2-10
清乃の胸を擦った揉んだはあったものの、練習自体は順調に進んだ。
名取会長も満足したらしく、締めの通し稽古を観終わるなり親指を突き立てて「いいじゃないか。この調子で頑張ってくれ」と褒めてくれた。主に常日と清乃の演技を見ての発言なのだろうけど、そう言われればあたしだって悪い気はしない。これから毎日、寝る前に清乃が教えてくれた腹式呼吸のトレーニングをやらなくちゃだ。
練習後、あたしたちを引き連れて生徒会室へと戻った名取会長は、今後の予定について軽く話をした後、本日の活動の終了を宣言した。
「私は用事があるから先に帰らせてもらうが、お前たちも早く帰るんだぞ」
会長は携帯電話の画面を一瞥してバッグにしまうと、立ち上がって足早に生徒会室を出て行ってしまった。珍しいこともあるものだ。って、待て。
「送らなくて良いんですか?」
あたしの質問に非難のニュアンスが含まれていることを感じ取ったのだろう。正木先輩は弱り顔で額を掻いた。
「俺? 帰る方向がてんで違うよ」
「え、そうなんですか?」
幼稚園の頃からの付き合いと言っていたから、てっきり近所同士なんだと思っていたんだけど。
「この中で一番家が近いのは仲ちゃんじゃないかな」
「え、あの、今からでも追いかけた方が良いんでしょうか」
「仲井君、あなたバス通学じゃない。会長の自転車の横を並走してくつもり?」
突然話を振られてうろたえる仲井君に、常日が冷たく突っ込みを入れた。
「無理じゃないかなぁ。名取のママチャリ、とんでもなく速いから」
しょんぼりと肩を落とす仲井君。無茶振りされただけなのに、ちょっと可哀そう。
「大丈夫大丈夫。あいつは柔道と合気道の段持ちだから、心配はいらないよ」
そういう問題でもないと思うけど、これはまぁ「邪魔をしてやるな」という意味なんだろうな。常日も正木先輩の真意はわかっているようで、若干不機嫌そうではあるけれど、口を挟まずに身の回り品を片づけている。若干不機嫌そうではあるけれど。
「むしろ俺としては、老松さんと山辺さんの帰り道を心配だな。あと、川原さんも」
後から思い出したように付け足すな。
「ご心配なく。それこそ途中までは仲井君と一緒なので」
「うちらも大丈夫ですよー。ねー、鮎」
「今日もよろしく」
先日敷島に『遅くなる時は一人で帰らない方が良い』と言われたこともあって、この所あたしは清乃と一緒に帰ることにしているのだ。
「……あれ? ひょっとして俺だけぼっち?」
「そうなりますね」
あたしが冷たく応じると、正木先輩は自嘲的に肩をすくめてからひょいっと立ち上がった。
「それじゃまぁ後輩の身の安全を確認できたし、心置きなく一人さびしく帰ることにしますか」
「ああやって三枚目を演じないことには心配の言葉ひとつ掛けられないってだけなんだから。まったく、面倒くさいったらありゃしない」
正木先輩が閉めたドアを睨むように見つめて、常日が言った。
「相変わらず正木先輩には厳しいね」
「そう? 普通よ普通」
あたしは思わず清乃と顔を見合わせてしまう。
常日が正木先輩のことをどう思っているのかについては、あたしと清乃の間でも意見が割れている。嫌いとまでは言わないけれど苦手意識はあるんじゃない? というのが川原説で、いやいやあれはいわゆるひとつのツンデレってやつですよというのが、山辺説だ。
いずれにしても常日が正木先輩に対してはやけに感情的になってしまうのは、自分とは全く違うやり方で名取文香の生徒会を支える彼のことを心のどこかで認めているからなんだと思う。まったく、面倒くさいのは正木先輩だけじゃない。
「さて、うちらも帰ろっか」
清乃がそう言って、立ち上がった。
「そだね。常日たちはどうする?」
「まだバスの時刻まで余裕あるし、もうちょっとここにいるよ。仲井君もそれで良い?」
「もちろんです」
生徒会室を出ると、外はすっかり薄暗くなっていた。あたしたちは人気のない廊下にコツコツという足音だけを響かせて昇降口へと向かった。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
「はーい。すぐ戻るね」
駐輪場で清乃を吹奏楽部に送り出し、戻ってくるまでの間、サッカーグラウンドを眺めて時間を潰すことにする。ナイター照明の下で、サッカー部員たちが熱心にポストプレイの練習に取り組んでいる。敷島はどこだろう? いた。少し離れたところで部員たちの動きを子細に観察しながら、しきりにメモを取っている。相変わらず集中している時は、人相がすごく悪い。
「鮎、ちょっと良い?」
ふいにあらぬ方向から声を掛けられて振り返ると、そこには先ほど生徒会室で別れたばかりの常日が立っていた。
「どうしたの? 仲井君は一緒じゃないみたいだけど」
「先にバス停に行ってもらったんだ。ちょっと鮎に相談したいことがあって」
常日はそう言って、一歩あたしに近づいた。
「別に構わないけどあたしで良いの?」
「生徒会に入って間もない鮎にしか話せないことなの」
暗闇の中で、シルバーフレームの眼鏡がきらりと光ったような気がした。
「できれば今週末に会う時間を作ってもらえないかな。他の役員には聞かれたくないことだから」
「清乃にも?」
常日はこくりとうなずいてから「仲井君にも、会長にも」と言い足した。
「何か難しい話みたいだね」
「ある意味では」
常日は音楽堂の方を気にしながら、あたしに顔を近づける。
「脚本家――」
「え?」
「神託に無記名の案を入れた犯人は誰か――私が鮎に相談したいのはそのことなの」
それから常日は、あたしの肩越しにもう一度音楽堂の様子を窺うと、
「もう行かないと。また後で連絡する」
一方的にそう言って、立ち去っていった。
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