道具
私は、もうすぐ結婚する。
浅草橋のかっぱ橋道具街に来たのは、その準備をするためだ。
食器、キッチン道具、家具、ここにはその種の専門店が無数にひしめいている。
見ているだけで、歩いているだけで、道具の量に圧倒される。
おおよそ買いたいモノ買って、買う予定のなかったモノも買った。
興味のない店にも入って、冷やかしを沢山した。
そろそろ彼の待つ家へと帰ろうかと思案していると、ふと目に入った店がある。
爪切り道具専門店。
菓子道具専門店や、鍋専門店のように、ふらりと足が向いた。
店の敷居を跨ぐとき、嫌な予感がした。
あの時、何年か前に遭遇した新幹線での出来事のことを思い出していれば、店に入ることはなかったのかもしれない。
もう、遅い。
店に足を踏み入れた。
店の中は薄暗く、異常な数の刃物が所狭しと並べられていた。
普通の量販店でも売ってそうな爪切りもあったが、人を斬るためにあるようなナイフようなものもあった。
鎌のような形、カニの爪のような形、チャクラのような形。
おおよそ、爪を切るには適さないような形の刃物が、ギラリと光っていた。
「何かお探しですか」
店主だろうか。背後から男の声がする。
「ただ、見てるだ……」
振り返ると、見たことがある顔があった。
新幹線で話しかけてきた男だ。
あの時のことを思いだし、恐怖で顔が硬直しそうになった。
男は私のことを覚えていない様子だ。
普通に接客をし始めた。
「珍しいでしょこういうお店。女性の方なんかは、爪やすりなんかがおススメですよ」
帰りたい。
気づかれていない内に、帰りたい。
「本当に見てるだけなんです、爪やすりも持ってますし、失礼します」
顔の前で、手を振った。
遠慮しますのポーズだ。
私の手を見ると、男の目の色が変わった。
視線が固定されている。
一点に。
爪に。
男の口が開く。
上唇と下唇の間で、唾液が二本、縦に糸を引く。
「あなた、京都駅で降りた人ですね」
嗚呼、帰りたい。
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