ほんとの春を探してみたら

aoiaoi

「平凡でも幸せな春」を棄てる俺!?

俺は、彼女を待っていた。

小さくて静かなカクテルバー。照明は穏やかに落としてあり、バーテンダーの滑らかな手さばきが薄明るく照らされている。俺のお気に入りの店だが、彼女の好みではなかったようで、ふたりで来たのは3年近く前に一度だけだ。

俺は緊張していた。いつもなら最高に美味いソルティ・ドッグも、今日は水のようで、あっという間に2杯目を飲み干してしまった。ネクタイがいつになく苦しく、少しだけ緩めながら、同じものを頼む。


「お待たせ。ごめんね拓海、なかなか仕事上がれなくて」

真木花絵は、約束の時間を40分ほど遅れて現れた。

銀座の老舗百貨店に勤務する彼女は、小柄だがメリハリのある身体に化粧も装いもあか抜けて、いつも人目を引く華やかなオーラを放っている。

一方、平凡なIT会社の平凡なSEである「フツー」な俺——永瀬拓海は、彼女といる時はいつも、彼女の発する光の後ろに寄り添い安心している。…いや、していた。


「花絵、何飲む?」

「もしかして、別れたい、って話?」

「……」

花絵のいきなりの切り返しに、俺は唖然とした。本当に、その通りだったからだ。

「…なんで、分かったの?」

「だって、この店、拓海のお気に入りでしょ?私の焼き鳥とか焼酎に合わせてくれて、ずっと来なかったけど…ここで待ち合わせなんて、別れ話かなって。

 それに、拓海、最近いつも何か違うこと考えてるの、私が気づかないと思った?あ、私マティーニね」

花絵は、あまり表情を変えず、ふふと笑った。


花絵とは、大学時代からの付き合いだ。21歳からだから、もう5年になる。

天体観測同好会で一緒にあちこちへ出かけるうちに、同い年の彼女と惹かれ合うようになった。いつも明るく、活発で楽天的な花絵は、基本引っ込み思案で心配性な俺には太陽だった。むしろ、こうやって俺と一緒にいてくれる彼女は、一体俺のどこがいいんだろう?といつも不思議だった。


そんな、太陽のような女性に自分から別れを切り出すなんて、どういう了見なんだ俺は…?自分でも、さっぱりわからない。

それを、これから彼女に話すのだ。


「…ごめん。…俺、どうしても気になる人がいて…」

「ふうん…やっぱりね」

マティーニが目の前に置かれた。透明な液体の反射で、彼女のくっきりした瞳の中に丸い光の珠ができた。

「どんな子?もちろん、私より若くてずっとかわいいんでしょうね?」

じゃないと許さない、というような目で、花絵は俺を見る。


「……なんだ」

「え?…はっきり言ってよ」

「大学生なんだ。21歳の…男の子だ」


花絵の目が一瞬見開かれた。

そりゃそうだろう。

相手は男なのだから。


しばらく無言の時間を置いて、花絵がセミロングの髪をぐいと搔き上げる。

「…どんな子なの?その子…」

「…ウチの会社の近くの大学2年だよ。文章書いてるって…とにかく、文章を書くのが好きで」

「うん」

「昼休みに、会社近くのカフェでよく一緒になって…俺も、その子も、いつも窓際ばっかり座るから、そのうち顔見知りになって。

ある日、彼が話しかけてきたんだ。『自分の作品を読んでみてほしい』って」

「あなたに?なんで?」

花絵が面白そうに笑う。

「作品を書いても、出版社になんか持っていけないし、ネットなんかで大勢の人に見せられるようなものかどうかもわからないって…友達に見せるのも恥ずかしかったんだろう。俺が人畜無害な顔で本ばっかり読んでるから、何か言ってもらえると思ったらしい」

「あはは。拓海って、宇宙論とか、そんなのばっかりだもんね…でも、ご両親とか兄弟とかなら読んでくれそうなもんじゃない?」

「彼、児童養護施設で育ったんだ…両親の顔も、知らないんだって」

「……」


「作品は、素人の俺が読んでも、平凡なんだよな…何だか可哀想で、『面白かったから、また読ませてよ』って言ったんだ。

それから、昼休みに会えば同じ席に座るようになって、読んでる本の話で盛り上がったり…彼もすごい本好きで、楽しいんだよ…で、俺が会社に戻る時、いつも一瞬、また捨てられる猫みたいな眼になるんだ…すぐ笑って、何でもないような顔するんだけどね」

「……」

俺はまた勢いよくグラスを呷る。


「あの子を助けたい。だんだんそう思うようになった。思い始めたら、止められなくなった」

「…それは、恋愛感情なの?」

「…わからない。…でも、少なくとも彼は、同性しか愛せない。あの子はこれまで、恋を実らせたことがないんだ。生まれてからずっと、独りきりで」

「……」


少し飲みすぎたのか。彼の美しい瞳が頭を離れない。

「彼が望むなら…俺がずっと側にいてやりたい」

勢いに任せて口を突いたこの言葉に、俺は唖然とした。

彼が望むなら、俺が——はっきりと、そう思っている自分がいる。


マティーニを大きく一口飲んで、彼女が口を開いた。

「ずいぶん魅力的な子みたいね…。で、私のことはもうどうでもよくなった?」

「それは違う」

思わず大声になった。

俺にも、わからなかった。こんなに大切な人を、なぜ悲しませるようなことになっているのか——。


花絵は、俺の眼の奥を、じっと見つめていた。いい加減なことを言っている訳ではない、と気づいたのだろうか。

「…拓海の気持ち、わかった」

花絵は、静かに言った。

「それなら…私も、話があるの」

花絵は、真剣な眼で何かを考えていた。そして、いつもより一層輝く笑顔を見せた。




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