ユーモアのある清廉な人・丹羽宇一郎『人は仕事で磨かれる』当時の長時間残業も強い責任感を持つ情の厚い上司がいてこそ

『人は仕事で磨かれる』

この堅苦しいタイトルから、ビジネス教養・自己啓発本と思われがちですが、読んでみると、とても楽しく娯楽性も感じられる内容だと分かります。


冒頭いきなり丹羽宇一郎氏の社長としての最後の大仕事

伊藤忠商事の大赤字決算発表から始まります。


この6年前不良資産の処理計画が進んでいる中で社長就任しましたから、「私の社長としての役割は“掃除屋”だったのではないか」と振り返ります。

これまでの仕事で培われたあらゆる教訓が、彼のカミソリの様に切れる頭脳に整理され、明朗闊達な文調で表現されています。


読み進むほど私の心持ちもクリアになって晴れ晴れしてくる様です。

とても気持ちの良い文章です。


ユーモアのある人で読者を楽しませてくれます。


『商社マンとなってアメリカに単身勤務していた時、下宿先のお婆さんに「あなたの宗教は何だ?」と問われ「My god is my wife」と答えて彼女を喜ばせた』と言います。もっとも彼にしてみれば本気だったそうです。


『自分の人生なんてたかが知れてる。社長をやめたらタダの小父さんだ。その為にも世間の常識からずれてはいけない。


社長になっても電車通勤で車はカローラに乗っています。「社長のくせに」と言われるが、周りから偉い人だと思われたければ背中に「ナントカ会社の社長」と書いた名札を張ればいいし、車に金粉を振りかければいい。』

と笑わせます。ところが

『かえって社長の電車通勤がマスコミに騒がれ、私からすれば「放っておいてくれ」と言いたい』


ズボンのチャックが開いたままでも、長靴のままオフィスで仕事をしようと、妻の散髪でハゲが出来ても気にしない人です。

仕事とプライベートの話、硬軟自在に読者を惹き付けます。


自分を見る人の目には無頓着。

「周りの毀誉褒貶(きよほうへん)は気にならない」と四文字熟語で表現されています。

隔靴掻痒(かっかそうよう)

乾坤一擲(けんこんいってき)

率先垂範(そっせんすいはん)

肝胆相照らす仲


見たことも聞いたことも無い四文字熟語がページをめくるたび登場します。

果ては陽明学・儒教・論語の教えまで、トップになる心得として分かりやすく解説しています。

碩学、博覧強記。


宇一郎少年は「本屋の息子」です。

売り物⁉の『少年少女文学全集』を読んで感激していました。彼は次男坊です。同じ境遇の少年の物語、下村湖人『次郎物語』を涙を流しながら読みました。


「本というものは、年齢ごとに感激するものを読めば心に残り、血肉になります。」

結果、「本の虫」になり人生で読書を欠かしませんでした。


名古屋大学に入ると学生運動にのめりのみ、同大学自治会委員長になります。集会で演説しているのがマスコミに報道され親は仰天。

警察が介入してくると、アルバイト先の中日新聞に「助けて!」と飛び込みます。「いいよ、いいよ。ついでにこれ見てよ」とタダで校閲の仕事をさせられました。


ほとぼりが冷めた頃、家に帰っても、また大学に行っても「何だ、お前は逮捕されなかったのか」と言われて腹立たしかったと言います。


家族や大学仲間が、彼を心配する張りつめた気持ちでいたところへひょっこり帰って来るのですから、ホッとするやら気が抜けるやら…。

それで皆が口を揃えて、この言葉になったのでしょう。

漫画の様な場面が目に浮かんで可笑しい。


こうして「無鉄砲なことばかりしていましたから」就職もなかば諦めていました。

ところが名前も知らない「伊藤忠商事」の就職試験を友人が受けるというので、一緒に受けたら自分だけが採用になった。


そう言えば

小松製作所(コマツ)のかつての社長、坂根正弘さんの新聞インタビューを思い出します。その記事を見直すと


坂根青年が大阪市立大学の学生の頃、友人がコマツに勤めていました。するとコマツの事務所や寮に出入りする様になり、そのうち独身寮の空き部屋に住み込み朝晩の賄いまでお世話になったといいます。

人々が悠長・鷹揚でいられた時代でした。


仲良くなったコマツの人たちから「坂根君もコマツに一宿一飯の恩義があるのだから、入社して恩返ししたらどうだ」としきりに口説かれ就職した経緯があります。


丹羽氏も坂根氏も、たまたま縁あって入社しただけですが「頭が良いかどうかより気力、知力、情熱といった『人間力』のある人」はどこに行っても社長になれる、ということでしょう。


私がかつてスクラップした新聞の言葉です。

古田 英明さん(カリスマヘッドハンター)

「天職がどこかで自分を待っている、なんてことはない。出会ったものの中に喜びを見いだし、自分の力で天職にしていく。」


さて、宇一郎青年は入社した早々、書類の清書やコピーばかりの仕事で嫌気が差し辞めようと考えます。

ところが先輩が銀座のバーに連れて行ってくれる、また二、三人の友人と行きつけの居酒屋へしょっちゅう出掛ける。

これが楽しくて仕方ない。

「何だ、俺はバーに惑わされて情けない…」

と反省しますが仕事を止めずに済みました。


またこんな話も。

家族と都内の社宅に入っていましたが、酔っぱらって帰ると階下のお宅を自分の家と間違えて入り、トイレで用を足して出てみると見たことのない奥さんと鉢合わせになった、という珍事件に笑ってしまいます。


男は社会を動かす計り知れない力を持つと感じますが、毎日生活する中では、何につけ単純な生き物だと笑ってしまいます。


後に新聞連載『負けてたまるか!』の中で書かれています。

「会社に入って三年位で辞める人の多くは、当時の私のように“永遠に今の仕事が続く”と思ってしまう。新人で習うことは仕事人の土台であり、そこを欠くと、その後の仕事は砂上の楼閣になりかねない。ある銀行の頭取は、新人の一年間、毎日封筒の宛名書きばかりさせられた。それが銀行の重要な客先を誰よりも知ることに繋り、人生の後半で役立ったという。どんな仕事にも意味がある。」


読みやすい内容だと分かってもらえたらと思いましたが、楽しいエピソードの抜き書きだけを、ずらずら並べた内容になってしまいました。


2005年に出版され、早11年経ちますが何度読んでも、内容に旧態依然としたところはなく丹羽氏の清廉・高潔さが清清しい風の様に感じられる内容です。


もっとも「土日もなく100時間残業」したことは、今問題視されていますから抵抗があるでしょう。

ただ当時、強い責任感があり部下の気持ちを汲み取る人情を持つ上司がいて、それに答えるべく長時間残業の苦労も厭わない部下がいました。

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