1-2

「もう、びっくりさせないでよ清乃」


「それはこっちの台詞だよー。あんな大きな声出して。心臓が止まるかと思った」


 清乃は本当に驚いたらしく、大きな胸に手を乗せてふうっと息を吐き出した。そうしていかにも彼女らしい人懐っこい笑みを浮かべると、うさぎのような両足飛びであたしの隣にやって来た。


「大体『どわあ』はないでしょうよ。『どわあ』は」


「女子みたいな悲鳴をあげるなんて、柄じゃないし」


「何言ってるの。仮にも花も恥じらう乙女なんだから、ちょっとは自覚を持ちなさいよね」


 つんつんとあたしの頬を攻撃する清乃の指先。公称百六十九.五センチ実寸百七十二センチのあたしより頭一つ分小さい清乃がそうすると、ピーター・ラビットを思わせるくりっとした瞳が自然と上目使いになる。小さくてかわいらしい鼻、シミひとつないやわらかな頬、それに右目の下の小さなほくろもとても魅力的だ。クラスの男子どもが自分より背の低い彼女を欲しがるのがちょっとわかる気がする。


「ええい、その手をやめい」


 いい加減こそばゆさに耐えられなくなって、あたしは清乃の手を払いのけると、そのまま前下がりボブにしたさらさらの髪を左右から握りこんだ。


「キャー」


 もみあげのラインに沿って柔らかく引っ張ると、清乃は何故か嬉しそうな悲鳴をあげた。うーむ。これが乙女か。乙女ってやつなのか。あたしは何となく圧倒される感じがして、親友から目をそらしてしまう。


「ったく、あたしなんかじゃ花も恥じらわないっての」


「えーどうして」


「乙女じゃないから」


 言わせないでよと思いながら答えると、何故か清乃は大きく目を見開いた。


「え? 鮎、乙女じゃないの? いつ? どこで? 敷島しきしま君?!」


「そういう意味で言ってねーし! つか、そこで何であいつの名前が出るかなあ?!」


 あたしは首の辺りが熱くなるのを感じながら、徳の高そうな清乃の耳たぶをぎゅっと掴んだ。今のところユニコーンに蹴り殺される予定はないっつーの!


「ギャー!」


 彼女、山辺やまべ清乃は社会性に富んだ人間である。吹奏楽部でホルン奏者として活躍する傍ら一年時から生徒会執行部に所属していたりもするだとか、女子会への参加率が良いだとか、各所に謎のコネクションを持っていて校内一の情報通と言われているだとか、理由をあげればきりはないのだけど、その彼女が高校入学以来の親友というのだから、我がことながら縁は異なものだと思う。


「うう……お父さん、お母さん……お嫁にいけない体になっちゃったよう」


「あーうるさいうるさい。そんなことより」


 あたしは清乃が小声で「ひどい」と言うのを無視して続けた。


「ひょっとして呼びに来てくれたの?」


「ううん。私も部室に顔出して戻ってきたところだよ」


「そうなんだ」


「教室の前を通りがかったら鮎が窓辺でたそがれてたから、声をかけてみただけ」


「たそがれてたって……別に涼んでいただけだし」


 あたしが呟くように言うと、窓の外から一際大きな掛け声が聞こえてきた。サッカー部員たちが、円陣を組んで気合を入れているのだろう。どうやら間が悪いのはあいつだけではないらしい。


「はいはい。そういうことにしておきますか」


 清乃は全てを見透かしたような笑みを浮かべて言うと、さりげない動作であたしの側を離れた。


「さーて、そろそろ生徒会室に行かないとだね」


「じゃああたしも――」


 親友は笑みを浮かべたままゆっくりと首を横に振った。


「鮎も遅れちゃダメだよ。あと、戸締りもよろしくね」


 そうして親友は風のように去っていき、窓が開いたままの2-A教室で再びあたしは一人きりになってしまったのだった。

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