写真展覧会

桜枝 巧

写真展覧会

 静かに開いた自動ドアと緊張感のある空気が、真新しい高校の制服を着た私を出迎えました。目の前には写真が並んでいます。

「わあ……」

 ここは、公民館内にある一室。前方に吊るされた看板には「町の展覧会」の文字。最近住宅地開発のため近くの森から動物園に引越しをした、可愛いリス達のイラストも添えられていました。

「今時一面緑の写真なんて珍しいな。でも季節を先取りしすぎだわ」

 目に入ったのは入口から一番遠い場所にある写真でした。季節は初夏のようで、木がお日様のスポットライトを浴びています。中心には倒れた木の上に座る家族らしきリスが三匹。その後ろにキツネやタヌキ、イノシシなどの動物達が並んで立っています。

「この写真、どうやって撮ったのかな」

 小さく首をかしげます。しかし何故でしょう、私の足はその写真の前から動こうとしませんでした。よく見ればこの作品、タイトルも撮った人の名前もついていません。

 その時です。

「その写真が気になるのですか?」

 振り向くと、後ろに若い男の人が立っています。緑のシャツと茶色いズボンからは、ほのかに森の香りがしたような気がしました。

「はい。何故かは分からないのですが、惹きつけられるんです」

正直に答えると男の人はほほえんで、

「そうだね」

とだけ言いました。回れ右をするとそのまま会場の出口へ歩いていきます。私はぽかんとした状態で、彼を見送りました。

 再び、写真の方を向きます。写真が置かれているのは部屋の薄暗い隅。しかし、他のどの写真よりも輝いている気がしました。

「その写真が気になるのかい?」

 振り向くと、そこにいたのは「展覧会主催者 市長」という札を首から下げた年配の男性でした。

「ええ、そうなんです。自分でも不思議なくらい。市長さんもそう思いませんか?」

すると市長さんは大きなお腹をゆすってこんな下手な写真をかね、と笑いました。

「これを持って来た男性は、どうしてもこの写真を飾ってほしい、と私に直接頼みに来てね。あまりの必死さに折れてしまったよ。いや、失敗だった。展覧会の価値が下がる」

その後市長さんはここがダメ、あそこがダメと散々言ったあげく「ところで君は…」と言いました。私はさっと身をひるがえし、市長さんを置いて公民館を出ました。

 外は春も間近のお昼間だというのにまだ肌寒く、冷たい風が私を通り抜けていきます。出口の前では、あのお兄さんが空を見上げていました。私を見て口元がほころびます。

会話は見た写真のことで弾みました。そのうち私は何故かつい愚痴っぽくなり、

「……って言うんですよ。市長さん、ひどいですよね」

と不満を全部話してしまいました。

「そうかい」

お兄さんは悲しそうに目を伏せました。

「……あの写真、僕の作品なんだ」

私ははっとして彼の方を見ます。

「僕の人生で、最初で最後の一枚だ――」

 ――鋭く冷たい風が私を切りつけていきました。ああ、とお兄さんは笑顔を見せますがその目は苦しそうにゆがめられています。

「必死にアルバイトをしてお金を貯めて、カメラを買って。皆を集めて、『ゲンゾウ』も失敗しつつ自分でやって。やっとできた一枚だ。キツネやタヌキにもたくさん『へんげの葉』をもらって、迷惑かけた。でも……」

 不思議なことを最後は独り言のようにつぶやいてから、男性は改めて私のほうを見ました。澄んだひとみでした。

「それでもいい。君一人だけでも、想いを届けられる人がいたのだから。森の思い出を残すことができた。ありがとう、君に出会えて良かったよ」

その時急に強い風が吹いて、私は思わず目をつぶりました。そして再び開けたとき、そこには誰もいませんでした。……ただ、一匹のリスがそこに座り込んでいる以外には。悲しそうな、優しそうな、澄んだ目をしています。頭の中で彼がカメラを小さな手で一生懸命いじっている様子がぱっと浮かびました。

彼は一つお辞儀をすると、どこかへ走っていきました。おそらくあの写真に写っていた彼の家族のいる動物園でしょう。

 私は小さな写真家に向けて深くお辞儀をしました。小さな彼がさらに小さくなって見えなくなるまで。

 彼が遠ざかるごとに、あの写真の緑が自分の中でより鮮やかになっていくのを感じました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

写真展覧会 桜枝 巧 @ouetakumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ