心の疲労回復に効く読書~読書する理由~

kokekko

読書しない人 と付き合う人が、読書する理由に気が付くもの。 読書する人が教師であってほしい事。 ( 丹羽宇一郎著『死ぬほど読書』 から気が付いたこと)

本のタイトルが『死ぬほど読書』

大仰な表現に丹羽宇一郎氏も、ためらったのでは。『死ぬまで読書』ぐらいで収めたかったかもしれない、と勝手に想像します。


かつて新聞に載った大学生の投稿文を見て、丹羽氏は驚きます。

「読書はしないといけないの?本なんて役に立たない。読書しないことがどうして問題視されるのか」

読書を欠かさない丹羽氏にすれば、黙っていられないでしょう。

『君の自由にすれば良い。本は読まなくてもいいよ。読書は強制されてはいけないものだ』


本を読む事を強制されたら、もうそれは勉強や仕事です。


興味津々で読まなければ読書ではないでしょう。


そもそも「本を読まなくてはいけないのか」

と疑問が湧くという事は、子供の頃から本と楽しく接してこなかったに違いありません。


『死ぬほど読書』で丹羽氏は言います。

『人間は所詮動物です。

飢えそうになったら、略奪してでも食料を得ようとする自己保身の本能“動物の血”を連綿と受け継ぎ、嫉妬・憎しみ・怒り・暴力などの負の感情を生み出します。


この“動物の血”を抑制しコントロールするのが“理性の血”で、相手の立場を理解しようとする能力です。


この血を濃くするには読書することで、自分とは違う考え方も認められる人間に成長します。


有名大学を出て知識を沢山持っている人が教養人とは限らない。高学歴の母親が「この子はバカでどうしようもない」と子供の前で言っていたが、この母親は無教養です。子供が親にどう思われたいのかわからない。

子供の心の痛みがわからない』


太宰治が親戚に語った言葉があります。

「学問がある人が教養人じゃないんだよ。人のつらさに敏感な人が本当の教養人だよ」

(テレビ番組『先人たちの底力 知恵泉 太宰治』より)


『教養を磨くものは…仕事と読書と人。この3つは相互につながっている』と丹羽氏は言います。

彼は人の何倍も濃い人生を歩んでこられた上で、この言葉に至っています。


そうであるなら、まだ社会人にならない青少年のうちは『仕事、読書、人』の中で、まず『読書』が必須です。

特に、人のデリケートな感情を的確な言葉で表現する場面の多い小説・物語は、人の立場を考える力を育て、他者への思いやりを育くみます。

もちろん本を読まなくても、手本になる人や注意してもらえる人が身の周りに居るなら、何の心配もないでしょう。

…たぶん滅多にいません。


「本は読まなくても生きていく上で問題ない。なぜ問題視されるのか」

と投書した大学生は教育学部ですが、将来先生になるのでしょうか。


子供の立場で考える、という想像力が育まれているのか、心配します。それでも、おおかたの子供にとっては、先生というのは学習指導だけで十分なもので、子供の人生に先生の影響を受けるものでもありませんから、それ以上望まなくてもいいことです。

しかし、ひとたび子供の前で「動物の血」をあらわにする愚かな先生が現れれば、子供の一生に悪影響を受けますから大問題です。


毎日ニュースで見聞きする、先生の生徒へのいじめ、体罰、性的被害、子供同士のいじめで自殺に追い込まれる事件等、これにつきます。


読書しないといけない理由は、きっと本人には分かりません。先生にならずとも社会人になって仕事をする様になった時、彼と付き合う周りの人が

「この人は自己中心の考え方で、人の立場を考えられない人だ」と眉をひそめ、これまで本を読んだことがない人だと分かれば「なるほど」と気がつきます。


ところがここが難しいところで、面と向かって「好きな本はありますか?」一歩踏み込んで「自分のために書かれてる、と思った本はありますか?」とは聞きにくいもの。

なので読書と関係している事が分かりづらいのが悩ましい。


有名大学出身、頭脳明晰、有能な上司であっても人情味が無ければ人はついてきません。

叱責ひとつも、部下がパワハラと受けとるか素直な反省となるかは、上司の人間性にかかってきます。


人となりが出来上がってしまった大学生の彼には「読書で獲得する教養」は腑に落ちるはずもなく理解できないでしょう。


ですから、その教養を獲得するには、まず子供の頃の読書から始めなければいけない。


相手の気持ちを思いやれない事に悪気がないのはやっかいです。相手の心を傷つけているのに気づかず平気。そのくせ自分が傷つけられると、自己保身の負の感情(嫉妬・憎しみ・怒り・暴力)があらわになり始末が悪い。


その上、他者の気持ちまで、ひとり善がり・ひとり合点に解釈して、結果、軋轢が生じることがあります。

事実、母にもそんなところがあり、私が相手の方に謝罪したことがあります。


彼女を反面教師にしていたつもりの私も、最近、娘や夫から呆れ半分、諦め半分のていで次の様に言われます。

「はいはい、お母さんが一番正しいですよ」


私が読書を始めたのは、結婚して子供を生んでからです。

遅すぎたのか、自覚がありません。悪い性根は変わらないようで、ガッカリです。


かつて私が働いていた頃、勤め先で、同期の男性から言われた言葉があります。

「君はボキャブラリーが少ない」

その時はこの言葉にショックを受けましたが、今思えば当然の事です。読書してきませんでしたから。


だからといって仕事や生活に不便があると感じていませんでしたから、すぐ忘れてしまいます。


当時の私は、自分が他者をどう思っているか、自分が他者からどう見られているかを気にする、とても自己中心の人間でした。

同僚や上司から受けたさりげない親切に鈍感で、相手の気持ちに思いをいたす事が出来ず、思いやりの言葉が言えません。


人の立場を考える、という心が存在していなかったのです。

「この人は自己中心の考え方で、人の立場を考えられない人だ」と後ろ指さされていたでしょう。

はた迷惑な人間だったと、あらゆる場面場面を思い出しては恥ずかしくなります。


本でも特に小説には情感や状況を的確に表す言葉に溢れています。読書で知らず知らずのうちにそんな言葉達が身に付けば、人と対話する時の感情表現のもどかしさも減ります。


多様な語彙を持たずにいると、人間関係に支障をきたします。

宮本輝著『流転の海 第七部』の中で、主人公の松坂熊吾が、仕事で関係のある松田茂を次の様に言います。

「話せば話すほど歯ごたえというものが感じられなくなり、そろそろこの辺で距離を置こうと思っていた。鈍重さ、打てば響くというところのなさは、感性の欠如だけでなく、語彙の少なさのせいだ」


大人になってからでは、人は殆どと言っていい程、変われないものです。自分を振り返ってみても、つくづく思いしらされます。


2018.3.13の新聞(夕刊)「読書時間ゼロの学生が初めて5割を越えた」の記事。

心配です。


まさに現在、私の孫(四歳男子)が林明子さんの『こんとあき』『まほうのえのぐ』を何度も「読んで!」と母親にせがむと言います。

娘が幼稚園児の頃にわたしが読んでやった古い本で、娘が鉛筆でいたずら書きした跡が残っています。

彼女の情感と共に読み聞かせます。

女の子向けの優しい絵とストーリーですが、ここで「男の子が読む本にしなさい。」

などと言うのはもってのほか。

子供が読書意欲を無くす言葉です。


私が小学六年生の時、本屋さんで小学四年生向けの本を選びます。字が大きくイラストが沢山ある本を見た母親は「六年生が読む本を選びなさい」と厳しく言い渡します。


それ以来、私は結婚して子供が生まれるまで、楽しい読書はしたことがありませんでした。

この大学生と一緒です。子供の頃から本と楽しく接してこなかったのです。


丹羽氏は『死ぬほど読書』の中で

『ハインリッヒの法則』を解説しています。

組織やチームで仕事を進める場合、小さなミスについてオープンに話し合わなければ、大きなミスに繋がると強調します。


そういえば、と常々思うことがあります。

昨今、クレーン車等の重機の横転や建設現場での足場の落下等、頻繁にニュースで見ます。先日はジェットコースター点検中の作業員がはねられる事故がありました。


世の中がデジタル化され効率的に働ける時代になった反面、長年現場に関わってきた熟練者のカンが継承されません。

アナログな肉体労働の工事や建設現場において、その時その場でしか分からない、命に関わる場面の直感や集中力・想像力が失われてきている様な怖さがあります。


次の新聞記事がありました。

「日本人は議論を通じて対話するのが苦手だ。ちがう意見=敵と思ってしまう日本人には議論をする技術が必要だ」

これに賛同する「いいね!」が6000に達したといいます。

これに異議を唱える人はいないでしょう。


にもかかわらず『「忖度」や空気を読む事は相変わらず暗黙の礼儀で、昔からのしきたりの様になっている』と丹羽氏はいいます。

『会社の会議でみな空気を読んでいます……

疑問を感じながら異議を唱えず…周りの動向に従い続け』隠し続け…、かつての山一証券や東芝などの大企業さえ、危うくなるという末路を辿ることにもなりかねない。


大企業の創業者の心意気も、所詮彼一人のもの。次の後継者が、創業者の人間性までは引継げないでしょう。


子供の頃から対立する意見で議論する授業を習慣づけていかなければ、急に大人になってから始められるものではありません。


読書してきた人が先生であってほしい事。

読書で自分を成長させ、社会にでれば主体的に働き、空気を読んでも流されず意見や異議があれば発言する。

これからの子供たちは、こうでなくちゃ。

┅長い道のりです。


やはり以前とたがわず、丹羽宇一郎氏の本からは、清々しく明快な答えが私に伝わります。


良書は、読んでいくうちに読者の心の中を言葉にして整理し、自ずと納得できる様に導き出してくれるものです。










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