第2話 蘇って超人
深く、暗い水の底へ沈められるような感覚。
それが永遠に続き、果ての無い水底へ落ちていく。
このまま落ちて行ってはいけない。克二の中に残された生存本能が告げる……だが、だからと言って何ができるのだろうか?
この冷たい水底には何もない。
足掻こうと手足を動かしても、抗えない引力によって落ちていくのみ。
やがて、避けられない微睡と共に、無数の白く、長い手が克二の体を掴み――――
「って、童貞のまま死ねるぁあああああああああっ!!」
克二の肉体から湧き上がる紅蓮の焔が、それを焼き払った。
冷たい水底を沸き立たせ、蒸発させ、全てを気化させんばかりの熱力。やがてそれは克二の右腕に収束し、一本の抜き身の刀身を象る。
刀身は透き通った真紅のまま、鍛え上げられた刀として克二の右手に留まった。抜き身の刀に柄が形成され、克二がそれを握りしめる。
「う、おぉおおおおおおっ! 高級ソープゥううううううううう!!!」
そして、最低の掛け声と共にその刀を振るった。
そこで、克二の奇妙な臨死体験は終わる。
●●●
「すみませぇん! 巫女さん二時間コースでお願いしまぁああっす!」
「うわぁ、生き返ったと思ったら、色々最低な事を……」
克二の意識が覚醒すると、周囲は教室では無かった。
体は敷かれた布団に入っていて、周りには畳と襖で、天井は木目調だ。あからさまに、明らかに和室である。
そして、克二の姿も女子の制服では無く、深い緑色の甚平だった。
「…………えっと、ここは?」
やっと現状の不可解さに気付いたのか、克二は思わず疑問を口にする。
「ここは私の家だよ、馬鹿な人……いや、多々良克二君」
その疑問を拾ったのは、布団の傍で控えていた着物姿の少女――雨宮沙織だ。
沙織はどこか安堵したような微笑みを浮かべ、克二へ問いかける。
「克二君。君は、どこまで覚えている?」
「どこ、まで?」
沙織の問いかけによって、克二の脳裏に記憶がフラッシュバックする。
罰ゲームを賭けたギャンブル。
廊下を走る女装姿の自分。
生徒たちが倒れ伏す、異常な教室。
灰色髪の青年と、雨宮沙織の姿。
そして――――
「そうか、高級ソープで巫女さんコースを選んだのは、夢だったんだな」
「うん、君の夢の中の話までは知らないよ?」
「…………流石に、冗談だ」
克二は肩を竦めて、微苦笑して見せる。
それも仕方がない。冗談の一つでも言ってみなければ、この状況を理解など出来ないのだから。あるいは、全て夢だったのだと思い込めれば幸せなのかもしれない。
けれど、甚平の胸元をずらせば、すぐに夢では無いことぐらいは嫌でも自覚させられてしまう。なぜならば、そこには傷痕が、心臓に風穴を開けられた名残りがあるのだから。
「俺は確か、胸に風穴を空けられて……多分、死んだ、よな?」
「うん、即死だったよ…………ごめんね、私の事情に巻き込んで」
「それは別にいいんだが……いや、良くないけど。とりあえず、置いといて……なんで、俺は今、生きているんだ? それに、あの灰色髪の奴は一体?」
克二の疑問に、沙織は静かに頷くと説明を始める。
「まず、これから話すことは全て真実だから……決して、冗談でもなく、本当の事だから。どうか、最後まで聞いて欲しい」
沙織の語った内容は、克二にとって信じがたい物だった。
世界に満ちた謎のウイルス、レネゲイドによって人類が異能の力を得たこと。
灰色髪の青年も、そして、沙織もそのレネゲイドに感染した異能力者――オーヴァードであること。
克二の胸に風穴を空けて殺した力も、克二を蘇らせた力も、レネゲイドによる異能だということ。
「…………本当だったら、これは知らなくても良い世界の真実なんだ。それを知るということは、決して幸運な事じゃないし、何より……」
沙織は淡々と、後悔を押し殺すように呟く。
「克二君。君も、私と同じオーヴァードになってしまったのだから」
「俺が、異能力者……オーヴァード、に?」
沙織に告げられたとしても、克二にその実感は無かった。
何せ、何も変わってなどいないのだ。胸に傷痕があるぐらいで、体調に異変は無い。むしろ、起き上がった後の方が、調子が良いぐらいだ。
「すぐには実感できないと思う。普通の覚醒よりも、私の『それ』は、安定しているから。でも、一度異能を使えば、いや、使わなくても段々と自覚してしまうと思う」
「んー、そういうもんかね?」
「…………うん、だけど、大丈夫」
首を傾げる克二に、沙織は安心させるように微笑んで言う。
「この世界には覚醒したオーヴァードを助けてくれる組織が存在するから。とりあえず、そこに君が所属すれば、この後も普段通りの日常を送れると思う。ちょっと、訓練とか呼び出しとかあるかもしれないけど、うん、それ以外は大丈夫なはずだから」
「…………そう、か」
沙織の言葉に、克二が安堵したのは嘘では無かった。
けれど、それだけでもない。拭いきれないような不安、あるいは、違和感が心中に引っかかっていたからである。
灰色髪の青年。
己を殺した相手。
あれは確か、沙織を狙っていたのではないだろうか? そして、『日常を壊す』と宣言してはいなかっただろうか?
「今日はもう遅いから、ご飯食べたらお風呂に入って、ゆっくり休んでね。うん、今日は家に泊まっていって。君のご両親には学校からちゃんと話してから」
「まぁ、わかった。そうする」
美少女の家にお泊りというイベントだというのに、克二のテンションは全く上がらない。
明らかに、目の前の沙織は無理をして元気を装っている。何か問題を抱えている。だが、だからと言って、克二に何ができると言うのだろうか?
異能者に覚醒したからと言って、克二は己が戦えるとうぬぼれていなかった。
自慢では無いが、多々良克二は凡人だ。幼少の頃から、武術を習っていたりとか、そういう特殊な設定は何もない。強いて言うなら、カバディ世界大会で三位という成績を残す程度のささやかな個性しかないが、それが戦闘で役に立つとは思えなかった。
むしろ、何かしようとして、足を引っ張るのがオチだろうと、克二は身の程を弁えている。
「…………なんか、悪いな」
「なんで、克二君が謝るのさ? ふふ、馬鹿な人だね」
「毎回思うんだけど、それって女子の間での通称なの?」
だから、この話はこれで終わり…………そのはずだった。
――どごぉん!
夜の帳を引き裂くような、家屋が揺れるほどの爆発音が響き渡る。
「な、なんだ!?」
「…………あの人とは別のFHが攻めてきたか」
沙織は一人で覚悟を決めたように頷くと、そのまま襖を開けて中庭へと飛び出していく。
「君はここで待ってて!」
「いや、待ってるのも正直不安!」
沙織の後を追うと、克二は常識では測れない光景を目のあたりにした。
爛々と燃え盛る紅蓮の炎。
燃え盛る炎で、にたにたと邪悪な笑みを浮かべる、赤髪で黒スーツの青年。その背後には、狐の仮面を付けた黒装束の者たちが五人ほど。
「雨宮ちゃぁあああああああん! 俺でぇえええす! 『ダーディ・ボム』様の登場でぇええええす! 歓迎してほしいなぁ! ああん!?」
ダーティ・ボムと名乗った男は両腕から炎をまき散らし、べろりと舌を出して見せた。
「FHのエージェント……どうして、ここが!? UGNの護衛は!?」
「あああん!? あんな雑魚ども、俺に敵う訳ねーだろうがよぉ! ひはっ!」
ひはっ、ひはっ、呼吸困難な患者のような、息苦しそうな笑い声。けれど、それは病気では無い。ただ単に、これから巻き起こす虐殺を思い浮かべて、笑いが止まらないだけだ。
「そんなわけでぇ! 俺と一緒に付いて来いよ、神降ろしの巫女様ぁ!? 来ないんだったら、そこのガキから……いいや、どうせなら派手な方がいいな! よぉし、お前が来ないならそのガキごと、ここら辺一帯を吹きとばぁす!」
「そんなこと、させるわけが――」
「舐めんなよ、非戦闘員が」
沙織が抗うようにダーティ・ボムを睨んだ次の瞬間、再び爆音が響いた。すると、沙織の横の地面が、半径一メートルほど、ごっそりと爆発によって吹き飛ばされている。
「勝てるわけねぇだろ。テメェは俺の背後に控えるジャーム共にすら、勝てねぇ……だってのに、まだそういう目をしやがるんだもんなぁ、気に入らねぇ」
「当たり前だ! 私は、絶対に――」
「気が変わった。お前の横のガキは、今すぐ殺す」
「おっふ」
ダーティ・ボムに殺意を受けて、まず克二が思ったことは『またかよ』という、どこか感覚がマヒした感想だった。
また、よくわからない内に殺されてしまうのか、と。また、ピンチになっている女の子が、隣に居てどうにもできないのか、と。
「克二君、逃げて!」
克二は理解している。
いくら異能を得ても、自身の凡庸な戦闘能力では何も出来ないことを。
理解して、けれど、それでもと、克二は拳を握った。
「逃げないよ、雨宮さん。そりゃ、俺なんかがどうにか出来るか? って言われたら、無理だろうけど。でもさ、ここで逃げるのは、無いと思う」
「克二君―――」
「うぜぇな、死ね」
別れの言葉も許さず、ダーティ・ボムは爆炎を放った。
それは克二の全身を吹き飛ばしてもお釣りがくるほどの威力で、後に残るのは、深く地面を抉ったクレーターだけ…………そうである、はずだった。
「…………テメェ、何をしてやがる?」
吹き飛ばされるはずの克二は、無事だ。それどころか、放たれた爆炎を、克二の全身から湧き出る白色の焔が飲み込んでいる。
白色が紅蓮を塗りつぶし、夜空さえ照らす光量で燃え盛っている。
「ふっ」
白色の焔を己自身に灯している克二は、ニヒルに笑う。
「俺にも、さっぱりだぜ!」
笑って、そして、駆けだした。
爆炎すら飲み込む、白色の焔を纏って。
「ちっ! お前等、このガキを殺せ!」
ダーティ・ボムの命令を受けて、黒装束たちは動き出す。
自らの異能に飲み込まれ、理性を失った存在――ジャームたちは、命じられるまま、異能を行使する。
巨大な狼に変身する者。
歪な触手を生み出す者。
紫電を纏う者。
明らかに異常な力を行使する黒装束たちは、その力を持って、身の程を知らないガキを蹂躙しようとして、
「焼き尽くす」
何も出来ずに焼け死んだ。
克二が振るった焔に飲まれて、灰すら残さず焼却される。
「この炎! ただのサラマンダーシンドロームじゃねぇな、お前! そうか、それが、それこそが神降ろしの巫女の異能ってことかよ! ひは! 面白れぇ! なるほど、こりゃあ確かに、やり方によっては――世界を獲れる力だろうよ!」
「ぐ、ぬぅ!」
克二はダーディ・ボムへ焔を振るうが、爆炎によって吹き飛ばされてしまう。
収束の甘い力は、より高度な異能の操作によって封じられ、攻撃が届かない。それどころか、次々と爆炎を放って、克二の肉体を揺さぶっている。
「どうしたどうしたぁ!? もっとテメェの力を見せてみろよぉ!」
「ちょ、いたっ! マジ痛い!」
悲鳴を上げながら、揺さぶられる頭で克二は思考する。
力が必要だった。せめて、武器が。白色の焔の威力を、そのまま収束させて、相手に届かせるための武器が、必要だった。
「…………そうか」
脳裏に過ぎるのは、真紅の刀。
死の微睡を振り払いし、炎神の一刀。
「戦闘経験とか、そういうのは、必要なかったんだ」
克二は己に与えられた、異質な異能を自覚する。
多々良克二という少年は、生まれてこのかたまともに喧嘩すらしたことのない貧弱坊やだったはずだ。けれど、現在は他者を殺すことに躊躇いなく、初めて使う異能に戸惑いすらない。
まるで、それが『多々良克二』という生物に刻まれた、当たり前の本能だとでも言うように。
ならば、答えは簡単だ。
力が欲しいのならば、望むまま引き出せばいい、己の中の『神』から。
「来い、カグツチ」
呼びかけと共に、白色の焔が紅蓮へと変化する。
それはやがて刀身を象り、真紅へと色を深める……そして、克二の右手に一振りの刀が握られていた。
炎と鍛冶の神によって創り上げられた、神殺しの刀が。
「なるほど、モルフェウスも規格外かよ――――」
目を剥くダーティ・ボムへ、克二が瞬間移動の如き速さを持って、肉薄する。本能に刻まれた戦闘技術、その中に含まれた歩法によって、ダーティ・ボムへと踏み込む。
「一刀奉納――高級ソープ・巫女式」
克二は、己にとっての力ある言葉と共に刀を振りぬく。
ダーティ・ボムの肉体は、焼けたバターのように袈裟型に斬り裂かれ――しかし、それでも浅かった。
「やべぇ、やべぇ! その力はやべぇな! ここは一旦、撤退だぜぇ!」
流れ出す血液にも、構わず、ダーティ・ボムは自身ごと巻き込んで、爆風を発生させる。
「くっ、待て!」
「待てねぇよ、ばぁか!」
ダメージも構わずに、少しでもこの場から離れようと爆発を連鎖させ、そして――
「目標を確認。これより排除する」
何処からともなく飛来した弾丸によって、その心臓を撃ち抜かれた。
「――あ?」
ダーディ・ボムが何かを思考する前に、次の弾丸によって頭部が破壊される。次は腕、足、胴体……容赦ない銃弾の雨が、ダーディ・ボムの亡骸を消し飛ばす。
胴体を失くした肉体が、銃弾の余波で翻弄される姿は、さながら死の舞踏だ。
「対象の沈黙を確認……状況終了です」
銃弾の雨が止んだ後、克二と沙織の前に一人の少女が姿を現した。
黒のショートカットに、水色の瞳。背丈は低く、百六十センチにも満たない。
だが、ダークスーツに身を包み、その右手には無骨な大型拳銃が携えられている。どう見ても女性に扱えるはずがない大口径の代物だが、何故かその少女の手にしっかりと馴染んでいた。
「私の名前は水無月 優枝(みなづき ゆえ)。UGN日本支部から、貴方たちの護衛に派遣されたエージェントです。コードネームは『シルバー・バレット』。どうぞ、よろしく」
淡々とした無機質な言葉を並べ、秩序の番人が現れる。
彼女は欲望を否定し、日常を守る守護者だ。
されど、油断することなかれ。
秩序とは――――常に、大多数の幸福を守る物なのだから。
●●●
GM 必殺技の名前が最低な件について。
伊藤 それが彼にとっての力ある言葉だったんだよ。死の淵から蘇るための欲望だったんだ。
佐藤 そんなことよりも、俺がようやく登場。
GM お前は美少女のロールプレイが好きですからね。
佐藤 おうよ、無表情系クール美少女は俺の初恋。
伊藤 振られたらしいけどな。
GM ざまぁ。
佐藤 ちょっと外出ようぜ、久しぶりに切れちまったよ。
だぶくろ! @kumomusi
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