2-9
あたしと正木先輩がステージに上がると、清乃と常日は練習を止めて、こちらに駆け寄ってきた。
「お疲れさん。二人ともうまいもんだね」
「えへへー。やったね」
「一応額面通りに受け取っておきますか」
「本心から言ってるんだけどなぁ。ま、良いや。名取と仲ちゃんはまだ来てないけど、とりあえず通しで読み合わせでもしてみないか?」
「さんせーさんせー」
「あたしもその方が助かるかな。まだ台本を覚えきれてないし」
「清乃と鮎がそう言うなら」
すぐに意見がまとまり、あたしたちは揃って台本の読み合わせを始めた。
『至高のトリック』のキャストは、犯人役のあたし、被害者役の清乃、警部補役の常日、それに警部補の部下役の正木先輩――これで全員である。会長はタイムキーパーを、仲井君は音響を、それぞれ担当するため、大道具の入れ替えの時以外はステージに上がることはない。ちなみに照明は正木先輩の
「あなたは『必ず別れる』と約束した。忘れたの?」
清乃の台詞。次はあたしの番だ。
「忘れてない。――けど」
「今すぐ別れなさい。あなたには、あの人は似合わない」
痺れるような緊張感が全身に走った。一人で読んでいるよりもずっと頭に入ってくる。あたしは台本を目で追いながら、再び清乃が口を開くのを待った。
「どうするの? あたしはこれ以上待てない。もしあなたがどうしても別れないって言うんなら」
「待って!」
「だから言ったでしょ。もう待てな――」
川原鮎が最初から山辺清乃を殺害しようとしていたのかは、劇中でははっきり描かれていない。凶器がネクタイだということを考えると、発作的な犯行のようにも思えるけれど、犯行後の動きの良さを考慮に入れると、計画的な犯行にも見えてくる。
山辺清乃を殺害した川原鮎は、自分が彼女の部屋にいた痕跡を隠滅すると、死体を五十海市内の公園まで運び出して、一緒に部屋から持ち出したバッグ、スーパーの袋とともに、藤棚の下に遺棄した。
もちろんこれは山辺清乃が帰宅途中に襲撃されたかのように見せかけるためのものだが、川原鮎の偽装工作はそれだけではなかった。
「絞殺で間違いありません。ただし、ビニール紐は殺害後に巻きつけられたもので、絞殺に使われたのは別の凶器――紐状の布だそうです」
「ふーん。一応のこと、共通の手口ではあるわけか」
「一応どころじゃありませんよ。間違いなく、犯人はヤツです」
劇中の五十海市内では、川原鮎による山辺清乃の殺害以前から正体不明の殺人鬼が暗躍しており、既に何人もの犠牲者が出ているという設定になっている。人々を絞め殺すだけでは飽き足らず、その首にビニール紐を巻き付けて去って行くその手口からついた名前は『
川原鮎はその犯行手口を模倣することによって、山辺清乃がアパートの外で殺害されたように見せかけるだけでなく、自身の罪を首飾り売りになすりつけようともしたわけだ。うーん、何となく痛くなくもない腹をぐりぐりと探られる感じがするぞ。多分あたしが考えすぎなだけだけど。
「あたしが犯人だと考えているなら、はっきりそうだと仰ってくれませんか?」
「そうですね――私は川原さんこそが山名さん殺害の犯人だと考えています」
「本当に言ったよこの人」
読み合わせはいつしか終盤まで進んでいた。常日が演じる警部補は、わずかな証拠物件と川原鮎が犯したいくつかのミスから、首飾り売りではなく川原鮎こそが山辺清乃殺害の犯人だと断定するわけだが、実はそのことに関連してちょっと引っかかっていることがある。
首飾り売りの事件そのものについてはほとんど説明されず、その後どうなったかはわからないまま幕が下りてしまうのだ。
倒叙ミステリーとして警部補と川原鮎の対決にスポットを当てた作品だということはわかるのだけど、すっきりとはしない。清乃じゃないが、消化不良な感じがする。他にも引っかかる点はあるが、今は読み合わせに集中しなければ。
「刑事さんの勝ちですよ。認めます。あたしが清乃を殺しました」
「――私は勝者なんかじゃありませんよ。ただ、人を殺し、それを隠そうとしたあなたが初めから負けていたというだけの話です」
最後に常日がぴしゃりと締めて、第一回の読み合わせは終了。ちょっとした達成感をおぼえながら、ぱちぱちと手を叩くと、他のみんなも一緒に拍手をしてくれた。
「よーし、お疲れ様。それじゃ、名取が来るまで個々で練習していようぜ」
「私の出番は最初だけなんで、ちょっとだけ鮎と二人で練習してても良いですか?」
「オーケーオーケー。老松さん、俺たちもそうしてみるか」
「大丈夫です」
そんなこんなで、今度はステージ上で三つに分かれての練習が始まった。
あたしと清乃は舞台袖からパイプ椅子を一脚ずつ持って来て、ステージ上に置く。テーブルも何もないけど、これが山辺清乃の部屋――302号室だ。
「台本は置いとこうか。ちゃんとした姿勢で声出すクセをつけといた方が良い」
「やっぱりそうだよねぇ」
あたしは渋々台本をステージの隅に置き、客席に下りて清乃の合図を待って、早足で歩き始めた。うう、別に誰も見ていないのにこれだけのことで妙に緊張するぞ。木造の階段を上って、302号室の前でインターホンを押す動作をする。
「どちらさまですか」
読み合わせの時もそうだったけど、良い感じに険悪な雰囲気が滲み出ている。清乃は本当に芸達者だ。
「あたしよ」
清乃の目にちょっと憐憫の光が宿った。うん。声を出そうと頑張りすぎるあまり、調子外れになってしまった。
「ごめん、もう一回最初から良い?」
「はいはい。でも、次は上手くいかなくても、最後までやりきろうか」
多分吹奏楽部で後輩を指導している時もこんな感じなんだろうな、と思ってちょっと練習不足な自分が情けなくなる。ええい、くそう。ここでネジを巻き直しだ。
二回目は何とか最後まで演じきった。三回、四回。それからあたしたちは台本を片手に、自分たちの演技で気になる点について簡単に話し合うことにした。
「私の首を絞めるシーンだけど、ちょっと距離が遠いかな。いくら鮎でもへっぴり腰じゃ迫力がでないよ」
「こんな感じ?」
「もっとぶつかるくらい近くて良いと思うよ」
うーん、まだ足りないか。よし、それじゃあお姉さん遠慮なく近づきますよっと。
「って、清乃アンタ、また胸おっきくなってない?」
「そそそそそんなことないよ!」
「いやいや絶対おっきくなってるって!」
この近さから見下ろせばはっきりとわかるたわわぶりである。これが実りの秋というヤツか。
「……それを言うなら鮎だっておっきくなってるじゃん! 絶対百七十センチ越えしてるじゃん! あっ、やっ、触らないでっ」
「身長なら三センチ以下は誤差の範囲だ!」
「バストだって1センチくらいは誤差だよぅ! せっ、せめてもっと優しく……」
ぺし、ぺし、と間の抜けた音が続けて響き渡った。いつの間にか講堂に来ていた名取会長があたしとついでに清乃の頭を軽く叩いた音だった。隣には仲井君もいて、顔を真っ赤にして立っている。
「お前達、何を乳繰りあっているんだ……?」
全くもって返す言葉がない。
「うう……一方的にやられただけなのに」
あ、うん。清乃は言葉を返したくもなるよね。何というかすいません。
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