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「朗報だ」


 名取会長は自分の席に腰を落ち着けると、いきなりそう切り出した。


「小校舎の教室使用の件、こちらの要望がすべて通った。中庭の使用も何とか許可をもらえたし、これで大方片付いたんじゃないか?」


「いけますね」


 常日が算盤を指先だけで弾きながらこくりとうなずいた。


「小校舎の空き教室が使えるなら、文芸部と歴史部に相部屋してもらう必要もありませんし、落語部も大部屋なら文句なしでしょう――化学部の実験アトラクションは中庭でやるってことで良いんですよね?」


「晴れればそうなる」


「雨天に備えて予備の教室を確保しておきましょう」


「頼む。それと、化学部長にアトラクション中の安全管理について顧問とよく話し合っておくよう伝えておいてくれ」


「わかりました」


 名取会長は常日の返事に対して満足げにうなずくと、勢いよく立ち上がった。


「何にしてもこれで逃げ道はなくなった。我々も出るぞ。一鯨イチゲイに」


 会長を敬愛する常日は「はい」と即答した。


 何事にも動じない性格の清乃は「ほーい。頑張りますかね」と応じた。


 何事にもすぐ緊張してしまう仲井君は「ひゃいっ」としゃっくりみたいな声を出した。


 何事にも面倒くさがりなあたしは「出なきゃダメですかねぇ、一鯨」と最後の抵抗を試みた。


「諦めろ。川原カワが所属しているのは、他でもない。私、名取文香の生徒会執行部だ」


 本人に言われては、どうにもならない。あたしは返事をする代わりに黙って肩をすくめた。


 一鯨というのは五十海東高校文化祭の伝統行事となっている公演会のことである。東高の生徒であれば一人からでも参加でき、最大三十分まで講堂を貸し切って演目を披露することができる。内容はバンドに武道演武、コントにマジックショー、それにディベートなど公序良俗に反しない限りなんでもありで、毎年定数を上回るエントリーがあるそうなのだが、今年は少々事情が違った。


 過去の資料を読んで、一鯨への参加を希望する団体の中に学校公認の少人数サークルが多数あがっていることに気が付いた名取会長は、部屋割りの抜本的な見直しに取り組んだ。


 歴史ある五十海東高には、長引く少子化で使われなくなってしまった教室があちこちにある。こうした空き教室を同好会に開放することで、彼らに日頃の成果を発表する場を与えたのだ。


 会長の読みは当たった。これまで発表の場がないためやむなく一鯨にエントリーしていた書道研究会――ステージ上で書いてもお客さんから見えないじゃん――、手芸愛好会――編み物パフォーマンスにはずっと限界を感じていました――といった少人数サークルはむしろ喜んで一鯨を辞退し、会長の提案を受け入れたのだった。


 そして今日。落語部の寄席会場も確保できる見通しが立ったことを受けて、会長は伝統の復活を宣言したのであった。


 久しく途絶えていた生徒会執行部の伝統――すなわち、一団体としての一鯨への参加。


「偉大なる先達に敬意を表し、演目は劇とする。ここまでは決定事項だ」


「も、問題は何をやるかですね」


「その通り。どうだ? 仲井ナカのアイディアでやってみるか?」


「えっ? いえっ。ぼくは一年生ですしその、あの……」


 仲井君は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。素直だし、優しいし、もう少し余裕があればすごく良い男になるのになあ、とは彼に対する清乃の評価だ。


「他に我こそはと思う者はいるか?」


 そう言われても、さすがに手を挙げる者はいないようだ。常日ですら、ちょっと気まずい表情で算盤の角を撫でている。


「オーケー。それなら、前回打ち合わせした通り“神託”といこうじゃないか」


「箱の用意はできてますよ」


 清乃がすかさずさっきまでの工作の成果物を取り出した。


「助かる」


 言いながら、円卓上に置かれたいくつかのブロックメモからムーミン柄のものに手を伸ばして、まず一枚べりりと剥がした。


「取って回してくれ」


 常日、あたし、清乃、仲井君と時計回りに一枚ずつメモ用紙を手に取ったところで、廊下から激しい足音が聞こえてきた。


「来たな」


 名取会長が呟き、常日が無言で顔をしかめる。すぐにドアが開き、やたらと図体のでかい男子生徒が部屋に入って来た。


「遅いぞ正木まさき


「わりーわりー、シマパンの婆さんがなかなか離してくれなくてな」


 悪びれずに言って、パンやら駄菓子が入った袋をテーブルの上に置く。


「でもまぁおかげで協賛金の件は良い返事をもらえたぞ。何と、Lサイズ広告を出すってさ」


「そんなに宣伝することあるんですかね、あのお店」


 冷厳会計の鋭い突っ込みに、図体のでかい男は少々怯んだ。


「ほぼほぼ東高生しか行きませんしねぇ」


 仲井君もふんわりした声で追い打ちをかける。


「う、別にオレは島本の婆さんを欺したわけじゃないぞ。こうなったのはあくまで誠意ある営業活動の結果であってだなあ……」


 男――副会長の正木まなぶは何故か脂汗を流しながらの言い訳を始めた。


 身長百八十センチ超。運動部には所属していないが、筋トレが趣味とかでラグビーの選手のように頑強な体つきをしている。お寺の跡継ぎということで丸刈りにしている頭といい、黒々とした眉といい、存在感のある目鼻といい、パーツの何もかもが大きくできているようだ。


 遅刻の常習犯であることからもわかるように、あまり真面目とは言えない人だが、慣用表現としても顔が広いため、会長から折衝ごとを任されることが多い。実際、常日が考えた文化祭当日の部屋割りについて各部・同好会の同意を取り付けるのは、主に正木の役割だった。


「協賛金の件は後で詳しく聞くとして、正木も早くメモ用紙を取れ。神託を始めたい」


「へーい」


「遅刻のペナルティだ。書き終わったら、みんなの分を回収して常日ツネに渡すこと。いいな?」


 ついでに打ち合わせの際に発生するこまごました雑用をこなすのも、主に遅刻した正木の役割だった。


「へい、へーい」


「じゃあ、始めるぞ」

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