◆全の章◆第3話「協会と豊穣祭」

 その日、ユウマは祭の飾りを持って単家に帰った。

 やはり不恰好な出来だったが、それでもちゃんと完成した。あの後、チィ姉ちゃんがユウマにとことん付き合ってくれたのだ。


「私が作っちゃえば早いんだけどね。でもユウマが自分で作らなきゃ、きっと意味ないもんね」


 どのように捻ればまとまるのか、どのように編めば解けないのか、どのように組めば崩れないのか。

 一つ一つ丁寧に説明を受けたおかげで、ユウマはそれを自分の手で完成させることができた。


 これがもし、チィ姉ちゃんに代わりに作ってもらったものだったとしたら、ユウマは『豊穣祭』が終わるまでの間ずっと後ろ暗い気持ちで居続けることになったはずだ。

 改めて思った。

 チィ姉ちゃんがいなかったら、僕はこの場所で少しも生きていけないだろう、と。




 村では着々と『豊穣祭』の準備が進んでいた。

 村の中央にある広場では男たちによって材木が組まれ、日を追うごとに背を伸ばしていった。祭の中心になるやぐらである。

 女たちは祭用の衣装や飾りを拵えた。普段、村人たちは麻でできた簡素な衣服を着ているのだが、祭の時は男も女も純白の衣装を身につける決まりになっていた。


 『豊穣祭』は初秋の満月の夜に行われる。

 日が沈んでからすぐに行われるのが『宵の祭』。村で育てている作物の豊かな実りと、子どもたちの健やかな成長と未来永劫の子孫の繁栄を願う。人々は踊り、ご馳走を食べ、昨年の米から作った酒を飲む。


 そして満月が頂点に昇るころに行われるのが『みつの祭』。

 これは十六歳を過ぎた大人のみが参加する祭だ。子どもたちはそれぞれの家に帰され、一歩も外に出てはいけない掟になっている。

 『満の祭』で何が行われるのか、大人になるまでは分からない。子どもたちは祭の夜、そわそわする気持ちを抑えながら、眠りに就かなければならないのだ。


 夏の暑さが一段落して最初の朔の夜から十四日間、村の至るところで赤い葉をいぶした甘い匂いの香が焚かれ、村人の気分を煽る。

 この十四日間は学校の授業も昼過ぎで終わり、子どもたちは毎日集会場に集められる。そして祭で披露するための踊りや楽器の練習をするのだ。



「ユウマくん、笛の音が遅れてるわよ」


 踊りに合わせた楽器の練習で、ユウマはまた『教師』から注意を受けた。

 ユウマは楽器も苦手だったが、踊りはもっと苦手なので、人数が一番多いため失敗してもさほど目立たない笛の係を割り当てられたのだ。

 それでもユウマには難しく、これまでにも何度か注意を受けていた。もっとも、音の反響しやすい集会場の中では他のさまざまな音と混ざり合ってしまい、何が正しい音なのかよく分からなかった。


 ユウマはチィ姉ちゃんを探した。

 チィ姉ちゃんは、集会場の中央付近で踊りの練習をしていた。

 その動きは誰よりしなやかで、とても綺麗だった。『教師』が彼女のことを褒めるのを聞いて、ユウマは自分のことのように誇らしくなった。

 きっと本番の白い衣装を着たら、もっと綺麗だろう。それを想像するだけでも、ユウマは『豊穣祭』が楽しみだった。




 練習が終わると子どもたちは列に並んで床に座り、『教師』の話を聞いた。


「さぁ、『豊穣祭』まであと少しです。『豊穣祭』は天主さまに日頃の感謝を示す大切なお祭りです。天主さまは、いつ、どんなときでも、私たちのことを見守ってくださっています。私たちが良いことをすれば天主さまは恵みを与えてくださいますし、私たちが悪いことをすれば罰をお与えになります」


 『教師』は学校で授業を行うほか、集会などの行事全般を取り仕切っていた。言わば村の運営を司る『協会』の代理人のような存在だった。

 天主さまは、どんな顔をしているのだろう。ユウマには想像もつかなかった。


 辺りには香の甘い匂いが濃く立ち込めていた。

 『教師』の声が集会場の中で響いて、不思議な反響を作り出した。

 胸の鼓動がそわそわと身体の中で鳴り響いて、いろいろな感覚がぼんやりするような気分だった。


「私たちの生活にはたくさんの掟がありますが、これらは全て正しく良い行いができるように、天主さまが私たちにお与えになったものです。天主さまのおかげで、私たちは豊かな暮らしができているのです。だから私たちは感謝しなくてはなりません。そのために、『豊穣祭』はあるのです」


 もう何度聞いたか分からない話だったが、それは不思議と飽きることなくユウマの頭の中にしんしんと降り積もり、その度に正しくこの世の理を築いていった。

 天主さまがどこにいるか知らない。チィ姉ちゃんもセイジ兄ちゃんも知らないだろう。

 でもきっと、この世の全てを見渡せるような場所があって、そこから絶えず僕たちのことを見ているのだ。ユウマはぼんやりとそんな想像をした。




 『教師』の話が終わると、チィ姉ちゃんがユウマのところへやってきた。


「ユウマ、遊びに行こう」


 チィ姉ちゃんのひんやりした手がユウマの手を引いた。

 彼はぼんやりと彼女の左手首の木の腕環を見つめながら、頭をこくりと頷かせた。


「あっ、セイジ兄ちゃん」


 セイジ兄ちゃんを見つけたチィ姉ちゃんが、嬉しそうな声を上げた。そしてユウマを引っ張り、彼の元へ駆けていった。


「セイジ兄ちゃんも遊びに行こうよ」

「ごめん、俺これから『教師』の手伝いで片づけをしなきゃいけないんだ。また今度遊ぼう」


 セイジ兄ちゃんはすまなそうな笑顔を作ると、『教師』の後について集会場を出ていってしまった。

 このところ、セイジ兄ちゃんは『教師』の手伝いをしていることが多かった。彼がこのまま『教師』になっていくのだろうということを、皆うすうす気づいていた。


「つまんないの。行こ、ユウマ」


 チィ姉ちゃんは口を尖らせてそう言うと、再びユウマの手を引いて外へ出た。




 二人は無言のままずんずんと森の中を進んでいた。

 日は徐々に傾きかけていたが、まだ沈みきるには時間がありそうだ。

 それでも鬱蒼と生い茂る木々に囲まれていると、どこかじめっとした暗い気分になるのだった。


「ねぇチィ姉ちゃん、どこに行くの?」


 ユウマは問いかけた。返答はない。

 しかしユウマには分かっていた。あの『ツイホウシャ』のおじさんのところだ。

 本当はあのおじさんと話しちゃいけない掟になっているの。この前、チィ姉ちゃんは確かにそう言った。


「ねぇ、チィ姉ちゃん」


 ユウマはもう一度声をかけた。

 やはり返答はない。相変わらず二人の足音だけが、ざくざくと断続的に聞こえていた。


 私たちが悪いことをすれば、天主さまは罰をお与えになります。

 つい先ほど聞いた話が、ユウマの頭の中に蘇った。これは、やっぱり、悪いことなんじゃないだろうか。


「ねぇ――」

「ユウマ」


 三度目の問いかけに被せるように、チィ姉ちゃんは彼の名を呼んだ。そして彼の手をぎゅっと握り、立ち止まった。


「大丈夫よ。大丈夫だから」


 チィ姉ちゃんは顔だけで少し振り返り、にこりと微笑んだ。


「私は本当のことを知りたいだけなの。それは悪いことじゃないはずだわ」


 ユウマには、チィ姉ちゃんが何のことを言っているのか分からなかった。

 でもチィ姉ちゃんが「悪いことじゃない」と言うのであれば、そうなのかもしれない。

 ユウマはそれ以上何も言わず、手を引かれるままに彼女の後をついていった。

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