冬の湖畔で(その二)



「ん……」


 ベッドカーテンの隙間から漏れる朝日の光で目を覚ます。

 あちこちが妙に柔らかくて、シーツも絹のすべすべした感触がする。

 その手触りで、メルは自分がいまどこにいるのか思い出した。

 そう、メルはウルリカに招かれてマギシェン家の湖畔の別荘に来ていたのだ。


 ベッドからもぞもぞと出て、あくびをひとつ。

「おはよう、メル。今日は随分おねぼうさんだね。珍しい」

「おはよう、白。昨日はここの図書室で借りた本が面白くてついつい……」


 部屋の中にメイドがいないことを確認してから、窓から外を眺めていた白と挨拶を交わす。

 メルとしては白の存在もあるし、メイドたちに部屋の中をうろうろされるのは落ち着かないのだが、彼女たちも仕事であるのだし、メイドに入ってもらわなければ朝は部屋の暖炉に火が入っていないとても寒い状態で一日が始まってしまう。


 かちゃりと扉の開く音とともに、中年のメイドが入ってきたので軽く挨拶をし、洗面のための水をもってきてもらう。

 朝食をどうするかということも聞かれた。今日は皆より少し遅くなったので一人で部屋で食べることにする。



 今日はスカートがふんわりと膨らむ紺色のドレス。頭にも同じ紺色のリボンを飾った。

 ふわりと裾を広げて椅子に腰掛けると、ちょうど先ほどと同じメイドが朝食とお茶を運んできてくれる。

 今日はたまねぎとじゃがいもがたっぷり入ったスープに、焼いた卵、炙った腸詰めにソースをかけたもの、それに冬には貴重な新鮮な野菜を使ったサラダに、ふんわりとした白パン。

「どうぞ、今朝のお茶はテンプールベルです」

「ありがとうございます」

 紅茶のいい香りが立ち上り、まだまだぼんやりしていたメルを覚醒させてくれる。

 さっそく白パンをを一口大に裂く。メルは普段はあまりこのようにパンを一口大に裂いて食べない。そのままかぶりつくのだが、さすがに侯爵家の立派な別荘でメイドに給仕されながらの食事となれば、それなりにはお行儀よくもなる。

「ウルリカ様が本日は雪が降らないようなのでスケートを、とのことでしたよ」

「わかりました。……スケートはまだやったことがなかったなぁ」

「どうやら、ウルリカ様はスケートをお教えしたくて仕方がないご様子でしたね」

 ウルリカはこの冬やたら元気だ。

 話に聞いたところ、今年の夏には婚約者であるテオドルと正式に結婚式を挙げるので、この冬は娘時代に遊びまわることのできる機会とばかりに張り切っているようなのだ。



「失礼します」

 ほとんど食べ終わって二杯目の紅茶を飲んでいたところで、まだ若いメイドが入ってくる。彼女は妙ににこにことしていた。

「お食事中でしたか、メルレーテ嬢。実はジルセウス様が訪ねてきていらっしゃるのですが――」

「……あ、ありがとうございます。すぐに向かいます……」


 ――そう、マナフ・アレンの別荘がすぐ近くにあるため、ジルセウスも毎日のように訪ねてきてくれていたのだ。





「もう、メル遅いよー!」

「ウルリカ様、お待たせしてしまって申し訳ありません。……わ、もう皆いる……」

「メルがお寝坊さんなんだよ」

 ジルセウスが通されているという応接間の一つに向かうと、そこにはジルセウスだけではなくウルリカとテオドル、それにユイハとユウハが待っていた。

「おはよう、メル。今日も可愛いね」

 ジルセウスはいかにも嬉しいというように、微笑んで挨拶をしてくれる。

「おはよう」

 ユイハはちょっとだけぶっきらぼうに。

「おはよう。今日も楽しく過ごしましょ」

 ユウハはにっこり笑ってひらひらと手を振りながら。

「おはよう、皆」


 今日も皆で楽しく過ごせたらいいなと思いながら、メルも挨拶を返した。






「スケート靴って、かなり窮屈なんですね……」


 初めて履いてみたスケート靴のしめつけがメルにとってはかなり苦しい。

「そう? 女性もののかかとの高い靴を履いて殿方とダンスをするよりは窮屈じゃないと思うけど」

 対して、毎年このアルフェンカ湖でスケートをしているというウルリカは平気な顔ですいすいと氷の上を進む。


「それとこれとは性質の違う苦しさだと思うんです。とは言え、私は殿方とダンスをしたことはないですが」

「あれ、ジルセウスとダンスとかしてみたことなかったの? 言えば喜んで教えてくれるんじゃないかな」

「……」


 言われてみて、ジルセウスとダンスをしている自分を思い描いてみたが、どうもサマにならないというか、違うような気がする。

「うーん、私にダンスは無理だと思います。というか必要もなさそうですし」

「んー……そっかー……」

 そういって、ウルリカはメルからちょっと距離をとってふわっとジャンプしながら回転する。

 優美な動きだ。

 生まれついての貴族令嬢だからこそ――そういうものを感じさせる。

 メルには同じことはできない。

 だけど、それでいいと思う。


 ジルセウスが求めているのは、貴族の令嬢のように振る舞う自分ではなくて、茉莉花堂のカウンターの奥でドールドレスを作ったり、接客をしたり、お客様のためのお菓子を作ったり、ふとしたときにちょっとばかりがさつなところが出てしまったりする、そんなメルなのだから。





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