第2話 隠者

 そうして、ぼくはこの世界が抱え込んだ厄介ごとにとことん付き合わされるはめになる訳だが、そのことに気が付くのはすべてが手遅れになってしまった後のことだった。

 まあ、別の側面から考えてみてると最初からすべてが手遅れだったのかもしれないが………。

 そんなことを言っても詮無きことである。

 ぼくが望む、望まぬに関係なくすべての物事は勝手に流れていくのだ。

 それを表現するならば、ぼくは自分のなかでもっとも嫌いな言葉を用いらなければならないが。

 つまり、運命だと―――。


★ ★ ★


 地面が揺れるような感覚がして目が覚めた。地震か? と思ったが、どうやら違うらしい。突然のことで状況がよくわからない。唯一、理解できるのは、現在ぼくは目隠しをされて後ろ手に手首を縛られていて、おまけに口には布を銜えさせられていることぐらいだった。おかげで非常に腕が痛い。

 どうしてこんなことになったんだろう?

 確かぼくは散歩とリハビリを兼ねて病院の一帯をうろついていたのだった。

 人っ子一人いない、どうしようもなく終焉を迎えた街をぼくは歩く。

 途中、目についたコンビニに入り食料を物色する。

 弁当などは相当の時間が経過しているため腐り果てていて、食えたものではないが、インスタント食品などは食えるものが多く非常に助かっていた。

 現代技術万々歳だ。

 そこで、ぼくは改めて滅び去った街をみる。

 ぼくが眠っている空白の期間に日本という国は滅びを迎えてしまったらしい。

 と言っても別に戦争で滅んだ訳でも、暴動が起こって滅んだ訳でもなかった。

 それは、突然巻き起こった。

 最初は数人の纏まった人間が一斉に不自然な自殺や事故死をしたことから始まった。ただ、そんな出来事は混沌とした現代社会ではよくある出来事だと誰も気にも留めなかったようだ。現に新聞でも一面の隅っこに小さく取り上げられた程度だった。

 だが、そこから日本という国は滅亡の道を邁進していくことになる。

 その事件を境にぽつぽつと不可解な事故死―――普通自動車の交通事故に留まらず電車の横転事故や大型バスによる多数の車を巻き込んだ玉突き事故、挙句の果てには飛行機墜落事故などなど。ちなみに飛行機は某県某市の繁華街に景気よく墜落し日本史上最悪の飛行機事故となってしまった―――突然の自殺が発生し、最終的にはねずみ算式にそれはもう爆発的な勢いで事故死や自殺が横行し、この事態にようやく重い腰を上げた日本政府は慌てて非常事態宣言を発令するが、その時にはすべてが手遅れとなってしまった後だったようだ。

 そして、追い打ちをかけるように新たな事態が発生する。

 大迫さんや香月を襲った存在の大量発生だ。

 それらは、滅びかけの日本において壊滅的な被害をもたらし、最早復興不可能なほどの深刻な大ダメージを与えたのだった。

 さらに、性質の悪いことにそれら異形の怪物達は日本を壊滅させただけでは満足できなかったらしい。

 世界各国に連中は侵攻を開始した。

 結果、約72億いた世界の総人口は現在は3億人ぐらいまでに数を減らしたそうだ。

 ちなみに3億という数字は辛うじて生還した国連の生き残りの連中が調べた統計らしい。

 その3億人の人類はどこに行ったのか? という話だが、現在まともに機能している国家はアメリカだけのようだった。というのも、各国が怪物達に襲撃されるなかアメリカだけはワシントンを中心に巨大なシェルターを建設し徹底して国防に腐心したのだった。その結果、世界中で唯一国家として生還することができたのだった。そこに人類が集合するのは当然の帰結と言える訳で、全人類の統計を取るのは比較的容易といえた。

 これが、ぼくの現在知り得る―――新聞やインターネットを駆使して調べ上げた―――人類の現状だった。

 そんな状況でよく無事でいられたものだと自分自身の悪運の良さに別に感謝するでもなく家路を急いだ。

 ぼくは酷く腹が減っていたのだ。

 空腹。

 生物なら大抵感じるであろうこの苦痛を解消するには、ただ一つの行動をとるしかない。

 そう、誰もが知ってるあの方法だ。

 その行動を起こさなければどんな生物であれ、確実に生命の鼓動を止めてしまうことになるだろう。

 つまり、飯を喰うのだ。

 ぼくの空腹の具合はかなり深刻で、気を抜いたらぶっ倒れてしまいそうだった。なので、いますぐにでもプラスチック製のかご―――コンビニから拝借してきた。ちなみにかごの中は大量のカップラーメンが詰め込まれていた―――の食料を喰う必要があったが、それを喰うために絶対的に必要なものがここには不足していた。

 そう、お湯だ。

 それも、熱湯がカップラーメンを美味しく頂くために絶対に必要だった。

 そして、熱々のお湯が手に入るのは、ぼくが住処として使っている廃病院しかないのだ。

 これはもう、急いで帰る以外の選択肢は存在しない。

 だから、ぼくは注意が散漫になっていたのだろう。

 突然の衝撃と共に意識を闇へと手放した。


 そして、現在に至る、というわけだが………。

 うまく状況を把握できないので、このあいだ覚えたばかりの思念通信を使うべく意識を集中させる。

 ………一応は成功したようだが、なんなのだろうか? この状況は。

 巨大な反応を二つ感知できたが、二つとも、ものすごいスピードで移動しているのが理解できる。

 一つは一定の距離を維持しつつ後方に常にくっ付いているし、一つは上空を俯瞰するように飛んでいるようだ。

 明らかに大迫さんと香月だと推定できるが………。

 ひょっとしたら、ぼくは何者かに拉致されている最中なのかもしれない。

 そう判断できる理由は二つ。

 まず、一つは、車に乗ったことのある人間なら必ず経験するであろう何とも言えない浮遊感と車体が急ブレーキをかけた時の慣性で前方、後方に体が引っ張られるような―――それこそ体が蹂躙されるような―――感覚。

 もう一つは、大迫さんと香月との距離が一定の距離を保ち続けていることの不自然さ、といったところだろうか。

 とりあえず、大迫さんか香月に呼びかけようか―――

「ねえ、あなた、目が覚めたの?」

 ぼくの思考を遮るように何者か―――まあ、当然ぼくを拉致した犯人だろうが―――に声を掛けられた。声の高さから女性だと推測できる。

 咄嗟に声を出そうとするが、口に銜えさせられている布のせいで、情けないうめき声しか出すことができなかった。

 それでも、彼女は十分だというようにまず、ぼくの目を覆っていた布を外し、今度は口を開放してくれた。そこまで開放してくれた彼女もさすがに腕の縛りまでは外してくれないようだった。残念だ。

 ぼくをこんな目に遭わせた下手人の顔を拝むべく、いままでじっと瞑っていた瞼を開けて自らの眼球を光の世界に開放する。

 そこには、なんの変哲もない金髪、碧眼の白人女性がぼくの顔を覗き込んでいた。容姿は長身でスレンダーで如何にも鍛えこんであるのが素人目にもわかるほどに体全体が引き締まっていた。

 その引き締まった体をタンクトップ一枚と下はミリタリーの迷彩ズボンで着飾っていた。

 顔の造りはというと………正直よくわからなかった。

 外国人の顔なんてみんな同じように見えるのだ。さすがに性別の判断は出来るが、それ以外のことなんてはっきり言ってこのぼくにわかる訳がないのだ。

 それに、いまのこの現状からすれば、そんなことは本当にどうでもいい些事な事柄だ。

 何故なら、目の前の彼女はいつでもぼくの首の大動脈を切り裂けるよう、ナイフを首筋に添えているのだから。

「―――いい目をしているわね」

 緊張した空気が流れる重苦しい雰囲気のなか先に口を開いたのは彼女だった。

「ねえ、知ってる? 正体不明の何者かに誘拐された人間の目っていろんな負の感情が垣間見れるものなのよ?」

 ぼくに語り掛けるように彼女はそう切り出した。

「不安、焦燥、恐怖、そして諦観、果ては絶望。普通の人間はなにもしゃべらなくてもその眼だけでそれらの負の感情を表明することができる。でも、あなたは違うようね。あなたの目には一切の感情が読み取れない。透き通った綺麗な―――そう、あなたの目はまるでブラックダイヤモンドのよう。感情に濁ることがない、いつまでも綺麗なままなのでしょうね。それとも、初めからなにも期待していないのかしら?」

 歌うように彼女は言うと今度は通信機を片手に状況は? と短く言い放った。

『姉御、やっぱそのガキでビンゴだぜ。タイプ・サキュバスにタイプ・ヨルムンガンドがやべえ剣幕で追っかけて来やがる。ちくしょう!』

 通信機から耳障りなノイズ音と共に男性と思しき人物の叫び声が聞こえてきた。

 タイプ・サキュバスにタイプ・ヨルムンガンド?

 恐らく、香月と大迫さんのことなのだろうが、サキュバスはともかくヨルムンガンドはさすがにないだろう、と心のなかで突っ込むだけに留めた。

 ヨルムンガンドといえば、世界を飲み込む巨大な蛇だったはずだ。大迫さんはどうみても西洋のドラゴンにしか見えないし、そんな姿の大迫さんを捕まえて蛇だというにはかなり違和感を覚えてしまう。

 まあ、別にどうでもいいけど。

 ぼくのことをほったらかしにして彼女たちは会話を続ける。

「どう? うまく撒けそう?」

『正直、かなりやべえ。ああ、助けてくれ、神様』

「もし、ダメな時はわかっているわね?」

 暫しの沈黙の後、

『………ああ、わかってるさ。愛してるぜ、姉御。うまく生き延びてくれ』

 男は絞り出すように言葉を紡ぎ通信を終えた。

 手に持った通信機をその場に放り投げると彼女は、ぼくの目を覗き込み、

「残念だけど詳しく説明してあげられる時間はなさそうだから簡単に言うわね。これからあなたが辿る運命は二つ。一つはこのまま私たちにおとなしくついてくるか、二つめはここで私に殺されるか、二つに一つよ。

 まあ、お勧めなのは前者だけど。

 私もめんどくさくなくていいし、あなたも殺されずに済む。みんなハッピーになれるわ」

 ただ、一方的にそんなことを言うのだった。

 デット・オア・アライブ。

 まさにこの状況にこそふさわしい言葉だ。

 前者と後者のメリットとデメリットをここで考えてみよう。

 まずは、前者。

 メリットとしては、ぼくの安全は確保されこのまま生き延びることができる。

 デメリットは、このいけ好かない連中についていかなければならないということだ。それにこの姉さんのいなくなった世界で果たして生き続ける意味はあるのだろうか? と思い悩んでいる今日この頃だ。

 こんな訳の分からない連中に従うなんて、ぼくの頭の中のストレスメーターが振り切ってしまいそうになる。

 前者は、思いのほかデメリットが多いようだ。

 次は、後者。

 メリット。

 今すぐに、それこそ驚異的なスピードをもってこの世界とおさらばできる。

 もしかしたら、姉さんに会えるかもしれない。

 まあ、兼ねてより死後の世界なんてものを信じていないぼくがこんなことを言うのは、いささか現金ではあるけれど。

 デメリット。

 本能の警告アラームを無視して死んでしまう。ただそれだけ。

 正直、本能さえ無視すればいつでも死んでしまってもOKなぼくとすれば、デメリットなんてないようなものだけれど。

 生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。

 シェイクスピアの小説『ハムレット』の有名すぎる台詞だが、ほんとに問題になるとは今のこの瞬間まで思いもしなかったのだから驚きだ。

 よし、決めた―――


 

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