妻に先立たれた夫『妻と僕』(西部 邁著)『妻の肖像』(徳岡孝夫著)自分がここに居る意味は他者から贈られる

妻に先立たれた夫が妻を想って著した本です。

この二人の男性は、妻の支えを無くし、すっかり気落ちし感傷的になります。


一人は元東大教授の論客、もう一人は皇居の園遊会に招待されるまでのジャーナリストです。

そんな社会の第一線で活躍する男性が、妻を亡くして、心が想像以上にもろくなり弱っていきます。過去には評論家の江藤淳が妻の死を苦にして自死したのは広く知られています。


『妻と僕』西部邁著

夫婦は高校で知り合った頭脳明晰同士。

著者は、北海道で貧しい育ち方をしています。

貧しさから生まれるコンプレックスが少年から青年期への健全な心の成長をはばんだのは想像に難くない。否応なく社会へ挑む様な尖った思考にならざるをえなかったでしょう。

弁の立つ若者は、過激で波乱のある青春期を送りました。

『友情』にも生い立ちが書かれています。


東大入学から全学連の中央執行委員として指導的役割を果たします。

逮捕・起訴・保釈され、その後七年裁判所で被告人をしながら東大卒業後、東大教授、その他大学の教授を務めます。


理詰めの文章は硬い感触です。

彼の思想に対して私は全く無知ですので、難解な言葉が多いのですが、読み飛ばしながらでも十分伝わります。


結婚後も「流行の世論、世間の風潮に背を向けるしかない僕のような人間は、負けを覚悟の闘いをやりつづける」(P185)

それでも

「流行の世論に敵意は抱いておりません。それどころか迎合するしかないと察しています。あたかも敵意を持っているかの様に振る舞わなければ自立も自尊も不可能ではないかと思われます。」(P187)

そうせざるを得ない彼のさがでしょうか。


敵を作り悪者になろうとも意に介さず、論陣を張る姿は

“孤高のアウトサイダー、一匹狼”です。


「マスメディアという場所で、異端の果てにいる者と認定されているのに長口舌ちょうこうぜつをふるってもよいという許可を与えられていた。ただし興味を示す者はいなかった」なので、「戻っていく先は連れ合いのところしかなかった。」

空しさ、淋しさが伝わってきます。


著者が六十歳代半ばの頃

そんな彼を支えた満智子夫人が病に倒れます。

著者は彼女を看病しながら、夫婦・人生を哲学する様に思索します。


夫人への自分の思いさえ、冷静で知的な言葉で表現しますが、押さえきれない感情が溢れます。

「妻の死は重い。妻は僕にとって故郷、祖国である。妻が唯一の読者で観客。」

「妻の死は故郷の喪失、祖国の滅亡。言語能力の基盤が陥没すること。」


「僕の言論は、世間の御利益ごりやくにたいして、何一つ貢献できぬたぐいに属します。しかし、妻という実体があってくれることを、唯一の安心材料にして、安心立命の根拠」を見出だしていました。


「妻に先立たれたら、筆を手にすることは二度とあるまいと思います。」


「更に他者に役立つ自分でなければ“死んでしまった生”であって、そんなものを見せたくない」著者は自死さえ考えます。


その後著者は七十五歳になり、「妻に鍼灸する事が面白くて他の事がつまらない。」と言います。

介護されるだけの老人であっても、介護する側の心に寄与するものがあります。


それでも本に書かれた通り、平成30年1月21日多摩川に入水じゅすいされてしまいました。七十八歳でした。


彼は何事も突き詰めて考え、納得するまで語り尽くさないと収まらない人。

死まで突き詰め思い詰め、実行する彼を、誰にも止められなかった。



朝日新聞『折々のことば』平川克美さんの言葉を鷲田清一わしだきよかずさんが解説されています。

【ひとは自分が思っているほど、自分のために生きているわけではない】

 父親の介護を続けるなかで、慣れない調理に苦労し、やがてそれが楽しみにすらなったのに、父が逝くと、とたんに料理をする気が失せた。自分だけのために調理をするのが面倒になった。自分がここにあることの意味は他者から贈られる。そのことを身をもって知った経営者の作家は、「自己決定」「自己責任」といった概念の虚(むな)しさを思う。




『妻の肖像』徳岡孝夫著

2005年75歳の時の著書です。

夫人が70歳の時、末期ガンで半年の命と告げられます。

当時介護保険制度が発足して間もなくの事で、編集者から介護保険時代の死はどんなふうかと問われ、新聞記者だった著者は、

「脱け殻のようになった身に鞭打って書くのである。」


こちらは、『妻と僕』とは対称的で、とても冷静でいられない夫の感情を表す言葉が多く、妻を恋しく思う気持ちが切々と語られます。


「トボトボ無人の家へ帰る侘しさが堪らない」

妻のベッドにとりすがって、君の有難さが判ったと告白します。


「どこで死なせてやったらよかろうなあ―私は感傷的になり、涙がこぼれた」


「妻をベッドから抱き起こす時、妻の顔と私の顔が接近する。髭剃り後のローションに妻が『良い匂い』と言った。」


「誰に何と思われようと構わない。ありったけの声を出して『和子―ォ』と叫ぼう。いつか必ず、また会う」


ふたりの出合いから結婚生活、夫人の闘病、著者の仕事について書かれているのですが、大阪の各地、富士山の見える横浜の住まい等、私の生活にも縁がある場所を沢山見つける事が出来、熱心な読書になりました。


34年前に描かれた夫人の肖像画が、「時の偶然」「人の偶然」を引き寄せ、生きている三人を呼び寄せるという不思議で神秘的な経験も書かれています。


老年期の別れは、女性より男性の方がダメージが大きい。私達夫婦の行く末に思いを馳せます。

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