別れる理由 2
外は暗かった。
しかし、トイレで寝てると言うのはどう見てもホームレスだ。
俺は酔うとホームレスになるのか。
時と場合によっては止むを得ないけど、一晩中でなくてほんとよかった。
ホテルの脇を歩きながらガラス張りの喫茶ルームへ目をやる。
今夜、真紀との話がこんなことじゃなかったら、今頃はここで仲良く二人でお茶を飲んでいたかも知れない。
そんなことを考えたら、少し悲しくなった。
ホテルの中で鳴っていた火災警報器がやっと止んだ。
女子トイレから俺を脱出させる作戦としては、最高の作戦だ。
真紀、お前は顔に似合わずほんと凄いやつだ。褒めてやる。
さらに、みんなが大騒ぎしている最中に、本人は喫茶ルームで澄ましてコーヒーでも飲んでたら最高なんだけど。
目の前に真紀がいた。
なんと、ガラス張りの喫茶ルームでコーヒーを飲んでいた。
窓側のテーブルで一人だ。
俺は手を上げて合図した。
気が付かない。
外は暗いので見えないのだ。
両腕を振り上げ、飛び上がって過激なアクションをしても気付く気配がない。
通行人が、俺を避けて行くので止めた。
冷静にコーヒーを飲んでる真紀に気付かせよう。
携帯を出して電話した。
突然の俺の電話に驚く真紀が見えた。
コーヒーカップを置いてスマホを取った。
面白い!こっちから真紀が丸見えなのに、真紀から俺が見えない。
俺は歩道に仁王立ちになって、大胆不敵なポーズを取った。
「トイレ出れただろ。まだなんか用があるのか。十万円は明日の朝、私の口座に振り込んどけよ」
いくら助けたからって、そんな言い方はないだろ。
俺はムカついた。
こうなったら何が何でも、理由を聞く。蒸し返しだ。
「だから、別れる理由聞きたい」
「お前しつこいな。そんなんだから出世しないんだ。そっちで適当に考えろ」
「お前の口から聞きたい」
「もう別れちまったんだから、いいじゃないか。終わったこと」
「言わなきゃ、別れるのやめる。真紀はまだ俺の女だ」
「いったんオーケーしといて、汚いぞ」
「ああ汚い。言わなきゃもっと汚くなる」
真紀は沈黙した。
そして静かに言った。
「なんでそんなに、理由にこだわるわけ」
「真紀が言わないからだ。言ってくれたら、即納得する」
「じゃ言うよ。新しい男が出来た」
叩きつけるように真紀が言った。
嘘だね。
新しい男が出来たなら、真紀は一人でコーヒーなんか飲んでない。
このホテルは、真紀に取っても俺に取っても特別なホテルなのだ。付き付き合い始めて最初に二人で泊まったのがこのホテルだった。
二人の誕生日、クリスマス、バレンタインディ・・・嬉しいこと悲しいことがあるたびに二人でここへ泊まった。
いつか来くる二人の結婚式もここで挙げる約束だった。
だから今夜泥酔した俺が、無意識にここへ来たのが分かる。
その真紀が俺と別れたあと、新しい男が出来たと言う。
有り得ない。
現に目の前の真紀は一人だ。
俺は真紀と言う女をよく知ってる。
「なぜ無理して嘘つく。言っとくけど、本当のことを言わなきゃ、別れは取り消しだぞ」
「うそじゃない。いまも目の前にその男いる」
俺は真紀の嘘を無視して言った。
「俺とお前は、まだ恋人同士だ。そいつ、消えろ!」
「迷惑!」
「本当のことを言え。言わなきゃストーカーになってつきまとう」
真紀がグラスの水を飲んだ。
「わたしよりふさわしい女の子が、いっぱいいるだろ。なんでそんなに私にこだわるんだ」
「なんでそんなに理由を隠す。理由を隠すなら、隠す理由を言え」
「ああ、面倒くさい男だね。それを言ったら、別れてくれのか」
「速攻で別れる」
「じゃ言う。明日入院だ。癌の詳しい検査なんだけど、もう長くないって」
頭にガツーンと来た。
最高にタチの悪い冗談だ。
「血液の癌。凄くたちが悪いらしい。あと二か月しかもたないって」
そう来たか。それで俺が尻込みすると思ったら大間違いだ。
「病院はどこだ」
「癌センター。担当医師は今泉孝雄」
「いつからかかってる」
「先月から。信用しないなら、セカンドオピニオンにかかるって言って、カルテの写しと検査結果をもらってこようか」
俺は言葉を失った。
最高にまずい。
これは本当だ。
真紀が癌!まさか、そんなことつてあるか。俺の想像外だった。
だって真紀はまだ二十七だぜ。
癌て基本的に老人がかかるものじゃないのかよ。
「言ったわ。これで別れてくれるわね。約束よ」
「で、真紀はどうしようって言うんだ。俺と別れてどうする」
「今までいつも正樹が一緒で、一人で考えたことなかったから、これから一人で考える」
「俺も考える」
「やめてよ、別れるのよ。もう私には関わらないで」
「別れるのは取り消しだ」
真紀が絶叫した。
「なんでよ!邪魔だから居なくなってって言ってんのが分かんないの。愛とか恋じゃないのよ!あなたの存在がうざいのよ。消えて!」
レストランの客たち全員が、真紀を見たのが分かった。
そして、今度は静かに言った。
「お願いだから消えてよ!」
次は消え入るような小さな声だった。
「・・・一人で死にたいの」
「野良猫みたいにか。誰も知らない場所で一人で死にたいのか。本当にそれが望みなのか」
真紀が泣いているのがわかった。
俺に見られているとも知らずに。
「悪い?一人切りで死にたいの。正樹のいないところで」
「嘘だね。新しい男が出来たというのも、一人切りで死にたいと言うのもみんな嘘だ。嘘でなけりゃ、どうしてお前はそこにいるんだ。このホテルは、俺とお前の思い出がいっぱい詰まっだ場所だ」
真紀が嗚咽した。
電話から押し殺した号泣が漏れる。
「俺だってお前と別れて酔いつぶれたら、ここにいた。正体なくしても、ここにいたんだ」
俺は携帯で話しながらホテルへ向かって歩きだした。
真紀には俺の姿が見えていない。
通りの俺のいた場所に向かって話している。
「分かったわ。全部分かった上で、改めて正樹にお願いする。私を一人にして欲しい」
俺は出て来た脇玄関を入り、レストランへ向かった。
「これまで付き合って来てよしみでお願いするの。私から離れて」
レストランの黒服の案内を無視して、真紀の席へ向かう。
「死にかけた野良猫だって、俺は一匹にはしない。迷惑だろうが最後まで抱いていてやる。俺の温もりで抱きしめてやる」
真紀の背後に立った。声を殺して真紀が号泣していた。
「私を、最後まで抱きしめててくれるって言うの」
「あたりまえだ。同情や哀れみじゃない。お前が好きだからだ」
「なぜ夕方別れた時に、本当のこと言わなかったと思う」
「かっこつけたかったんだろ」
「もう助からないと言われた女が、恰好つけてどうすんの」
「じゃ、なぜだ」
「正樹が怖気をふるって、尻尾巻いて逃げる姿見たくなかったから。怖くてガタガタ震えあがるのは、私一人でたくさん」
「見くびられたもんだな。別れて安心したか」
「気持ちはありがたいけど・・・」
ウェイトレスがメニューを持って来た。
俺は真紀の向かいに座って、同じコーヒーを頼んだ。
驚いた真紀の眼から、新しい涙があふれた。
俺も泣きたかった。
当然のように年下の真紀は俺より長生きし、いつまでも元気でいると思っていた。
二十七才で癌だ死ぬなんて、そりゃねェだろ!理不尽過ぎる!でも、人生はもともと理不尽なものなんだ。
神や仏がいるとしたら、やつらは理不尽のかたまりだ。
信長の何十万もの仏教徒大虐殺を見ろ。
ヒトラーの何百万ものユダヤ人ホロコーストを見ろ。
神も仏もそれを無視しやがったんだ。
信用できるかよ!
だが、俺は最後までお前のそばを離れない。
コーヒーを飲み終わったら、フロントへ行って部屋を取ろう。
もし空いていたら5207号室を。
これまで何十回も二人でここに泊まった。
泊まる時は、いつも5207号室。
その日塞がっていたら、予約しておいて空くのを待った。
嬉しいこと、辛いこと、悲しいこと、悔しいこと。
5207はそんなことのあった時、二人が泊まった部屋だ。
二人の思い出の部屋なんだ。
真紀が理由を言ってくれて俺は嬉しかった。
癌がなんだ、死ぬのがなんだ!
これから真紀と俺の本当の人生が始まる。
俺は涙の真紀と見詰め合っていた。
別れる理由 @kazuya
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