ったのは中学時代の夏にまで遡る。花火大会で賑わう桜ヶ池さくらがいけ公園で友人とはぐれた清乃につきまとってくるしょーもないナンパ男を追い払い、案内所まで連れて行ったのがファーストコンタクトだ。


 連絡先を交換しなかったので――清乃はお礼がしたいから教えて欲しいと言ったのを、面倒くさいとあたしが断ったのだ――それきり没交渉になっていたのだが、どうも清乃の方はあたしがどこの誰なのか調べていたらしい。入学式の日に清乃の方から「川原鮎さんですか?」と話しかけてきた時のことは今でもはっきりと覚えている。


 高一の時から親しくしているクラスメート。


 五十海東高校は三年進級時にクラス替えをしないから、来年も一緒だ。


 でも、こうやって一緒に何かに熱中できるのは、もしかしたら今だけなのかも知れない。そう考えると、清乃の熱意に乗っかっても良いんじゃないかなと思えてくる。


「一鯨、成功させよう」


「うん。絶対」


 あたしたちは「またね」と言い合ってから、それぞれに家路を急いだ。


 帰宅してすぐに携帯電話をチェックすると、常日から何通かメールが届いていた。「お世話になります、老松です」から始まり、時間帯と場所の候補を列挙、最後に「お返事お待ちしております。以上よろしくお願いします」。何だこのカッチリした文章は。ビジネスパーソンか。常日らしくはあるけれど。


 あたしはメールの返信をしようとしてはたと考え込む。


 常日の望みが神託に無記名の案を入れた犯人が誰なのかを解明する――すなわち犯人捜しであるならば、うってつけの人物がいる。常日は他の生徒会役員には聞かれたくないとも言っていたが、生徒会の役員でないならばどうか。


 まずは常日に相談してみよう。そう思って電話帳を開こうとしたところで、携帯電話が振動した。犯人捜しにうってつけの人物――敷島からの着信だった。


「もしもし?」


「敷島です。取るのが随分と早いな。取り込み中か?」


「ううん、大丈夫だけど……どうかしたの?」


「今週末にちょっと時間を作ってはもらえないか」


 動揺するあたしをよそに、敷島は続けた。


「この間川原が言っていた神託の件で、副会長の正木さんから相談を受けてな。どうも誰がイカサマをした犯人なのか知りたいらしい。できればお前にも同席してもらいたいんだ」

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