荒療治

 マティーニを一気に呷り、おかわりを頼んでから、花絵は話し出した。

「私も、少し前に、偶然再会した同級生に告白されたんだ。……むかし付き合ってた人だけどね」


「え……?」

「高校時代のクラスメイトで、ウチの学校のマドンナ」

「……ん……マドンナ……??」

「そう」


 拓海も飲みなよ、と彼女に促された。今度はブランデーをストレートでマスターに頼む。もう強いやつを流し込むしかない。


「私、母親と二人暮らしでしょ。母が離婚した理由、言ってなかったよね。

 父がひどく厳しい人でね。……自分の思い通りにならないことがあると、母を怒鳴るの。そして、当たり前のように殴りつけて……。私に対してもそうだった。子どもなら誰でもやっちゃうようないたずらや、ちょっと嘘なんかついた日には、髪を掴まれて張り倒されたわ。それで、母がまた怒鳴られた。どういう育て方してるんだ、って。

 父の実家は代々医者で、片田舎の名士の家だったみたい。父の兄弟はみんな医者になったけど、父はなれなかった。家族の中で、父自身も冷たく扱われたのかもしれない。家族を持ったとたん、人が変わったようになった……って母が言ってた。

 父には、抱っこしてもらったことも、褒められたことも、一度もなかった。ただ怒鳴られ、殴られて、怖くて、怖くて……」


 花絵は、闇を睨むような暗い眼をしていた。

 俺も、いつしか拳を握りしめていた。

「そして、私が小学5年の時に離婚したの。母が明るくて、逞しい人で、私は救われた。……でも」

 いつもの笑顔に戻り、彼女は言った。

「私には、男は凶暴な生き物にしか見えなかった」


 幼い頃にそんな仕打ちを受けて、平気な人間がいるはずがない。

 目頭がじわじわと熱くなる。男のくせに涙腺が弱い。


「学校は、怖かった。男の先生も、男子の大声も、恐ろしくて仕方なかった……。

 でも、高校でとうとう恋が実ったの。背が高くて、勉強もスポーツも完璧なクラスメイトと」

「……名前は、なんていうの?」

「佐伯ヒロ」

 ……もしかして、さっきの「マドンナ」は聞き間違いか?

「すごい美少女でね。胸も大きくて。こんなにキレイな胸の人いるんだ、って思った」

 そうか。やっぱり。


「彼女は優しくて、大きくて、温かくて……怯えている私を、いつも守ってくれた。

 私たちはすぐに親友になったわ。そして、高2のある日の帰り道……夕暮れの中で、彼女に抱きしめられた」


 ブランデーが唇にひりついた。


「私は少しも驚かなかった。彼女にも、私にも、同じ気持ちがあるって、すぐに気づいたから。それはごく自然な流れだったの。誰がどう見ても私たちは親友。デートして、エッチしてるなんて気づく人いないでしょ?」

そう言って、いたずらっぽく笑う。


 マティーニを少し飲み、ひとつ深く呼吸して、花絵は続けた。

「目指す大学も目的も違ったから、卒業と同時に別れたけれど……私は彼女を心から愛してた」


「……でも、なんで俺は大丈夫だったの?」

 俺は、さっきから急速に浮上したこの疑問を口にせずにいられなかった。

「あなたは、星を見て泣いたから」

「え……?」

「大学の天体観測同好会で、兵庫の国立天文台に行った時。拓海、オリオン大星雲を観測しながら、泣いてたでしょ」

「あ……」


 見てたのか。見られてたのか。


 あの時は、千光年以上も離れた星雲の美しさと遠さが、何だかやたらにかなしくて……意味もなく、泣けてしまったのだ。


「星を観る、たったそれだけで泣いちゃう男なんて、いると思わなかった」

 そう言いながらクスッと笑った。

 ——なのに、花絵の眼には涙が見えた。


「この人ならきっと大丈夫、って、そのとき思ったの」



 そうだったのか。

 花絵のオーラの後ろでほっとしてる俺を見て、彼女もほっとしてたのか……。



「だから……私たち、一緒に暮らしてみない?」

「……!? 花絵、急に何でそうなる……」

「だから、荒療治よ。あなたの気になるその子は、なんていうの?」

「黒崎……優くんだけど」

「じゃ、私と拓海、ヒロと優くん、4人で一緒に!」

 花絵は、すごいアイデアでしょ!というように満面の笑みだ。


「どういう発想……?」

「普通の発想なんかしてても、何も手に入らない。それぞれ大切なものを諦めて、悲しむだけ。今まで生きてて、つくづく思った。

 みんながお互いを必要としてて、別れようにも別れられなくて……そうでしょ?

 なら、すぐに白黒なんか決めないで、みんな一緒に過ごしてみるの。バラバラじゃ得られない何かが、きっと手に入るわ」


 ……そう言われれば、確かにそう……かもしれないが。


「それに、優くん、ひとりきりで寂しいはずでしょ?一緒に笑ったり泣いたりできる人間が一度に3人も増えるんだから。こんなにいい考えないでしょう?」


 ……うん、確かにその通りだ。とんでもなく奇抜なアイデアな気もするが……


「じゃ、計画スタート!私、ヒロにまだ返事できてないから、すぐこのアイデア話してみる。じゃねっ!」

 残りのマティーニを飲み干すと、花絵は早足で店を出て行った。

 いつも通りの突き抜けた楽天さと行動力……ビビリな俺とオリオン大星雲ほどの隔たりがある。



 でも……確かに、「普通の発想」にこだわることに、どれだけ価値があるというんだろう?

 それに、やるだけやってみてからでなきゃ、後からいろんなことを後悔してしまうかもしれない……。


 ビビリな俺は、ビビリなりにくよくよした末、花絵の案に乗ってみることにした。



 黒崎君にも、できるだけ早く話してみよう。


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