◆全の章◆第7話「鬼の子」

 あの子は鬼の子だ。

 危険な思想を幼い子どもに植え付けようとした。

 あの子は鬼の子だ。

 間違った思想は正さなくてはならない。

 あの子は鬼の子だ。

 あの子は鬼の子だ――


 ほんの数日のうちに、そんな噂が村のあちこちで囁かれ始めた。

 チィ姉ちゃんはまず最初に、自分の単家の大人たちに厳しく詰問された。

 なかなか口を割らずにいると、今度は二日に渡って『教師』が彼女を問い詰めた。

 授業の間も一人別室で、複数の『教師』たちから厳しく責め立てられた。

 そうしたやりとりが教室まで聞こえることはなかったが、面白がって立ち聞きした級友たちが騒いでいたのだ。


 その間、ユウマの中にはずっともやもやとしたものがわだかまっていた。

 きっとチィ姉ちゃんはユウマのことを怒っているだろう。秘密にする約束だったのに、それを破ったから。


 それでも、悪いのは僕じゃない。

 ケイおばさんもミサ姉ちゃんもそう言ったじゃないか。悪いのは僕じゃない――


 そして三日目、チィ姉ちゃんがとうとう大人たちに連れて行かれるのを、ユウマは教室の窓から見た。

 彼女は、二人の大人に両脇から抱えられるようにして、なおも口を引き結び、強い眼差しで正面を見据えていた。この三日間で何一つ口を割らなかったらしく、その白い頬には平手で打たれたような痕すらあった。

 最初は引き摺られるようにしていた彼女は、途中で両脇の二人の腕を振り解くと、自分でピンと背筋を伸ばしてまっすぐ歩いた。


 姿が見えなくなる最後の一瞬、チィ姉ちゃんはユウマの方を振り返り――

 そして、笑った。

 大丈夫、私のことは心配しなくていいから。

 彼女の目が、そう言っていた。

 そこには秘密をばらしたユウマのことを責めるような色は一切なく、ただただ自分の信じる道を突き進み、いつものようにユウマを気遣い安心させようとする眼差しだけがあった。


 その瞬間、それまでユウマの心を支配していた考えは、強風が雲を吹き飛ばすかのようにどこかへ消えた。

 ずっとわだかまっていたもやもやは、チィ姉ちゃんに対する疑念だった。

 ユウマを好き勝手振り回し傷付けた揚句、彼のことを裏切り者と罵る想像上の彼女に対しての。


 しかしそれはまったくの誤りだった。

 実際の彼女はどんな逆風にも負けず、常に前を向いていた。

 知っていたはずだ。

 チィ姉ちゃんがどんな人か、ユウマは知っていたはずだった。

 どんな時でも強く、そして優しい少女。

 大好きだったはずだ。ユウマを導くその手が、髪を撫でるその手が。何度も何度も救われたはず、それなのに。


 わだかまりを吹き飛ばした風は、今や荒れ狂う嵐となって彼の心の中を掻き回していた。

 それまで頑なに自分自身を守っていた思考の壁は呆気なく崩れ、激しい洪水に押し流されて塵となった。


 僕は、チィ姉ちゃんに、ひどいことをしてしまった。


 どくどくとこめかみが脈打つのを感じた。

 呼吸が苦しい。いっそのこと罵ってくれた方が、どんなに良かっただろうか。

 しかし今となっては何もかもが手遅れだった。


 チィ姉ちゃんが『懲罰房』に入れられたことをユウマが知ったのは、その直後のことだった。




 『懲罰房』。

 子どもたちが『おしおき部屋』と呼んでいたそれは、村の西の外れにある蔵だった。

 そこはひとたび扉を締めきると一筋の光も入らない暗闇の空間となる。

 明かり取り用の小窓などもない。純粋に子どもを閉じ込めるためだけに作られた建物だ。

 掟を破った子どもはそこに入れられ、心から反省するまで出してもらえない。その間は一日に一度水の差し入れがあるだけで、食事も抜きとなるのだ。


 過去に一度だけ、ユウマも『懲罰房』に入れられたことがあった。給食で嫌いなものが出て、いつまでも食べられなかったのだ。そんなことが三回続いて、とうとう入れられた。

 それは完璧な暗闇だった。

 ただ暗いだけでなく、音も、匂いも、空気の動きすらもなかった。

 死んでしまったらこんな感じだろうかと、ユウマはその時思った。


 そう考えたら急に底冷えするほど怖くなって、泣き叫んだ。

 好き嫌いしません、何でも残さず食べます、だからここから出してください、と。

 しかしいくら叫ぼうとも返答はなく、その声がちゃんと外に届いているかすらも分からなかった。


 叫び続けて涙も声も枯れた頃、重い音を立てて扉が開かれた。

 溢れくるように差し込む光はユウマの目を焼き、彼を生の世界へと呼び戻した。

 閉じ込められてから外に出るまで永遠のように長く感じたが、たったの半日しか経っていなかった。



 最初の三日は、あっという間に過ぎた。

 どんな子どもも大抵三日のうちには限界が来て外に出されるため、チィ姉ちゃんもすぐに音を上げるだろうと誰もが思っていた。


 しかし四日目、五日目になり、皆がざわつき始めた。中で死んでいるのではないかと疑う者もいたが、水を差し入れる係の者が彼女の生存をきちんと確認していた。

 死んでいるどころか、扉を開く度、彼女は抱えた膝の向こうから鋭い眼光でその大人を睨み付けているのだ。


「あれはまさしく、鬼の子だよ」


 差し入れ係の『教師』が強張った顔で他の村人に彼女の様子を説明すると、それは瞬く間に村じゅうに拡がった。


 あの子は鬼の子だ。

 この村には相応しくない。

 あの子がいるだけで、他の子どもに悪い影響が出る――


 大人たちの間では、チィ姉ちゃんを今後どうするかということについて何度も話し合いが行われているようだった。

 大方の意見は「彼女を危険思想の芽として追放する」というものだった。

 中には「まだ子どもなのに可哀そうだ」という者もいたが、多くの者がチィ姉ちゃんを追放すべきと考えており、そのような意見はすぐに押し流された。


 チィ姉ちゃんが『懲罰房』に入れられてから、ユウマは毎日泣いていた。

 なぜ泣いているのかその理由を知られたら怒られるので、皆に隠れて泣いた。

 一度『懲罰房』の近くまで様子を見に行ったが、大人に見つかって怒鳴られ、また泣いた。

 本当に泣きたいのはチィ姉ちゃんのはずだ。そう分かっていながら、涙が枯れることはなかった。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 届くことのない謝罪を、ユウマは呟き続けた。

 ごめんなさい、本当に罰を受けなきゃいけないのは、この僕なんです。

 僕が約束を破ったせいで、チィ姉ちゃんが僕の分まで罰を受けているんです。

 お願いです。何でもします。僕が代わりに『おしおき部屋』に入ってもいいです。

 だから、チィ姉ちゃんを出してあげてください、天主さま。


 しかし、その声は聞き届けられることなく、とうとう六日目になった。

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