アリソン▪アトリー著『時の旅人』女王メアリーと自然から享受する生きる力・自閉症の子にも言及

大きな歴史的事件があった場所を300年の時を越えて少女が昔と今を行き来するファンタジーの児童書です。

生きる意欲に満ち少々の事ではへこたれない健全な心が、今を生きる私達から失われそうなのは、自然と人との繋りを失ったからだと気づかされます。

先祖達が今の私達へとつないできた命についても思いを馳せる物語です。


1900年初めのロンドン、体の弱い少女ペネロピー・タバナーは、ダービシャーにある大おばの住む“サッカーズ農場”へ療養にやって来ます。

そこは昔16世紀の頃、荘園領主のバビントン一族の屋敷で、農場と牧草地と畑と森に囲まれ『サッカーズ』と呼ばれていました。


タバナー家の人たちは代々サッカーズに住んで、領主であるバビントン家に仕えてきました。


時代が変り土地は分割され、タバナー家は小地主となり、荘園屋敷に住みます。


今では、少女ペネロピーの大おばと大おじにあたるティッシーおばさんとバーナパスおじさんの老兄妹が住んでいます。


建物からベッド、家具、調度品、食器まで「古い古い時代」から大切に使われていたものばかりで「豊かなかぐわしい匂い」です。


かねてから透視力を祖母から受け継いでいるのでは…と母から密かに思われていたペネロピーは、320年前の1582年と今の時間を行き来するようになります。


当時スコットランドの女王メアリーは、不幸な結婚後、あらゆるスキャンダルにまみれ王位を追われ幽閉されます。(カクテル『ブラッディ・マリー』の語源となった女王)

文学作品やオペラ・映画になるほどのドラマチックで悲劇的な人生を送ります。


その女王に恋したサッカーズの領主アンソニー・バビントンがトンネルを掘って女王を救い出そうとします。この事件にペネロピーはアンソニーとその弟フランシスと共に関わります。

しかし歴史を学んで、この計画は失敗に終わる事を知っていたペネロピーは苦悩します。


(『時の旅人』ではアンソニーは無事でしたが、のちの事件で捕えられ彼は処刑される事になります。この事件は歴史上の事実です。1586年バビントン事件)


作品の中では計画が失敗に終わり、アンソニーが女王救出を新たに決意するまでが、ストーリーの中心に据えられます。


ペネロピーは考えます。

「女王にまつわる悲劇が、事件に関わりのあるこの屋敷に染み込み、時を越えて大きな不幸や悲しみは永遠に存在する。チェストの中で眠っていた香りが幻影や記憶を立ち上ぼらせ、人の思いや考えの幽霊が私のところへ来たのです。」


今の私でさえ、先祖が繋いできたこの命と共に、業の様な負の想いも抗しきれず、のしかかっている気がするときがあります。

例えば運の悪さ、人との巡り合わせ…。

自身の命の歴史を知れば、このすっきりしない想いが何なのか見えてくるかも知れませんが。


サッカーズに牧草地、麦畑、野菜畑、花畑、ハーブ園があり、今と昔を行き来しながら、香りに満ちた豊かな生活を経験します。


「おじさんの服に染み付いたカウケーキの良い匂い。シーツに染み込んだラベンダーの香り。リネンの香り。客間の床に敷くローズマリー。干し草の匂い。」まだまだハーブの名前が出てきます。


私達にとっても、リラックスする匂いは、想い出と共にあります。


ビールの醸造所、バター部屋、食料部屋など、家の周りに貯蔵所が沢山あります。


バビントン家の台所では、飲み物や甘いお菓子も作られていました。「ハチミツ酒、ハーブビール、バタードロップ、ジャンケット(クリームチーズ)、ジンジャーブレッド、ブランデーを入れた熱い牛乳に浸したパン…」


このほかローストビーフ、シチューなど全て手作りで、いかにも美味しそうな重量感のある、手の込んだ料理が沢山登場します。


私達にとっても家族の手作り料理は、想い出と愛情と共にあります。


楽器も登場します。

「城主の奥方が弾くバージナル。フランシスが弾くリュート。」

フェルメールの絵画を思い出します。


「召し使いが台所で吹くフルート。台所の皆がわらべ歌を輪唱」今の時代に帰ればバーナパスおじさんがアコーディオンを弾きます。

昔も今も誰もが歌い楽器を弾きます。


豊かな香り・料理・楽器は、読んでいくうち、私も心が満たされお腹がいっぱいになり音楽を想像して心地好くなるほどです。


サッカーズこそが、バビントン家の人々の愛する家でした。

そしてペネロピーの先祖でありバビントン家に仕えるシスリーおばさんは、領主のバビントン家の人々からは“大黒柱”と呼ばれ、敬意を払われます。


毎日の丁寧な掃除、畑仕事の重労働など沢山の仕事をこなす人々には、

「しっかりと結ばれたあたたかい親密な交わり」があります。

一日の仕事に皆が心から満足していると読む者に思わせます。


私が生きる今は、家事は家電に頼り、仕事は頭脳を使う高度な仕事が存在し、この上なく便利な生活を享受しています。


技術革新による社会の発展は、人間の頭脳が求めずにいられない性(さが)ですが、その為に自然環境を犠牲にして生み出す難題が、次第に明らかになってきました。


300年以上繋がってきた血脈についても語ります。血は争えないもの。

ティッシーおばさんと300年前のシスリーおばさんはそっくりです。

そしてペネロピーも「タバナー家の顔立ちだ」とシスリーおばさんに言われます。

ティッシーおばさんもペネロピーを見て言います。「私の母さんと同じように唇をすぼめるし、嬉しい時、唇の横で恥ずかしそうに笑う…」

まるでタバナー家の紋章の如く、代々継承していく体に染み付いたあかし。


私達誰もが子供の頃、親戚から同じ様な事を言われたはずです。


シスリーおばさんは、素朴で自信に満ち、頼りがいがあり、健全でやましいところの無い人柄です。


台所で一緒に働くジュードという発達障碍者の少年が居ます。口がきけず独り言をぶつぶつ言うばかり。彼に触ると叫び声を上げて飛び出してしまいます。


それでもシスリーおばさんは敏感に彼を観察し、次の様に言います。

「あの子は神様から他の人にはない力を戴いているんだと思う。悪いことや人の死まで分かるんだよ。」

ジュードはここの働く仲間の一員であり、彼の存在は皆に寛容な心を育てています。


現在でも発達障碍を告白している人々の中には、特別な才能の持ち主がいます(アインシュタイン、スティーブ・ジョブズ、スティーブン・スピルバーグ、トム・クルーズ…過去ではモーツァルトも)


発達障がい者の居る家族からは「そんな才能は無い」と言われるかもしれません。

きっと特別な能力は必ず持ち合わせていて見つけられないだけ。神のみぞ知り、こちら側から彼を見ればそれを知ることが出来るのに、と見えない誰かが言いたげな気がするのです。


ペネロピーはジュードから小さな糸巻き人形をプレゼントされ、いつも持っていました。


ペネロピーを敵のスパイと疑っていた女性が、荒れ果てた小屋の地下穴に彼女を閉じ込めてしまいます。夢の中で助けを求めると、ジュードだけが探し当てて助けに来ます。


「あの糸巻き人形が彼の心に触れたと確信します。彼も時を越えていける心でした。」


サッカーズにある泉から涌き出た水は豊かな川になって流れます。おじさんはペネロピーに言います。

「背後に隠れた水の力がある。命と同じで人間を苦難と闘わせ負けずに頑張らせる力がなければならん。サッカーズの泉は枯れることはない。いつまでも。」


人は自然から生きる力を享受している、と教えられます。

自然から人間に与えられた恵みも、今ではその力強さを感じることができず鈍感です。


サッカーズで暮らしてきたタバナー家の先祖は、「果敢に質素に、人に与えて見返りを求めず、人生で経験する辛い出来事も恐れず受け止めて生きてきた。」とペネロピーは思います。


ペネロピーは丈夫になり、タバナー家の先祖と同じ心意気で自信に満ちて生きていくのだろう、という強い意志が読者に伝わってきます。

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