冬の湖畔で(その三)




 その日は とてもひどい天候だった。




「おはようございます、ウルリカ様。今日はひどい大雪ですね」

「おはよう、メル。そうだね。今日もスケートしたかったのにな……」


 応接間の大きな硝子窓から外を見ると、大粒の雪が斜めにびゅうびゅうとふきつけていた。がたがたと風で音を立てる窓のそばによると、漏れ出したひんやりとした冷気を感じる。

 さすがにこんな天候の日には出かける気にはなれない。


「今日はここでドール遊びでもしようか、それとも本でも読む?」

「そうですね……では、ドール遊びをしましょうか。私、エヴェリアを連れてきますね」

「それなら、お裁縫道具も持ってきてほしいな。メルがドールドレスを作っているところ、また間近で見たいから」

「わかりました」



「あれ?」

 自分に割り当てられた部屋に戻ってきたメルは、違和感を感じた。

 その違和感の正体はすぐにわかった。

 ……白が、いないのだ。

 ずっと、窓の外から湖を見ていた白が、いなくなっている。

「今朝はいたのに……この吹雪の中、どこにいったんだろ……」

 なんだか少し、不安になる。

 硝子窓の外を見てみるが、そこに白がいるわけもなかった。


「……」


 立ち尽くしていても仕方がないので、メルは裁縫道具の入った箱と適当なはぎれ類などを大きな手提げかばんに入れ、エヴェリアを抱いて部屋を出る。

「白……いなくなったりなんて、してないよね……」

 びゅうびゅうと雪が吹き付ける音が、メルの不安をますますに掻き立てていた。





 応接間に戻ると、メイドたちが敷物を暖炉の前に敷いているところだった。ウルリカはその位置を調整する指示をだしている。


「おかえりメル。さっきユイハとユウハも誘ったんだけどねー、あの二人は今日は図書室で過ごすんだってさ」

 そんなことを言いながら、ふかふかのクッションを抱えてさっそく敷物にごろ寝するウルリカ。

 とてもお行儀が悪いが、彼女がこんなに自由に振る舞えるのもこの夏――結婚式までなのだから、あえて注意することはない。

 ……ウルリカなら奥様と呼ばれるようになっても自由気ままな気もするが、まぁそれはそれである。


「メルとエヴェリアもごろごろしよ? 今お菓子とお茶も用意させてるよ。……メル? ……どうしたの?」

「あ、いえ、なんでもないです」

 メルもエヴェリアを抱いたまま、敷物の上に座る。

「そう? んー……ジルセウスのやつがいないから、元気が無いのかと思ったよ!」

「ごほっ!!」

 メルは思わずむせた。

「だ、大丈夫?」

「ごほっ! ……こほっ……! だ、大丈夫です……ウルリカ様、あまりからかわないでくださいな」

「え、だって、メルたちのところも、進展があったんだろ? なんていうか、二人の間の空気がもう違うもの」

 あっけらかんとウルリカは言ってみせる。


 そしてなおも追及は終わらない。


「冬のはじめぐらいにリヴェルテイア侯爵家の次男坊が家を出た――って噂になったけど、それもメルのためだよね?」

「……多分、そういうことだと思います。私との将来を考えれば、貴族の籍に入ったままでは難しいみたいでしたから……」

「へぇ、へぇ、やるなぁ、あいつも。ちょっとはジルセウスを見直したよ。それで、それで、プロポーズとかされたんでしょ? どうだった? 跪いて誓いの言葉とか言われちゃったの?」

「……跪いたりはされませんでしたね」


 メルは恥ずかしさのあまり、エヴェリアで顔を隠しながらも応える。

 ウルリカも自分のドールを片手でもって、左右に動かしていた。

「そこはあいつらしいなぁ。それじゃ、どういう感じだったの? 後学のためにも教えてほしいなぁ」

「だ、駄目です、内緒ですってば」

「むー……じゃあいいよ、ユウハなら知ってるだろうし、ユウハに聞こうっと」

 その言葉にメルははっとなった。

 ユウハ、そういうえば……。

「……どうしたのその顔……まさか、ユウハにもユイハにもプロポーズのこと知らせてないの?」

 ……メルはこくんとうなづく。


「あのね、メル」

 ウルリカは自分のドールを両手で持ち直して、妙に真剣な顔で言う。

「もしも私がユウハやユイハだったら、そんな大事な事早めに教えてもらえなかったら怒ると思うんだ」

「……ですよね」

「うん、それにあの二人もメルのことが好きなんでしょう?」

「……はい」

「ならなおのこと、早く教えてあげるべきだよ」

「……ですね」



「ほらほら、それじゃあ行っておいでよ!」

「ウルリカ様……」

「行っておいで、あの二人なら図書室にまだ居るはず」

「はい」

 ウルリカに見守られて、メルは応接間を出た。

 目指すは図書室。

 ユイハとユウハ、この二人ときちんと話をしなければいけない。




 図書室には今までも何度か来たことがあるのですぐにたどり着いた。

 重厚な扉の前で、メルは深呼吸をする。

 そして。


「……ユイハ、ユウハ、いる?」

 扉を開きながら、あまり大きくない声で尋ねる。

 この別荘の図書室は、それほど大きなものではない。とはいえ本邸ではなく別荘でこれだけ本を揃えていると考えると充分なものなのだが。

「……いるよ、メル」

「あら、メル」

 ユイハとユウハは、中央の長いテーブルにそれぞれ本を広げて座っていた。

 メルは図書室に他に誰もいないのを確認してから、中にはいった。


「ウルリカ様とドール遊びじゃなかったの?」

「うん……それなんだけど、ユイハとユウハに話したいことがあってね」

「それなら、こっちにきて椅子にかけたらいいわ」

 ユウハの隣の椅子にかけて、しばらく何から話したらいいかと考える。

 ……考えた末、単刀直入に話すのがいいと思った。

「あのね、二人とも、聞いてほしいの」

 二人はその言葉に、本から目を離してメルの方を見た。

「……私ね、ジルにプロポーズされたの。私はそれをお受けした」


 ……暫くの間、それぞれの呼吸の音と、外で雪が吹雪く音だけが図書室に響いていた。


 それを破ったのは、ユウハだった。

「そう、おめでとう、メル。よかったわね」

 感情の感じられない、淡々とした声。


「ユウハ、お前……」

「ユウハ」


「……よかったね、メル……。私は……私はちょっと一人になりたい、頭を冷やしてくるから、外にいってくるね!」

「おい、外って、お前、今日は!」

 テーブルの上の本を残して、慌ただしく図書室を出ていってしまうユイハとユウハ。


「……ごめん、ユウハ、ユイハ」


 その言葉は、二人には届かない。







 ユウハとユイハは、日が暮れても帰ってはこなかった。





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