鍵の行方

 オフィスに戻り、夕方までかけて溜まっていた書類の整理をした。日が落ちて外がすっかり暗くなったところで、私は田柄に電話を掛けた。

「ああ由名時さん、僕も連絡しようと思っていたところです。僕がベトナムに行っている間に、とんでもないことになっていたんですね」いくぶん弾んだ声で田柄が応える。

「警察に呼ばれて話をしたんだね」

「ええ、今朝羽田に着く便で日本に戻り、家についたとたんに警察から電話が掛かってきたので、正直びっくりしました。僕にあのお金をくれた人が女子高生で、しかも殺されてしまったなんて……お金の出どころも聞きました。由名時さんにも、ずいぶん迷惑をかけてしまったんじゃないでしょうか?」

「いや、僕は大丈夫だよ。それより、君こそどうなんだ?」

「彼女が殺された時間帯に、僕にはアリバイがあるそうで、容疑者からは外されたようです。あの時間に由名時さんのオフィスに伺ったことも、ラッキーだったみたいで……ところで、あのお金なんですが、僕はもらっていいんですよね、僕は犯人じゃないし。あっ、贈与税は払わなきゃなんないのかな?」

 私は、そうした発想をする田柄の感覚に冷たいものを感じながら「さあ、もし君が今回の殺人事件に全く関わりがないとするなら、警察はそのお金に関知しないだろうね。あとは民事の問題だが、彼女の父親はショックを受けて自分を失くしているし、別の事件で身柄を拘束されることになりそうだ。法的手続きをとってくる余裕はないかもしれない」

「そうですか、あまり気分の良くないお金、というわけですね」

「君がそう思うのなら」

「どちらにしろ、早く犯人が捕まるといいですね」

「鍵だよ」私は、低く、しかしはっきりとした声でいった。「事件現場で、彼女のマンションの鍵が見つかっていない。警察はそれをとても気にしていて、明日朝から捜索を再開するらしい。もし現場で鍵が見つからなければ、捜査の方向性は百八十度変わるかもしれないそうだ」そういって私は、一方的に電話を切った。

 素早くオフィスの戸締りをして駐車場から車を出し、環状八号線を荻窪まで北上して青梅街道に入る。途中、西東京のあたりで新青梅街道に分岐し、上北台を多摩湖の方角に曲がった。

 多摩湖の外周道路をしばらく走り、テレビの中継映像から割り出しておいた事件現場のあたりに車を進める。速度を落としてフェンスを注視していくと、やがてフェンスの裂け目に渡されたKEEP OUTの黄色いテープが目に入った。事件現場への入口だった。そこを通り過ぎて少し先まで進み、カーブを過ぎたところで車を方向転換し、裂け目のあたりからこちらが見えない場所に車を止めてエンジンを切った。

 水源林に囲まれたこのエリアは既に車の往来もなく、静まりかえった暗闇の中で、ある事が起こるのをじっと待つ。エンジンを切った車内は時間が経つにつれ徐々に冷え込んでいき、吐く息も少しずつ白くなってくる。何か説明のつかない軽い恐怖が、時おり私を襲った。

 長い時間が流れ、寒さも限界に近づいてきたころ、遠くから車のエンジン音が近づいてきた。やがて、右手の、カーブの突き当りにある樹木がヘッドライトで照らされて徐々に明るくなると、エンジン音が停止してライトが消えた。

 私は車に積んであった懐中電灯を持って静かに車から降り、歩いてカーブを曲がった。街灯はまばらで暗く、顔は見えなかったが、事件現場の入り口に、黄色いテープを押しのけてフェンスの中に入ろうとする長身でやせ形の男の姿がはっきりと確認できた。

 懐中電灯を点けて思いきり相手の顔に向ける。男は驚いてこちらを振り向き、まぶしそうに手で光を避けた。田柄だった。


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