6 顔見知り

 半年あまりたつと、会社での人間関係も変わってきた。受付の山田理恵さんとはもう何度も食事をした。今度一緒に旅行に行こうかと思っている。彼女は見た目の派手さとは裏腹に結構素朴な性格の持ち主で、居酒屋でのデートばかりだが満足してくれている。私に心を開いてくれているようで、会社では見せないざっくばらんで、場合によっては男同士の友人のような付き合い方をしてくれる。なにしろモデルのようなスタイルやルックスなので、周囲は羨望の目で私をみるが、彼女のよさは外見ではなく中身であることを知っているのは社内で私だけのはずだ。


 営業二課の棚倉栄次郎さんは相変わらず缶コーヒーでストレスを飲み込んでいるが、最近は私の会釈に手を上げてくれるようなった。三課の島村庸子さんはさらにブランドのかばんを買い足したようで、それを日替わりで持ってきている。新人の松山翔太君はようやく余裕が出てきたようで、最近は女子社員と話している風景もよく見かける。そして目があると必ずあいさつをしてくれる好青年だ。きっともてるに違いない。


 社員食堂の伊藤麻衣子さんは僕が名前で呼びかけるようになってから、一層おまけを付けてくれるようになった。留学生の「ちよう」さんは張玉蘭という素晴らしい名前であること、出身は上海ではなく重慶で、日本の大学院に入学することをめざして勉強中だということだった。広田美樹さんは1ヶ月ほど前にバイトをやめてしまったようだ。事情は分からないが少し寂しい。


 そのほかにもたくさんの人見知りに囲まれて、なんとなく窮屈だが、それ以上に楽しい毎日を送ることになった。



 実は私の人の名前と顔を覚える能力は気づかぬうちにだんだん衰えていっている。そのことに気づいたのは、能力を意識して1年ほどたったころのことで、きっかけはこともあろうにあの同じ駅で階段を踏み外し転倒したことだった。頭を打ったが痛み自体はそれほどでもなく、とりわけ気にすることもなかった。


 しかし、これまで感じていた町や会社での「顔見知り」が少しずつ減っていくのには戸惑いを感じていたのである。どこかで会ったことがある気がする、という感覚から始まり、相手がこちらに合図を送ってきてもそれが誰だか分からない、という段階が相次いで見られた。私はすでに多くの人見知りを失っていたのである。


 ある日、街頭で若い女性が私を見つけて親しげに近づいてきた。その笑顔につられて、私も明るく装うとことにした。どこかで見たことがある気がしたが思い出せない。しばらく近況を話した女性は、


 「それでは」


といって雑踏の中に消えていった。私はその女性のことを必死に思い出そうとした。でも、どうしても分からない。ようやく彼女のことを思い出したのはその日の夜遅くだった。ずっと気にしていたのである。かつて通勤電車でよく会っていた女性だった。名前は思い出せないが大学の後輩で、おそらく今年から社会人になったのだろう。



 私の「顔見知り」は急速に減ったが、どうしても忘れられない名前たちは残った。


 でも、つぎつぎにこぼれ落ちていく顔と名前の記憶を何とか保とうと思い、努力を始めたのだ。私は積極的に相手に挨拶し、声をかけることにした。そうすれば私が忘れても、相手が覚えてくれる。それが続けばお互いが忘却の淵に落ち込む前に救い上げあうことができるのだ。大切な友人たちの名前は絶対に忘れてはいけない。


 ところで、理恵との交際は続いて、おそらくこのあとも続くと信じている。もしかしたら一生名前を言い合うことになるかも知れない。それが途中で「おまえ」になったり「ママ」や「ばあさん」になるかもしれないけれど。おそらく人生の最後に残る名前は彼女の名前なのだろう。

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君の名前は 斉藤小門 @site3216

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