スティーヴン▪キング著『スタンド・バイ・ミー』友達の弱い心をいたわり合いながら成長。主人公が夢中で読んだ本
テーマ曲と共に有名な映画『スタンド・バイ・ミー』
映画を観て、文庫本を購入しました。
スティーヴン・キングの中篇作品集『恐怖の四季』に収められた秋篇『The Body』(死体)が原作、と解説されています。
秋冬篇と春夏篇の2冊に分かれています。
ちなみに春篇『刑務所のリタ・ヘイワース』は映画『ショーシャンクの空に』の原作です。
文庫本~秋冬篇~の表題は映画と同じく『スタンド・バイ・ミー』
1960年、まだ電話も家庭に普及していない頃、夏休みに12歳のやんちゃ仲間4人(ゴーディ・クリス・テディ・バーン)が、同い年の少年の死体を探しに行くロードムービーです。
小説では、34歳の作家になった私ゴーディ(ゴードン)が思い出を綴る形式です。
「キングの半自伝的作品」と、あとがきに解説されています。
第二次大戦から帰還しPTSDのある父親から暴力を受けるテディ、生活保護をうけ酒びたりの父親から暴力を受けるクリス、悪い仲間のいる兄から暴力を受けるバーン、
私(ゴーディ)は、親の愛情に飢えていました。
両親が溺愛した兄が事故で死亡してから、両親は脱け殻のようになりゴーディに全く関心を持ちません。
クリスはゴーディに言います。
「お前んとこのおやじさんはお前を殴ったりしないけど、それよりもっとひどいのかもしれないな。お前のことに無関心なんだから」
クリスは思慮深く賢い少年です。
死体のある場所に向かってひたすら歩きながら、ゴーディの将来を心配するクリスです。
この頃からゴーディは、友達が興味津々聞きたがる創作話を作っていました。その才能をクリスは認めています。
「俺がお前のおやじだったら言ってやるよ。“息子や。その才能を失わないようにしなさい”ってね。だけど子供ってのは、誰かが見守ってやらないと、何でも失ってしまうもんだ」
「お前は新しい仲間にたくさん出会えるよ。頭のいいやつらに。おれたち三人は職業訓練コースで、他の低能たちと一緒さ。そんな風になってんのさ。ゴーディ。そんな仕組みになってんのさ」
「お前が会うやつらは、お前の作品をわかってくれる。バーンやテディとはちがうんだ」
「おれたちとずっと一緒にいたんじゃ、なにひとつ、話は書けなくなる」
これだけの事を言ったクリスは、まるでとっくに一生を生きてしまった人のようだった。
「町の人たちがおれんちのことをどう思ってるか、おれは知ってる」
かつてクリスはミルク代を盗んだことがありました。しかし反省してシモンズ先生に返すのですが、先生はそのお金でスカートを買って学校にはいて来るのです。
クリスがミルク代を返したと言い訳したところで、誰も信じないとシモンズ先生は分かっていました。
「金を盗んだのが、いいとこの子だったら、あのくそばばあがそんなまねをする気になったと思うか?」
「おれは金を返そうとしたばか者だった。まさか教師ともあろう人が……」
クリスは乱暴に腕で目をこすった。私は彼が泣きそうになっているのに気づいた。
ゴーディはクリスに、頭がいいんだからカレッジ・コースに行けばいいのに、と言いますが「そんなこと、みんな職員室で決まるのさ。……だけど、おれも自分を磨いてみようとするかもしれない。この町を出て、カレッジに行き、二度と親父の顔を見たくないもんな。誰も俺のことを知らない土地へ行けば、スタート前から黒星をつけられずにすむ。だけどな、そうできるかどうか、わからない」
「どうしてだい?」
「人さ。人が足を引っぱるんだ」
教師やシモンズのような怪物、彼を知る町の人々だとゴーディは思います。
それでもクリスは、このままでは自分の将来は無い。今の生活から抜け出したいと考えています。
クリスは「おまえの友達はおまえの足を引っぱってるよ、ゴーディ。お前はわからないのか?」
遠く前を歩くテディとバーンを指さします。
そう言いながら、クリスは3人の友人をとても大切にします。
テディが木から落ちて命を落としそうになったところを危機一髪で助けたり、戦争で精神を患う父親を「きちがい」と嘲笑され、深く傷つくテディを一生懸命なぐさめかばうのです。
人生を悟ったような口振りで語るクリスも、まだティーンエイジにならない少年ですから子供らしく泣きます。他の3人も泣く場面が出てきます。特にゴーディは泣き虫です。
読み進むほど、母親の気持ちになってしまって子供達がいじらしくなります。
列車に轢かれそうになったり、ヒルに血を吸われたり、まだ見ぬ死体への恐怖心とスリルに満ちた一泊二日の歩き続ける冒険旅行。
友達とワクワクする時間を共有する中にいても、賢明なクリスは9月に始まる新学期(日本の中学校にあたる)の事、それから先の自分の人生について考えない訳にいきませんでした。
まだ無邪気でいて良い少年が考えるには、あまりに重い課題です。無責任で信頼できない親や教師。自分の力しか頼れないクリスです。
この小説の核心部分は、このゴーディとクリスの会話の方だと思えます。
4人がお互いの家庭を観察比較し、そこで自分達の心と体はどう育つのか、毎日の付き合いのなかで子供なりに感じ取りながら、相手の弱い心を優しく受けとめいたわり、思いやりと共に成長していきます。
翌年1961年には、テディとバーンは居残り組の常連になっていきます。彼らとゴーディは、すれ違うとき挨拶を交わすだけの仲になります。
「しかたないことだ。友人というものは、ひとりの人間の一生に入り込んできたり、出ていったりする。」
バーンは18歳の時、アパートの火災で死亡。
テディは23歳の時、自動車事故で死にます。
クリスはカレッジ・コースを選び、案の定、教師や父親は徹底的に阻止しようとしますが、クリスは6時間も勉強に没頭する事もあるほどで、無事大学に合格します。
ところが1971年23歳の時、買い物先での他人の喧嘩を仲裁したばかりに、ナイフを突き立てられ呆気なく死んでしまいます。
この徹底した悲運を思うと、クリスは何のために生まれてきたのか、神に問うてみたくなります。
ゴーディは新聞記事で彼の死を知ります。
「私はクリスを思って泣いた」
作者スティーヴン・キングは、子供の頃の思い出を書くことについて、冒頭、次のように書いています。
「言葉というものは、ものごとの重要性を減少させてしまう。頭の中で無限に思える事でも、いざ口に出してしまうと、実物大の広がりしかなくなってしまう。だが、本当はそれ以上のものだ」
少年時代の楽しい体験、悲しい体験、自分が知っている町の人達、一緒につるんでいた仲間、これらすべてを大切に胸に仕舞い、年齢と経験を重ねる程に、思い出も醸成されていきます。
誰もが共通して持っているものですから、共感せずにはいられない作品です。
この作品にも、本を読むシーンがあります。
両親から望まれずに生まれたゴーディは、親からの愛情を感じられずにいました。
家族で食卓を囲んでも、両親は兄にしか関心を示さず、兄としか話しません。
その兄が不慮の事故で死亡すると、両親は抜け殻の様になり、ゴーディはまるで居ないかの様に振る舞います。
高校生の時、感想文を書くため、課題図書『見えない人間』を読みます。
人種差別を取り上げていて、黒人の主人公が話しても誰も返事をしない。まるで黒い幽霊だ、という内容です。
「わたしのことを書いていた」とゴーディはむさぼり読むのです。
そして本を読んで、両親から無視されている事が自分自身の問題なのだ、と明確に把握します。本が味方になってくれます。
この作品には、当時のアメリカの映画、ラジオ番組、ニュース、ジョークが登場しますが、さっぱり分かりません。
国の文化、慣習、風俗に違いがあるので、理解できないのはしかたないと諦め、流します。
ゴーディの創作話が二話挿入されています。
1話は30ページ、2話目は18ページ割いていますが、これも読み飛ばしてしまいました。
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