松山警部

「なんでお前なんだ?」

 松山警部は、アメリカ映画でよく見るように、両手をこめかみのあたりに当てて上を向く大げさなゼスチャーをしながら声を上げた。「東京には今、一千三百万人もの人間が住んでいるんだぜ。それなのに、なんで俺が担当する事件にお前が出てくるんだ?」

「僕のせいじゃないよ」

 本庁の取調室のパイプ椅子を後ろに反らせながら、私はいった。任意での聴取のため、相手は松山警部ひとりだけだった。格子がはめられた小さな窓を通して、月曜午後のけだるい都心の喧騒が遠くに聞こえている。

 本来なら捜査本部は所轄の警察署に設置されるのが普通だ。しかし被害者である後藤亜実の父親を聴取したところ、娘を失ったショックから危険ドラッグの件を含め、すべてを警察に打ち明けたことで事情が変わった。事件には中国系の組織がからむ違法薬物が関係している可能性が出てきたため、急遽捜査一課と組織犯罪対策五課との合同捜査体制が敷かれ、捜査本部は本庁内に設置されることになったのだ。

「まあ、俺だったことをラッキーと思うことだ。他の刑事だったら、お前は今日は帰れなかったかもしれないんだ」

 松山警部のネクタイは、いつも通り白いワイシャツの突き出た腹の上に小さく乗っていた。今来ている上着のボタンをはめることは、今世紀中は無理だろう。

「僕に何を聞きたいんだ?」

「被害者は、世田谷区のマンションに一人で住んでいた。頭のおかしな父親が甘やかしていたんだ。マンションには鍵がかけられ、彼女のスマホが部屋に置き去りにされていた。ピンクと黒で派手にデザインされたスマホケースはベタベタ指紋が付きやすいタイプで、横にあった画面クリーナーできれいに拭き取ってから充電器にセットしてあった。充電する時はいつもそうしていたんだろう。出かける前に、スマホを置いて二、三日遠出する、と友人にメールを送っている。スマホには他にも、実に興味深いメールのやり取りが多数残っていた」そこで二度ほど渇いた咳をして「彼女は不特定多数の男たちと、援助交際をしてした。そのたくさんの履歴の中に、田柄という男とのやり取りが混じっていた。田柄に一千万円くれてやる、というバカげた内容だ。彼女は田柄の家に一千万円投げ込み、田柄はその一千万円を受け取っていいものかお前に相談した。そしてその後、彼女は殺された。田柄は彼女がまだ生きていたと思われる金曜日の午後二時には、まだお前のオフィスにいた。そこから空港に直行し、その足で間に合うぎりぎりの便でベトナムに飛んだことは裏が取れている。もしその通りなら田柄には彼女を殺して多摩湖に遺棄する時間はないし、何か事件に関係しているなら、わざわざ自分から探偵に頼んだりしないだろう。それを念のためお前に確認する必要があった」

「確かにその通り。午後二時に田柄は私のオフィスにいた。オフィスを出たとき、二時半は回っていたと思う」

「そうだろうな。それなら、当面はエンコー野郎どもをしらみつぶしに当たっていくしかないってことだな」

「中国系の組織は?」

「今回の件に、中国マフィアが絡んでいるなんて、誰も思っちゃいない。合同捜査なんて、危険ドラッグで失態続きの厚生労働省と警察庁のポーズだよ。せいぜい下っ端を何人か挙げて、店をつぶしてジ・エンドさ」

「死体の発見現場は、よくカップルが人目を避けるために使っていた場所だったそうだね」

「このクソ寒いのに発情しやがって……ただ、現場で鍵が見つかっていないんだよ。彼女のキーホルダーから、マンションの鍵だけが外れてなくなっていた。それが見つかればすっきりするんだがな」

「なるほどね」

 私は、一昔前の固いパイプ椅子の上で足を組みなおした。


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