一千万円あげます

「ほう」と私はいった。

 いかにも間抜けな応答だが、そうとしか答えようがなかった。そして、彼の話の続きを待つしかなかった。

「昨夜遅くのことでした。今開発しているゲームアプリのアイディアに煮詰まっていて、動画投稿サイトを何気無く見ていたら、僕の好きなアーティストのビデオクリップのコメント欄に、こんなコメントがあったんです。ブックマークしておいたんだけど、まだあるかな……」

 そういって田柄は再びスマートフォンを取り出した。光沢の強いシルバーのスマホケースが、窓から斜めに差し込む柔らかな光に一瞬キラリと反射する。

「えーと、と」何度か画面をタップすると、私の方に画面を向けた。

「ちょっと読んでみていただけますか」

 私は彼のスマートフォンを受け取り、動画の基本情報の下部に連なるコメント欄を読んだ。


 いらないお金が

 一〇〇〇万円あります。

 わたしが持っていても

 しょうがないので、

 お金が必要な方にあげたいと思います。

 振込とかめんどうなので、

 手渡しを希望します。

 わたしは世田谷区です。

 近くの方、連絡待ってます。

 amigo11z7@***mail.com


「ふーむ」と私はいってスマートフォンを返しながら「これは一時よく流行った悪質な勧誘メールと似ているね。大抵は連絡すると、有料の出会い系会員サイトに入会することをしつこく求められて、受け渡しの約束をするためのメールのやりとりに結構な金額を使わされる。そして、いよいよとなったら最後はドロン」

「そうなんですよね。僕ももちろんスパムだということはわかってました。ただ、気持ち的に随分追い詰められていたこともあって、投げやりな気持ちで連絡してみたんです。まあ、騙すなら騙してみろって感じで。そしたら、程なく返事が来まして……」

 私の方にメールの画面を見せながら「あなたに渡したいから住所を教えてくれ、といってきました。僕は一人暮らしで、まあ住所を晒されたところで怖いものなしですから、本当の住所を返して、返事を待ちました。ところがそのまま返事は来なくて、僕もふっと我に返り、本当の住所を教えるなんてオレもバカだな、なんて思いながら開発に戻りました。その後はうまい具合にアイディアがひらめいて、開発は順調に進み、メールのことは忘れて寝床に着きました」

「そして今朝起きたら、郵便ポストに現金が入っていた、と」

「そういうわけです。僕は夜型なんで、今朝というよりは、昼前なんですけどね」

 田柄はスマートフォンをポケットに戻すと、脇に置いてあった大きめのビジネスバッグからごそりと紙袋を取り出し、百枚ずつ束ねられているのであろう一万円札の束を十とりだして、テーブルの上に重ねた。

「一度には差し込み口を通らないので、何束かずつバラで差し込んでいったようです」

 一千万円もの現金を目の前にするのは、これが初めてだった。新札ではないため、束の厚みはまちまちだったが、それがかえって現金のリアリティを高めていた。私は再び「ほう」と口に出さざるを得なかった。

「ありえない」

「そう、そうなんですよ。ありえない。警察に相談することも考えましたが、本当にこの人が善意でお金をくれたんだったら、警察沙汰にするのは申し訳ない。それに、このお金、もらえるものならもらいたい、というのが本音です。そこで、探偵の方に相談するのがいいかと思って、今日ここに来たわけです」

「というのは、つまり……」

「この一千万円、誰が、どんな理由で僕のポストに投げ込んだのか、調べて欲しいんです。今日は金曜日ですよね。僕はこの足で成田空港に向かい、週末はベトナムでアプリ開発者の懇親会に参加する予定です。週明け、僕が東京に戻ってくるまでに、なんらかの結果を報告していただけるとありがたい、そう思っています」

「三日しかないね」

「できるところまででも、トライしていただければと……」

「なるほど。で、このお金はどうするの?」

「ハハハ、別件で借りてある駅前の貸金庫にでも投げ込んでおきますよ」

 そういうと田柄は、目をパチパチさせながら、凍りついた笑顔を私に向けた。


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