◆全の章◆第12話「全てを焼き尽くす炎」

 ユウマはやぐらから下り、人々に紛れながら中央広場の様子を観察していた。

 まだ会場には、大人だけでなく子どもたちの姿もあった。

 月はもう随分高くなっていたが、『みつの祭』が始まるまでは少し間があった。


 視界に黒いものが映ったので目をやると、『協会』関係者の男、つまりセイジ兄ちゃんの養父にあたる男が、『教師』一人ひとりに声を掛けて回っているところだった。


 ユウマは、これまでに何度も繰り返し想像した情景を、もう一度再生した。

 広場に充満する甘い香の匂い。

 朦朧と、恍惚とした人々の群れ。

 投げ込まれる松明。燃え上がる櫓。

 そして、一瞬遅れて起こる大爆発――


 その後のことは、何も考えていなかった。

 『協会』から処分されるくらいなら、自分が仕組んだ爆破に巻き込まれて死のうと思っていた。


 仲間に引き込んだ二人には、祭が終わった後は好きにしろと言ってあった。

 元より生活にちょっとした不満があっただけで、何かのはずみで事件でも起きたら面白い、くらいにしか考えていない者たちだった。

 恐らくユウマに協力した事実は伏せ、今後も何食わぬ顔をしてこの村で生き続けるのだろう。それで良いと思った。


 心配なのはチサトのことだったが、たぶんセイジ兄ちゃんがどうにかしてくれるだろう。そのくらい、するべきだ。


 徐々に子どもたちが帰路に着き始めた。

 『協会』の男が『教師』に付き添われてその場から去っていくのが見えた。

 中央広場の空間が大きく取られ、大人たちは櫓を中心に集っていく。

 甘い香りに混ざって、儀式に臨む人々の汗の匂いが会場を包んでいた。


 もうすぐだ。

 高まる鼓動。ユウマの緊張は頂点に達していた。

 もうすぐだ。もうすぐ、全てが終わる。



 しかし、その時。

 想定外のことが起こった。


退けぇぇぇぇぇ!」


 一人の女が叫び声を上げながら、中央広場へ乱入してきたのだ。


 女は広場の入り口付近に設置されていた松明を手に取り、それを振り回しながら突き進む。

 人々は炎を避けるようにして道を開け、やがて女は櫓の前に辿り着いた。


「みなさん、ごきげんよう!」


 その女は群衆に向き直ると、凛としたよく通る声で朗々と言い放った。


「また性懲りもなくあの忌々しい儀式を始めようってのね」


 ユウマは思わず目を瞠る。

 女が高く松明を掲げた左腕に、見覚えのある木の腕環が嵌まっていたからだ。


 村人の一人が強張った声を出した。


「あ、あんた誰だ……?」


 女は、形の良い唇の端を上げた。


「私はチユキ。この中に、私のことを覚えている人はいるかしら」

「チユキ……? まさかあんた、あの鬼の子の……!」


 彼女は楽しそうに笑った。


「あぁ、あなたの顔は覚えているわ。あの時はよくも殴ってくれたわね」


 松明の炎が突き出される。『教師』はびくりと身を震わせて飛び退いた。


 中央広場は水を打ったような静寂に包まれた。

 誰しもが、その風変わりな服を着た女に視線を引き付けられていた。

 ユウマはあまりの突飛な出来事に、身動き一つ取れずにいた。


「十三年前、私はこの村で死んだ。『懲罰房』に閉じ込められたまま、ね。だから復讐のために、化けて戻ってきたのよ」


 女が高らかに笑う声が、空へ吸い込まれるように上っていった。

 村人たちは皆しばらく魔術にかかったように動けずにいたが、どうにか呪縛を解いた一人が突然、彼女に向かって石を投げた。

 彼女はそれを避けようともせず、まともに左のこめかみで受けた。流れ出した血が、頬と着ている白い服を汚した。


「化けて戻ってきただなんて、嘘だろ! お前、いったい何者だ!」


 石を投げた男が叫んだ。それを皮切りにして、それまで沈黙を守っていた村人たちがそうだそうだと口々に言い募った。

 彼女は流れる血もそのままに、にたりと底冷えするような笑みを作った。炎に照らされたその表情はどこか狂気じみていて、息を飲むほど美しかった。


 彼女は松明を櫓に向けた。


「騒がないで! この櫓に爆弾を仕掛けた。今年の『満の祭』は中止よ。少しでもおかしな動きをしたら、櫓に火を放つわ」


 ざわり、と空気が動いた。


「そんなハッタリ――」

「ハッタリだと思う? 何なら試してみてもいいのよ。きっと後悔する暇もないでしょうけど」


 遠くでカラスの鳴く声がした。それは彼女を助長しているようにも、何もできない村人たちを嘲笑っているようにも聞こえた。


「『協会』の代表者と話がしたい。それ以外の人は、家に帰って。さもなくば、問答無用で櫓に火を放つ」


 その言葉を合図に、半数ほどの村人が逃げ出した。ざわめきと足音の波が大きくなり、そして引いていく。

 人の減った中央広場をぐるりと見渡し、女は言った。


「さぁ早く! 脅しじゃないのよ」


 先ほど動かなかった村人は、『教師』たちに促されて広場の外へ出された。

 しかし、その多くが未だ物陰から遠巻きに様子を窺っていた。


 ユウマは、ただ呆然とするばかりだった。

 一年間練り上げた計画が、花開く直前のつぼみを摘まれるかのように、『彼女』にもぎ取られてしまったのだ。

 そのあまりに想定外の事態が、今も彼の足を地面に縫い付けていた。


 どうしてこの足は、いつも肝心な時に動かないのか。


 ぽんと肩を叩かれた。

 顔を向けると、セイジ兄ちゃんが渋い表情で立っていた。


 今や中央広場には、『彼女』と、二人の『教師』と、櫓から少し離れた場所にいるユウマとセイジ兄ちゃんを残すのみ。


「さぁ早く、『協会』の代表者を連れてきなさいよ。そんなに吹き飛びたいの?」

「ま、待て、話せば分かる――」

「話せば分かる、ですって? 私の言うことなんて、何も聞いてくれなかったくせに。自分たちと違うものを、決して認めようとしなかったくせに!」


 しん、と夜の闇が響いた。

 松明の炎は、怒りに震える彼女の心を映すかのように、勢いを落とすことなく燃え続けていた。


「違いを認めず、変化を受け入れなければ、そこには滅びの道しかない。全てがこの『村』の中で完結していると言いながら、内側からゆっくり腐っていってるだけじゃない」


 彼女の鋭い眼光に貫かれ立ちすくんでいた『教師』の一人が、ようやく口を開いた。


「だから、我々の邪魔をするのか?」


 その問いを受けた彼女は、次の瞬間には慈母のような微笑みを浮かべていた。


「そうよ。何もかも壊してやるわ。そのために私は、戻ってきたの」


 誰も、動けなかった。


「……違う」


 ただ一人、ユウマを除いては。


「違う違う違う違う! いったい何を言ってるんだよ、チィ姉ちゃんは! これは僕の計画だ!」


 『教師』たちは今初めて気付いたというように、ぎょっとしてユウマを見た。

 ユウマは大股で彼女の方へと距離を詰めた。


「何だよ、急に横から出てきてさ! チィ姉ちゃんのせいで全部台無しだよ! どうして――」


 ばちんという大きな破裂音と、脳天に突き刺さるような衝撃が最初だった。

 続いて聞こえたどさりという音が、自分の身体が崩れた音だと気付くのに一瞬を要した。

 更に数瞬遅れて、左頬に痺れるような痛み。

 ちかちかする視界が捉えたのは、つい先ほど自分の頬を打ったらしい右手の握り拳を震わせて立ち、自分を見下ろす彼女の姿だった。


「バッカじゃないの!」


 チィ姉ちゃんは煌々と燃える炎を宿した眼差しでユウマを射抜き、吠えた。


「バッカじゃないの、ユウマ!」


 かつての『鬼の子』という呼び名に相応しい、般若のような形相で。


「あんたね、大事な人を不幸にしてまで、何をしようとしてたのよ!」

「違う、僕は――」

「何が違うのよ! どうして知里ちゃんの手を離したりしたの!」

「……え?」

「自分の無力を他人のせいにして、そのくせ知里ちゃんを他人任せにして、全部めちゃくちゃにして一人だけで逃げようとしたくせに!」


 咄嗟に、言い返せない。


「笑わせないで。知里ちゃんのためだなんて言って、あんたの罪をあの子に背負わせてんじゃないわよ。こんな大それたことするなら、最後の最後まで責任持ちなさい!」


 辺りはしんと静まり返った。

 誰も動かなかった。『教師』たちですらも、その場に立ち尽くしていた。

 飽和状態の丸い月は今、天の一番高い所に座を据えて、彼らの姿を余すところなく照らし出した。


 沈黙を破ったのは、意外な人物だった。


「お兄ちゃん!」


 全力で駆けてきたらしいその少女は、倒れ込むユウマを庇うように、チィ姉ちゃんの前に立ちはだかった。


「やめて!」

「チサト……?」

「イチノセさん、お願い、やめて!」


 引っ込み思案のチサトの大声を、初めて聞いた。


「お兄ちゃんは何も悪くないの。全部、何もかも、私のせいなんだから……」

「チサト……」


 違う。そうじゃない。

 僕が、チサトのことをちゃんと見ようとしなかったから。

 チィ姉ちゃん過去の罪から、チサトから、逃げたから。


 穢れのない純粋な眼差しが、ユウマの方に向いた。


「ごめんなさい、お兄ちゃん……いい子にしてなくてごめんなさい……」


 チサトの大きな瞳から、大粒の雫がぽろぽろと零れ落ちた。


 僕のせいだ。

 僕がチサトを傷付けた。


「チサト、ごめん……ごめんな……」


 チサトを引き寄せ、胸に抱き締めた。

 ユウマもまた、後悔と贖罪の想いが涙となって溢れ出た。


 チィ姉ちゃんが、松明を下げた。それまで張り詰めていた場の空気が、ふっと緩んだ気がした。


 しかし、それもほんの束の間。

 チィ姉ちゃんが隙を見せた、その刹那。

 『教師』の一人が、彼女に飛びかかった。

 松明を奪われた彼女は地面へと突き飛ばされた。

 そこへセイジ兄ちゃんが駆け込んでいき、彼女を押さえ込もうとする別の『教師』を殴り付けた。

 松明を持つ男がそれを止めに入り、四人が揉み合いになる。


 はたして。

 空中に投げ出される松明を、ユウマは見た。

 

 炎は円を描きながら暗闇に緩やかな放物線を浮かび上がらせ、櫓のすぐ足元に着地した。

 あ、と思った時には既に遅かった。

 火は、木で出来た櫓の脚に、呆気なく燃え移っていた。


「早く、逃げろ!」


 その言葉が、自分に似た声で発せられるのを、ユウマは聞いた。

 ユウマは無我夢中でチサトの手を取り、地面を蹴った。

 それを皮切りに、他の人々も弾かれたように走り出した。


 炎は瞬く間に櫓を駆け上がっていった。

 『豊穣祭』の、『満の祭』の象徴だった櫓は、今宵も燃え盛る炎に包まれ、満ちた月を抱く天を焼き、そして――


 空間が、爆発した。


 鼓膜を突き抜ける轟音。

 背中から叩き付ける突風。

 全身を包み込むような熱波。


 身体ごと吹き飛ばされる瞬間、チサトを掻き抱いた。もろとも倒れながら、土の地面に着地した。


 数十秒待って恐る恐る顔を上げ振り返ると、遠くで櫓が火柱となって燃え上がっていた。

 すぐ近くではセイジ兄ちゃんとチィ姉ちゃんが互いに抱き合うような恰好で座り込み、天に届く炎を見つめていた。

 『教師』たちも、それぞれ無事のようだった。


 ユウマが正面に顔を戻すと、目の前に二人の人物が立っていた。

 『追放者』と、もう一人。


「……サエキさん」


 『教師』の一人が、その名を呟いた。

 サエキと呼ばれた人物は、セイジ兄ちゃんを見据えて固い声で言った。


「これはどういうことだ、誠治セイジ

「お父、さん……」


 セイジ兄ちゃんは、擦れた声でそう紡いだ。

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