◇一の章◇第11話「過去、腕環、決意」
佐伯に腕の拘束を解いてもらった後、一ノ瀬はふらつく足で『懲罰房』の外に出る。
「あれ?」
ランプを掲げ、間近で一ノ瀬の顔を見た佐伯が声を上げる。
「その頬っぺた、まさか殴られたのか?」
「あぁ、うん、ちょっとね。下手打ったわ、はは」
「はぁ? 誰にやられた?」
軽い笑いで茶化したのに、返ってきたのは怒りを孕んだ低い声だ。
「えっ……知らない、若い男だよ」
「何だそれ……あいつかな。次会ったら殺す……」
この穏やかな男から普段なら聞くこともない物騒な言葉が出て、少し驚く。
「いや、別に……これくらいなら大丈夫だけど」
「大丈夫じゃないだろ。ふざけんなよあいつら……あぁ、いや、俺のせいだな……ごめん」
苛々と髪を掻き混ぜる佐伯は、何となくいつもとは別人に見える。
一ノ瀬自身も混乱がひどい。
深呼吸を一つ。久々に吸う外気は冷たく肺を満たし、くぐもった思考に芯を入れる。
どうやら自分は日が昇ってから落ちるまでの間、まるまる蔵の中で意識を失っていたらしい。
この『村』で過ごした記憶は、『懲罰房』の暗闇の中で途切れていた。
その次の記憶は、もう自治区の養護施設のシーンだ。
「ねぇ、あの時……十三年前のあの時、あなたとユウマが、私を助けてくれたのね?」
「あぁ、そうだ」
記憶の中の、セイジ兄ちゃんとユウマ。
……ユウマ。
「私たぶん、ユウマに会った」
「あぁ」
佐伯が硬い表情で頷くのを、一ノ瀬はそっと見上げる。
「知里ちゃんの『お兄ちゃん』は、ユウマなのね?」
「そうだ」
記憶の中のユウマは、素直で気の優しい男の子だった。
しかし先ほど出会った若者は、ひどく冷徹な表情をしていた。
ユウマは『協会』に対してテロを起こそうとしている。『村』の体制に、怒りを抱いて。
その歪みの原因を作ってしまったのは、恐らく。
「私のせい、だね」
「違う、君のせいじゃない。俺が中途半端だったのがいけないんだ。覚悟が全然足りてなかった」
「……ねぇ、私が『村』からいなくなってから、何があったの?」
佐伯が眉根をわずかに寄せながら、落ち着いた声で言う。
「君を『外』に逃がした後、俺はユウマに『村を変える』と約束した。『教師』になって、その後『協会』の一員にもなった。だけど俺は、なかなか『約束』を果たせずにいた。そうこうしているうちに、ユウマが可愛がっていたあの子――チサトが、『
思わず言葉を失う。
巻き込まれた、とは、つまり。
「チサトは掟を破ったとして『懲罰房』に入れられた。ユウマはそれに怒り、村の運営に一太刀浴びせようと今日のテロを企てた」
ようやく一ノ瀬の中で話が繋がる。
「なるほどね……それで、ユウマとは話はできたの?」
「いや、拘束しようとしたら逆に殴り倒されて、ついさっきまで縛られてた。仲間がいたみたいでな。祭が始まってから監視が甘くなったんで、自力で縄を解いて見張りを倒して逃げてきた。『懲罰房』の鍵はそいつが持ってたんだ」
「へぇ……」
「かっこ悪いとこばっかだな、俺」
「そんなことないよと言いたいところだけど、まったくもってその通り」
佐伯は軽く吹き出す。
「厳しいな」
「前々から思ってたけど、佐伯はちょっと甘いとこあるよね」
佐伯、と敢えてそう呼ぶ。几帳面なくせにどこか詰めが甘く、優柔不断な警察局の同僚。
「……そうだな。俺は『村』を変えようと思ってたけど、それは生半可なことじゃなかった。『外』へ出て実感した。何もかも甘かったんだ。だから、俺のせいだよ」
その声からは、やりきれない想いが滲んでいる。恐らくそれは、言葉にできる以上の重みがある。
「ユウマは何をするつもりなの?」
「櫓に爆弾を仕掛けて、『満の祭』を壊す気だ。変えられなくとも、壊すことはできるとでも思ったんだろう」
「そう……」
一ノ瀬はこめかみを押さえ、眉根を寄せる。
今起こりつつあることは全て、かつて自分が蒔いた種のせいだ。
頭全体が脈打ち、締め付けられるように痛む。ひどい眩暈がして、世界がぐるぐると回る。
「大丈夫か? 一度、おじさんの小屋に戻ろう」
一刻も早くユウマと話を……と言おうにも、情けないことに神経と体力を摩耗し過ぎていた。
『追放者』の小屋にて、一ノ瀬は束の間の息をつく。先ほどもらったとんでもなく苦い煎じ薬のお陰で、頭痛は嘘のようにすっきり消えている。
「そうか、記憶が戻ったのか」
記憶にあるよりも頭髪に白いものが増えた『追放者』は、しみじみとした口調でそう言う。
「おじさんにも、いろいろご迷惑をお掛けました。早くユウマを止めないと」
一ノ瀬の隣に座る知里が、彼女の袖を掴む。
「お兄ちゃんを助けてください。お願いします」
自分を見上げる知里の瞳を覗きながら、一ノ瀬はしっかりと頷く。
それはここへ来る前にも聞いた言葉だったが、今は全く違ったものとして一ノ瀬の中に響く。
知里のためだけではなく一ノ瀬自身を取り巻く全てのもののために、どうにかしてユウマの計画を阻止しなくてはならない。
ユウマと知里。一ノ瀬は直接二人の関係を知っている訳ではないが、これまで見てきた知里の様子から、ユウマが彼女をとても大切に思っていることが想像できる。
ユウマは優しい子だ。知里が傷付けられたことに怒り、そのやり切れない想いをどこかにぶつけたかったのだろう。
そこで、ふと思い出す。
「そう言えば、知里ちゃんが持ってた鍵って何だったの?」
佐伯はあぁ、と思い出したようにポケットから例の鍵を取り出す。
『追放者』は壁際の棚から一つの箱を取ってきて、一ノ瀬の目の前に置く。
それは工具入れほどの大きさの、飾り気のない木製の箱だった。蓋の合わせに南京錠が取り付けられている。
佐伯は南京錠の鍵穴に鍵を差し込み、解錠する。
「これは君のだろう」
蓋の開いた箱に納められているものを見て、一ノ瀬ははっとする。心臓が射抜かれたように、一つ大きくどくんと脈を打つ。
そこにあったのは、シンプルな形をした木の腕環だ。
「これ、私がいつもしてた腕環……」
「君を『外』に逃がした日、君の荷物はそれを除いて全て燃やした。ユウマはそれをこの箱に入れて鍵を掛け、おじさんに預けた。『鍵』の方はユウマがずっと肌身離さず持ってたんだ」
この『村』の葬式の慣例は、一ノ瀬も覚えている。
彼らはこの『村』から一ノ瀬を葬り去る偽装をしながらも、恐らくこれだけはどうしても燃やせなかったのだろう。彼女がこの世に生きている証として。
一ノ瀬は腕環を手に取り、両手で包む。
過ぎし日の自分の存在を肯定するもの。それを封印した『鍵』。
彼ら二人にとっては、恐らく命に代えても守るべき秘密。
『鍵』を知里に渡して外に逃がしたユウマは、一体どんな心境だったのだろう。どんな覚悟だったのだろう。みぞおちのあたりが、ぐっと締め付けられる。
ユウマを止めるだけでは駄目だ。それでは何もかもが無駄になってしまう。
ひたむきに真実を求め、抑えきれない炎を心に宿していた幼き日の自分が、今の自分をじっと見つめている。
一ノ瀬は顔を上げる。
「ねぇ、佐伯はこの村をどうするか、ちゃんと考えてるの? つまり『協会』の立場で、どうするべきなのか……」
まっすぐ佐伯を見据えると、迷いのない視線が返ってくる。
「考えてるよ。俺はもう迷わない」
「分かった、じゃあ私も迷わない」
一ノ瀬は頷き、腕環を左の手首に嵌める。そして立ち上がり、玄関へと向かう。
「おい、一体どうするつもりなんだ?」
佐伯の問いかけに一ノ瀬は振り返り、にこりと微笑みを作る。
「決まってるじゃない。祭をぶっ潰すのよ」
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