1-7

 校舎を出る頃には六時半を回っていた。


 既にして日は暮れ、辺りは闇色に包まれている。


 あたしは大きく伸びをして疲労感を体の外に追い出すと、早くもなく遅くもない足取りで駐輪場へと向かった。


「川原」


 校庭のコナラの木の側を通りがかったところで、横合いから誰かに声を掛けられた。はっとして体を強張らせるあたしだったが、心のどこかでは聞きなじんだ声だということに気づいていたと思う。


「敷島……?」


 はたして木陰から姿を見せたのは、敷島哲だった。


「今、帰りか?」


 あたしより少しだけ背の低い敷島は、どんぐりまなこであたしの顔をじっと見上げて、そう尋ねた。相変わらず殺人的に目つきの悪いヤツ――。


「うん。そっちも?」


 少し心拍数が上がったのを自覚しつつ、どうにか落ち着き払った態度で尋ね返す。


「ああ。月曜日はナイターが使えない日でな。早くにあがるんだ」


「言うほど早くないじゃん」


「マネージャー見習いから再出発だからな。居残りでボール磨きくらいはするさ」


「殊勝な心がけだね」


 別に皮肉で言ったつもりはなかったけれど、敷島は闇の中で微苦笑を浮かべたらしかった。出会った頃に比べるとすこし髪が伸び、剣山みたいだった短髪も少しはおとなしくなっているのだけれど、こういうところはあまり変わらない。引き締まった四肢も、その割にほっそりとした瓜実顔もそうだった。


「少し、待てるか?」


「待つって、何を」


「部室の鍵を守衛室に返しにいく途中なんだ」


 敷島は右手に持っていたキーホルダーをくるりと回した。


 あたしは、敷島が何を言っているのかがわからず、しばしの間考え込む。


「えっと、その、あの、ひょっとしてひょっとするとなんだけどさ。送っていくとか、そういうアレですか」


「……そう言った方がわかりやすくはあったな」


 敷島は三白眼をあさっての方に向けて言った。


「文化祭の準備で忙しいのかも知れないが、遅くなる時は一人で帰らない方が良い」


 いやまぁあたしだってそうしたいのは山々だったんですけどね。清乃は吹奏楽部に用事があると言って先に帰ったし、常日と仲井君はバス通学。会長と正木先輩はまだやることがあるとかで、生徒会室に残っている。あたしとしては、一人で家に帰るしかない状況だったのだ。別にこれが始めてというわけでもないし――。


「良いな?」


 あたしの心の動きを知ってか知らずか、敷島はあたしの目を見て言った。それであたしは何となく説得されてしまったらしい。「ああ、うん」と小さくうなずいてから「以後気を付ける」と言い足すことさえしたのだった。


「じゃあ、行ってくる。なるべくすぐ戻る」


 それだけ言い残して、敷島はさっさと校舎の方へと走っていってしまった。


「そりゃあ送ってくれるのはありがたいんだけどさぁ……」


 ひとりコナラの木の下に残されたあたしは、頭の後ろを掻きながらぼやいた。


「……それならそうってはっきり言えよなぁ」


 口に出してから段々腹が立ってきた。大体あいつは話を端折りすぎるんだ。それに『一人で帰らない方が良い』って言っておきながら、学校の敷地内とはいえこんな場所に女子を一人で待たせておくなっての!


 一頻りあいつへの毒を吐き出すと、あたしは無人の駐輪場を振り返った。


 日中はほとんど満車状態になる場内にはしかし、今はもう数台の自転車しか残っていなかった。


 その内一台――真っ白なルイガノのシティバイクを見やりながら、あたしはゆっくりと首を回す。


 確か敷島はこの近くに住む祖父母の家で居候していて、学校には歩いて通っているはずだ。


 さて、あの愛車をどうしたものだろう。


 敷島を待つ間、あたしはそんな風に、些細なことで悩んだりもする。

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