第8話 清純な魔王と平凡な勇者の解説

 現代――それは剣と魔法と冒険の世界より一万年後。

 かの勇者が活躍した神代の時代は終わりを告げ、当世へと移行して久しい。

 百世紀に亘る文明の興亡を経て、世界は幾度となく変遷した。

 剣が支配した時代は終焉を迎え、魔法は永き刻と共に霧の如く消え去った。

 冒険は、幻想と超自然を主役とした舞台から幕を引いたのである。

 斯くして世界の秩序と体系は、かの世界より大きな変貌を遂げた。

 たった一人で魔王に立ち向かい、世界を救った勇者の伝説を語る者はもういない。

 歴史、文献は元より、今や人々の記憶からも完全に忘れ去られてしまっている。

 しかし神々は忘れなかった。神代の時代に結びし『古き約束』を。


 ◆ ◆ ◆


 神々の選びし平和で平凡な世界――それは、現代の日本。

 かの『古き約束』の言葉通り、勇者は一万年の時を超えて転生した。そして彼が何よりも切望した平和な世界に於いて、ごく平凡な生活を過ごしているのであった。

 そしてこれは転生せし勇者の、ある日の登校風景の一幕である。


「勇士さまっ!!」

「うおっ?!」


 突如、何者かが頭上の死角を突いて、勇士に襲い掛かった。

 勇士は自慢の反射神経でそれを躱すと、得意のバックステップで飛び退く。必然的にふたりの間には、五メートルほどの距離が開いた。

 勇士がたった今まで居た場所に立つは、セーラー服に身を包む見目麗しの転校生。艶やかに輝く長い黒髪を棚引かす清楚可憐な完全無欠の超絶美少女である。


「真央か……! いったいどこから飛んできた?」

「そちらの木の上からでございます、勇士さま」


 真央が指差す先を見てみれば、一際大きな欅の巨木。真央が潜めそうな枝は、上空五メートル以上の場所にある。そこから平然と飛び降りる度胸も去ることながら、樹上へ上がる運動神経に加えて、野生の勘を持つ勇士に気付かれぬ隠密術もかなりのものだ。


 愛染真央あいぜんまお――それは現在の名前。

 そして彼女の前世こそ、魔王。


 今よりちょうど一万年前――絶大な魔力をもって世界を席巻し、一時はその殆どを手中に収めた暗黒の異端児。生けとし生けるものより『魔王』と呼ばれ懼れられた怪物だ。

 何の因果か、勇者とは刻と場所を同じくして転生を果たしたものの、神の御業に寄りて彼女には、前世の記憶が一切存在しない。

 故に一万年前に全世界を揺るがした勇者と魔王の出来事の一切を知らなかった。かの伝説は今や、彼女とはまるで関係のない別の物語なのである。


「なんで樹上から襲い掛かる!?」

「襲い掛かるだなんて……真央はそんなにはしたない女じゃありません!」


 白磁の肌を桜色に染めた真央が、その頬をぷぅと小さく膨らませた。

 勇士とて、そういう意味で襲い掛かったと言ったわけではない。


「じゃあなんでだ!?」

「だって殿方の夢といえば、空から女の子が降ってくることでしょう?」

「それは違う」

「でも皆さん、空から女の子降ってこねぇかな~って口にしてます!」

「まず、その間違った知識を何とかして欲しい」


 真央は可愛らしく小首を傾げているが、何故それが分からないかが分からない。だが美少女は上からくるぞ。気を付けろ。折角だからと無差別に選択してはいけない。


 衛守勇士えもりゆうし――それは現在の名前。

 彼こそが神々と『古き約束』により転生せし、勇者。


 だが真央と同様、彼に前世の記憶は一切ない。転生によって過去の記憶を持つことは、人の身にとって多大な負担となり、人格に大きな障害をもたらす。それを憂慮した神々の手によって、前世の記憶を封じられたためである。

 故に一万年前に全世界を揺るがした勇者と魔王の出来事の一切を知らなかった。かの伝説は今や、彼とはまるで関係のない別の物語なのである。


「あの、勇士さま……」

「なんだ」

「モニターから出てきた方が良かったですか?」

「それも違う」

「でも皆さん、モニターから女の子出てこねぇかな~って口にしてます!」

「まず、そのネジ曲がった知識を何とかして欲しい」

「真央、モニターから出られるように頑張りますっ!」

「いいよ! 頑張らなくていいよ!!」


 怖い。真央は頑張れば何とかしてしまいそうなところが、怖い。何がどうしてこうなった。だがいくら勇士が首を捻って考えようが、それは詮無いことである。


 真央は二柱神の御手により、全てにおいて『真逆の転生』を果たしていた。

 すなわち漆黒の闇が如き邪悪な精神は、聖なる光と無限の慈愛へと変化を遂げた。そして醜悪怪異な容貌は、清楚可憐な美少女へと姿を変えたのである。

 だが彼女の中に眠る『無限の絶対魔力ソーサリー・アンリミテッド』は、魔王であった時と同様に健在だ。ただし物欲や支配欲などの欲望はすっかり霧散して、破壊への衝動はまるで消え失せた。その代わりに『愛』こそが彼女の究極の欲求となったのだ。

 膨大な魔力からくる豊かな感受性はいかなる『愛』への欲求となり、彼女が触れるもの全てが、慈しむべき『愛』の対象なのである。


「だけどなんで一目惚れしたのが俺なんだよ」

「何でと申されましても……」

「他にクラスメイトはいくらでもいるだろう?」

「真央は何故か、勇士さまにビビビッと来たのです。ビビビッと!」


 そう言って、両手をおでこに当てて突き出している指はなんだ。そこから何かビームでも出しているつもりなのか。何ビームだ。外道焼身霊波光線か。

 とは言え――勇士とて胸を張って真央を否定できる立場にはない。真央と手と手が触れた、あの瞬間に――得も言われぬ感覚を得ていたのは、確かである。

 その感覚の名は宿命。勇者と魔王の間にある、宿命が彼らを惹き付けたのだ。


「オマエのそのヘンテコな感覚は何とかならんのか」

「真央、ヘンテコじゃないです」


 幻想世界の住人達は悠久の刻を経て滅亡し、魔物達は地上より追い払われ地獄へと去った。世界を震撼させた悍ましき魔力を持つ強大な宿敵も、もういない。彼が勇者として生きた時代と比べれば、世界は格段に平和であった。


 平和であるが故に、彼は平凡であった。


 この世に双並び無きと謳われた剣術や、永き封印から解かれた禁断の究極魔法は、もう誰からも必要とされていない。暴走する魔力により混沌と暗闇に沈むことのない世界。これこそが勇者が自ら望んだ平穏な日々。


「俺は、できる限り平凡に暮らしたいんだ」


 前世の記憶を封じられた勇士は当然、剣と魔法と冒険の世界を知らない。あるのは前世そのままに受け継いだ能力値ステータスのみだ。生まれ持った強い肉体と運動神経の良さに加え、頭の回転の速さ、運の強さ。それら鍛え上げられた身体能力アビリティは、世界を救ったあの時代となんら遜色はない。愛用の剣を握り、魔導書を片手にすれば、きっと今すぐにでもあのときと同じように世界を救えるであろう。


「でも、勇士さまはちっとも平凡じゃありません」

「それはその、否定はできないが……」

「だから……」


 かつて彼が勇者であった時代に熱望した平和な世界。しかし勇者の望んだ平穏は、彼にとって酷く退屈なものとなった。勇者時代の荒々しい冒険の中で培った、野性味溢れる無骨な風貌そのままに転生したことも手伝って、それは猶更であった。

 だからこそ何処か運命の欠片ピースを失っているような……世間に自己の存在の拠り所のなさを感じていた勇士は、自ら進んで周囲に迎合することはなかった。


「私が、勇士さまを平凡な暮らしへ導きます!」


 だが記憶を失って、衛守勇士へと転生した彼は知らない。

 勇者時代の記憶を一切持たない彼は故に、平和で平凡な世界を誰しもと同じく当たり前に、自然と『そういうものだ』と受け入れて過ごしていることを。


 だが記憶を失って、愛染真央へと転生した彼女は知らない。

 魔王時代の記憶を一切持たない彼女は故に、平和で平凡な世界を誰しもと同じく当たり前に、自然と『そういうものだ』と受け入れて過ごしていることを。


 破壊と混沌を望む魔王の魂は、真逆の転生を遂げた。

 破壊は創造へ。憎悪は慈愛へ。混沌は平和へ。非常は平常へ。

 そして勇者への絶対的な怨嗟や憤怒は、絶対的な愛情と悦楽へ姿を変えた。


「いや、オマエには一番難解なことを宣言していないか?!」

「大丈夫です! 真央の『愛』で勇士さまをお迎えしますから!!」


 真央の言うことには何の根拠もないが、自信だけは満ち溢れていた。

 勇士は前世でも感じたことのない不安を、真央から感じ取っていた。


「真央はきっと、勇士さまに前世でめちゃくちゃにされたのだと思います!」

「めちゃくちゃってなんだよ、めちゃくちゃって!」

「きっと、口では言い表せない様な、めちゃくちゃなことです!」


 あながち間違いではないが、起こった出来事は全くの正反対である。

 真央は両の手を大きく広げ、恋する乙女の瞳をキラキラと輝かせて懇願した。


「勇士さま、また私をめちゃくちゃにしてください!」


 勇士は思わず白目になった。ここは二人が通う学校の校門前。

 生活指導の先生が、口をあんぐりと開けたまま、こちらを見ている。

 それを目にした勇士が、ぽつりと呟いた。


「世はなべてこともなし……のハズなんだがなぁ……」


 これは神々より約束された、ボーイミーツガールの物語なのである。

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