◇一の章◇第12話「嘆願、絆、守りたいもの」
「彼女は一ノ瀬 千幸さん。警察局での僕の同僚ですが、『村』の出身者であり、この擬似社会の被害者です」
「『村』の出身者だと? 被害者、とは?」
ランプの灯りが照らす、『追放者』の小屋の中。
佐伯が、養父とテーブルを挟んで対面している。
一ノ瀬はベッドに腰かけて知里から傷の手当てを受けながら、二人の話に耳を傾ける。
同じ寝台の端には、こちらに背を向けたユウマ。あれから口を聞いていない。
この小屋の
佐伯が語ったのは、十三年前の事件のことだ。一ノ瀬が『懲罰房』に閉じ込められてから、『村』の外に逃がされるまでの。
「……僕が『教師』になったのは、『村』の体制を変えるためです。彼女を逃がした夜にユウマとそう約束しました。でも、それは容易なことではなかった。『教師』ですら、『協会』から降りてくる指示に従うだけだったんです。『約束』を果たすには、『協会』の中に入るしかないと思いました」
「だから私の養子になったのか」
佐伯は静かに、しかしきっぱりと答える。
「そうです。あなたからの申し出は、まさに渡りに船でした。しかし、話はそう単純じゃなかった。僕は『佐伯 誠治』になって初めて『外』の世界を知りました。政府と、プロジェクトのことを知りました。そこではっきり理解したのは、この問題は僕一人の力で簡単にどうこうできるものではない、ということでした」
彼はそこで一つ小さく息をつく。
「だからせめて自分ができることをしようと、僕はこっそりチィを……千幸さんを探しました。彼女が『村』を出てから既に十年が経っていてずいぶん骨が折れましたが……どうにか、彼女が第三十八自治区警察局で働いていることを突き止めました」
一ノ瀬の心臓がとくんと鼓動する。
探して、見つけ出してくれたのだ。
「『村』の周辺状況を監視する目的で、政府関係者が立場を隠してそこに潜り込んでいることは知っていました。何かの拍子に彼女が『村』の出身者であることが知れたらまずい。だから僕は、自らその役目を申し出ました。僕が彼女の近くにいれば、不測の事態にもどうにか誤魔化せるだろうと思ったんです」
佐伯の独白は続く。
ユウマのこと。知里のこと。
そして、今日の事件。
「ユウマをあんな無茶な計画に走らせてしまったのは、僕のせいです。滅びに向かう道を、彼だけに歩ませる訳にはいかない。僕には彼を止める責任があった。だからこの『村』に戻ってきました。何もかもを捨てる覚悟で」
佐伯の養父が、口を開く。
「……何もかもを、か」
「えぇ。少なくともその時の僕には、『全てを諦める』という選択肢しか見えていなかった。でも、違ったんです。それじゃ、前に進むことはできない。何の解決にもならない」
そこでふと、佐伯が一ノ瀬の方を見る。その瞳には迷いのない意志が映っている。
一ノ瀬が頷いてみせると、佐伯は再び正面に向き直る。
「この『村』では、守るべきものを守ることができません。過不足のない定型の生活で、次の世代を生み育てる目的で作られたはずなのに、か弱い子どもたちを適切に導くことができないんです」
身に覚えがある。
かつて、ずっと握っていた小さな手。そうしていた自分の手すら小さかった。
大人の手が差し伸べられた記憶は、あまりない。
「『家庭』は『社会』の最小単位です。子どもはそこで衣食住に関わる保護だけでなく、情緒性や社会通念、常識や価値観などあらゆることを享受します。しかし『家庭』に代わる『単家』は、単なる生活の拠点に過ぎません。自分の単家の子どもが長いこと『懲罰房』に監禁されても、大人は平然としています。社会全体で子どもを育てると言いながら、この『村』では誰も子ども一人ひとりの味方ではないんです」
一ノ瀬は、あの七日間のことを思い出す。暗闇の中、たった一人で戦っていた。
「例えば、『懲罰房』に閉じ込められた子どもは、気の遠くなるような孤独を味わいます。そして掟に従わない限り自分は誰からも必要とされなくなるんだと思い込むんです。想像してください。どんな時でも絶対に味方をしてくれる存在がいないということが、子どもにとってどれだけ絶望的なのか」
『掟』に縛られた閉塞感を、一ノ瀬も覚えている。そこから一歩も外れることは許されなかった。
「この『村』の子どもたちは自分で考える力を奪われ、ただ掟に従うことでのみ存在意義を全うするように教育されます。いくら出生率や生活の安定性が保証されていても、将来を担うべき子どもたちが機械のようにしか育たない社会に、未来などありません」
そこで佐伯は、改めて姿勢を正す。
「一つお願いがあります。どうかこの『村』の体制を変えさせてください。サンプルケースとしては、既に役目を終えているはずです。だけど『村』の人たちの生活はこれからもここで続いていく。そうとなればいずれにしても、『村』の存在が世間に知れることは政府にとって毒にしかならないでしょう」
その口調は強い。さもなくば全てを世間に公表する。暗にそう言っているのだろう。
「例え僕や千幸さんがこの『村』の存在を隠し通したとしても、この歪んだ体制ではまた同じようなことが起こるかもしれない。あんな、おかしな麻薬を使わないと維持していけない社会なんだ。いつか取り返しのつかない大爆発が、『村』の内部から起こりますよ。別に僕は政府の邪魔をしたい訳じゃない。ただここは、こんなところでも、自分の生まれ育った場所だから、平穏であってほしいと思うだけです」
その言葉で、一ノ瀬の胸に痛みが走った。
もちろん、自分にとっても「生まれ育った場所」には違いないのだけれど。
「僕は『村』に戻ります。この『村』の子どもたちが幸せに育つように力を尽くしたいんです。あなたには、今日まで本当にお世話になりました。いろいろ申し上げましたが、どうかよろしくお願いします」
佐伯はテーブルすれすれまで頭を下げる。
そこにいるのは、いつもの優柔不断な同僚の男ではなかった。
誰より冷静に辺りを見渡し、周囲の人々に気を配り、その時もっとも適切と思われる選択肢を慎重に選び取る。
そうだ、それが彼の本来の姿だ。
佐伯の養父は軽く息をつき、口を開く。
「申し訳ないが、それを丸ごと聞き入れる訳にはいかないな」
佐伯はじっと頭を下げたまま、微動だにしない。
少しの間を置き、養父は少し柔らかい声で言う。
「お前のことは、小さい頃から知っているがね。私の見立ては、間違いじゃなかったようだな」
佐伯は顔を上げ、その言葉の意図を汲み取れず訝しむような表情をする。
「この『村』の秩序が破綻しかかっているということはよく分かった。誠治の言う通り、体制を正常化させなければ何もかもが崩れてしまうだろう。政府にとっても、そういう綻びは危険だと思う。この件は私から上に掛け合おう。しかし――」
養父は、息子の目を正面から見据える。
「誠治にはこの『村』だけでなく、この国の子どもたちのために力を尽くしてもらいたいと思っている。『村』と『外』の両方を見たお前にしかできない仕事だ。後継者として、私の手伝いをしてほしい。……それに私も母さんも、お前のことは大事な息子だと思っているんだ。それが私からの条件だよ」
佐伯が、ほんのわずかに泣き出しそうな表情をする。しかし次の瞬間には再びひたむきな意志を瞳に宿す。
「……はい、お父さん」
話が綺麗にまとまった。
良かった、と思う。
しかし、一ノ瀬の中では、消化しきれない思いがぐるぐると巡っている。
出しゃばるな、と自分に言い聞かせる。だが、どうにも無理だ。
気付いた時には、勝手に口を開いていた。
「すみません、私からも一つ、いいですか」
父子の目がこちらへ向く。血のつながりはなくとも、穏やかな眼差しがよく似ている。
言いたいことはたくさんある。祭の場であれだけ暴れて、佐伯の思いの丈も聞いて、それでもなお。
吐き出さずにいられない。どうにもならないと分かっていても。
胸の奥で鈍く痛む傷が、ちっとも消えてくれないから。
「私、ずっと忘れません。自分がどう扱われたのか。何をされたのか。新たな生活が始まったとしても、心に受けた傷はきっと一生消えないと思います。綺麗事で済まされる話じゃない」
きっと、この仮初の楽園で生まれた子どもたちは、みんなそうだろう。
一ノ瀬自身も、佐伯も、知里も、そしてユウマも。
激しい怒りが、身体の中でずっと燻っている。
ともすれば、予備動作なしでいつでも爆発させられるほどの。
一つ息をついて、渦巻く熱を逃がす。
「私、ずっと見てますから。
一ノ瀬の眼光は鋭く、相手の視線を縫い止める。佐伯の養父の瞳は静かで、真摯な色を宿している。
しばらく膠着していた空気は、彼が深く深く頭を下げたことで動き出す。
「重く、受け止めます。この『村』の方々はもちろん、全ての人が豊かな生活を選べるように、尽力します」
一ノ瀬はようやく、心の裡に燃え立つ炎を収めた。
そして、ベッドの端に座るユウマの様子をそっと窺う。表情までは見えないが、先ほど自分が殴った頬が赤く腫れている。
一番大きな問題は、まだこれからだ。
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