逃げた獲物
私は、おもわず指を引っ込めた。
持っていた本が、テーブルに落ちた。
紙と紙が擦れる音と、モノが落ちる音。
「すみません、綺麗な爪を見るとつい話しかけてしまうんです」
男の目は私の爪を凝視したままだった。
手が震えだした。
手を胸の方に引き寄せ、固定した。
手の震えを悟られたくなかった。
「やめてください」
静かな走行音に負けそうなくらい小さな声だった。
「職業柄、つい癖で。怖がらせてすいません。もう見るのはやめますから」
男の視線が指から逸れた。
口から重たい息を吐き、自分を落ち着かせようとした。
背中を丸め、視線を落とす。
男が大事そうに持っている風呂敷が目に入った。
とても大事そうに手を添えている。
なんだろう。
あの中には何が入っているのだろう。
見たい。
やっぱり見たくない。
「興味がありますか」
男が風呂敷を撫でた。
カサカサ
「いえ、大事そうだったので」
カサカサ
「大事ですよ」
カサカサ
風呂敷の結び目を解き始めた。
カサカサ
結び目が解けるにつれ、中が少し見えてきた。
少しくすんだ白。
小さな白が無数に蠢いていた。
爪だ。
大量の爪だ。
カサカサ
恐怖で悲鳴も上がらない。
体が硬直し、足が熱くなるのを感じた。
「どうです、これなんか」
男は無数の爪の中から一つを摘んだ。
「小学生に成りたての頃の爪です。上野動物園に遠足に行った時に、転んで割れた爪なんですよ」
爪が黒ずんでいたのは、血の跡なのだろうか。
これ以上は堪えられない。
私は立ち上がり、デッキに向かって歩き出した。
デッキに通じる扉の上部の電光掲示板にはニュースが配信されている。
そのニュースを見てしまった。
爪という文字をそこに見つけてしまったのだ。
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本日、大阪で通行人の爪が剥がされる事件が発生。連続で5人の女性が被害に遭い、現場で目撃された男の行方は不明。
提供 ユービック社
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私は、その後、荷物も持たずに京都で降りた。
どうやって降りたのかは覚えていない。
記憶は真っ白だ。
そして、黒ずんでいる。
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