井上ひさし『四十一番の少年』絶望にうちひしがれる。 永山則夫 服役中の日記『 無知の涙』彼が涙を流して読んだ本『あしながおじさん』
井上ひさし氏については、
私が小学生の頃、欠かさず白黒テレビで観ていた『ひょっこりひょうたん島』、映画になった『父と暮らせば』の作者である事ぐらいしか知りません。
web検索してみると、日本の文壇・演劇史に名作を残した小説家、劇作家、放送作家とあります。
彼は幼少期に父親を亡くしています。子供の頃は父親が残した蔵書を読み「神童」と言われていました。その後、母親とも離され養護施設で育っています。
著名な作家としての華々しい人生の前に、こんな過酷な体験があったとは驚きです。
この少年の心の傷を推し測ることなど、到底叶わぬことです。心痛は癒されぬまま無意識の下で彼に一生ついて回ります。
元妻の西舘好子さんが、新聞のインタビューで、夫婦でいた時の彼について語っています。
「人のよさと
家族への暴力があったことを告白しています。
「妻だった時、父母との思い出を話すと心の扉を閉ざすように彼の表情が消えていった」
「人には愛された記憶で根を下ろす家が必要。“ひさしさん、寂しいね”その一言で私が彼の根っこになれたのに」
『四十一番の少年』井上ひさし著
自伝的小説だと解説にあります。
三話の短編ですが、連作になるよう構成されています。
養護施設で育つ子供の話です。
第一話『四十一番の少年』
主人公の少年は、一緒に暮らした母親が入院することになり、中学三年生半ばで養護施設に送られます。
そこでは、この施設で育ち高校を卒業したばかりの青年と同室になります。少年はさんざん彼からいじめを受けます。
利発な少年は考えを巡らし、いじめを上手く交わす手立てをみつけながら何とか毎日をしのいでいます。
一方いじめる
第二話『
母子は一家離散します。兄の“ぼく”が孤児院、弟はラーメン屋の夫婦に預けられます。
中学三年生の兄は、高校生から暴行を受け続けています。弟はラーメン屋店主から暴言暴力を受け、店の下働きに使われ、とうとう学校に登校することも許されなくなります。
時々弟が送ってくるハガキのつたない言葉から、兄は弟の置かれた状況を察し、弟を引き取る決意をします。
「施設にはこれ以上子供は入れられない」と院長は渋りますが、兄は懇願します。
「ベッドが足りなければ、このベッドで一緒に寝ます。机もタオルも歯ブラシも、なんでも二人でひとつのものを使います。ご飯も二人で一人分を食べろと言われてもかまいません。弟をこの孤児院に入れてやってください!」
この切羽詰まった言葉が読む者の胸に深く染み渡り、悲しみがにじみ出てきます。
第三話『あくる朝の蝉』
主人公の少年は高校一年生になり、弟が小学四年生です。
養護施設から離れ汽車に乗り祖母の住む町の駅に弟と共に降り立ちます。
祖母の家を目指して歩く途中、懐かしい町の匂いと町並みが描写され少年の心情の穏やかさが伝わります。
ところが、歩みを進めるほど町のありようが少年に、どんどん不穏な気配で迫ってきます。
祖母の家が一部切り売りされ人手に渡っていたのです。
辿り着いた祖母の家の間口は、かつての半分になってしまっていました。
「どうしてだろう。疑問がぼくの胸をきりきりと締め付けはじめた」そして「いやな予感に変わっていった」
それでも祖母と叔父に迎え入れられます。
浴衣に着替え風呂に入り
ほんのいっときの幸福な時間。
少年は祖母にここに置いてくれるよう懇願します。
「あそこに居るしかないと思えばいやなところじゃないんだよ」「でも、他に行くあてが少しでもあったら、一秒でも我慢できるところじゃないんだ」
精一杯気兼ねしながらも孤児院に二度と戻りたくない強い気持ちが、ひしひしと伝わります。
こんな言葉選びができる特別な才能は、神に選ばれた著者だからこそと思えます。
夜遅く別室で祖母と叔父の二人の言い争う声が聞こえ、少年の願いは叶わぬと悟ります。
「他に行くあてがないとわかれば、あそこは良いところなんだ」と自分に言いきかせます。
翌日の早朝、兄と弟はそっと家を出ます。
絶望感にうちひしがれる二人です。
読者を泣かせ、哀れでやるせなくこの上ない悲しみの余韻の中にしばらく浸ることになります。
“悲しみ”といえど一言で
ところが読後は、心の汚れを洗い流された様な清らかさが胸の内に残ります。
『無知の涙』は何人も殺めた死刑囚永山則夫が刑務所で書いた日記です。
1949年に生まれた彼は、1969年19歳のときに連続ピストル射殺事件で逮捕され1997年に処刑されています。
本は、刑務所で服役生活する中、彼が日々感じたこと、読書感想などを書いています。
読み始めれば、彼の人生は刑務所の中で、生まれて初めて真っ当な生活が始まった、と読む者に感じさせます。
当たり前の教育を受けてこなかった彼は、旺盛な読書欲で本を貪り読みます。
「カラマーゾフの兄弟」「どん底」「桜の園」「罪と罰」、フロイト「精神分析入門」、マルクス「資本論」、アリストテレス「政治学」
尋常ではない育ちの心を持つ彼は、片寄った読書をしている様に思えます。そこから得た知識で彼なりの理屈を言いつのり、虚勢を張ります。
弱い自分を鎧で守り、身構えています。
強がる彼ですが、涙を流して読んだ本があります。「昔の中に捨てられた僕が、忽然とあらわれたからだと思う」
彼の琴線に触れた本は『あしながおじさん』
彼自身が「少女趣味だけど」と照れながらも、泣いて読みます。
もう一冊は『罪と死と愛と』
これは二人の女性を殺害した18歳の死刑囚が、多くの人々と交換した手紙の書簡集です。
「私の探し求めていたと思う人物に出会ったような気持ちである」自分と同じ境遇で同じ事件を起こした彼の文章に触れ「動揺を隠しようもない」と書きます。
事件を起こす前に、彼がこの本と出会っていたなら、深く共感し、彼の心を解放して大罪には至らなかったかもしれない、と思えます。
どんなにか辛かったろう人生は、親兄弟への憎しみと悲しみを持って振り返ります。
「今でも時々思い出す。『あんたなんか兄弟とも何とも思っていない。だから来ないでちょうだい!』肉親から聞いた言葉。涙を隠すことが出来なかった」
「母性を捨てた人に育てられた俺だから無知で。無知で殺したくなるような。犬猫どうようにあつかう母親。可愛い子供を捨てるな!殺せ!殺すより生むな!」
そして女性を「
今では、虐待で子供を殺す親が、後を絶ちません。
自身の罪については
「なんとでも云うがいい。悪いとは思わん。後悔もしない。こうしか生きられなかった自分。悲しい奴と思う。僕は白紙だった。それに字を書いたのは自分ではない。俺は気の良い奴でその通りしたがったまでだ」
“育ち”とは、親が子供の白い心に字を書くこと。それは子供を生んだ私も常々感じていた事です。
親になる責任は重大。
大きな犯罪を犯した後の人間が書く文章は、常人には理解し難い心情が存在しています。
最初から最後まで通して読むことは出来ず、飛ばし飛ばし所々読んでいました。
神戸連続児童殺傷事件の犯人が、更生後に記した本が出版されました。
時代が変わり、犯罪の背景は貧困のような分かり易さはありません。
この事件の原因は、少年の複雑怪奇な心の中にあります。
もっとも親が子供の真っ白な心に書いてきた字に問題があった事は揺るぎない。
暗い世界に引き込まれそうで、とても手に取れませんし読む気持ちにもなれません。
素直に育っていた頃の心には、二度と戻れないでしょう。
それでも犯罪を犯した人の作品を読んで、悪事を犯すすんでのところで、踏みとどまる人がいるかも知れません。
一線を越える前の本との出逢いと、彼らを理解する人の出逢いは大切です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます