ほんとうの願い



 楽園のようだった島『夢幻境』が炎に包まれている。

 いや、それは赤い衣装をまとい、赤い薄布を手にした役者達だ。

 リゼッタの演じるキララ姫は、その炎の中を侍女のオユキとともに駆け回る。


「あぁ、あぁ、ああ! 生きている者はおらぬのですか、誰ぞ、返事を!」

 キララ姫は、愛しいひとのすがたを探しているのだ。


 

 キララ姫の婚約者であったシグレ殿と、彼の率いるソウガの国の軍隊がやってきたことで、夢幻境は略奪と殺戮とで、荒れ果ててしまった。

 なぜ、シグレ殿がこの島に来ることができたのか――

 どうも、シグレ殿から贈られたキララ姫の着物には、魔法がほどこされていたらしい。キララ姫がどこにも逃げられないように、居場所を突き止めるたぐいの魔法を。

 ソウガの国の者たちは豊かな夢幻境を見るやいなや、当然のように略奪を始めた。

 平和だった夢幻境の者たちには、戦う力など……なかったのだ。


「私のせいだ、私のせいだ、私のせいで、夢幻境はこのように……! あぁ、愛しいキリヒト公、どこにおいでなのですか! せめてあなたにあいたい!」


 キララ姫は炎から逃げるように、侍女オユキとともに海へと向かう。


 そこに、キリヒト公が居た。

 ……シグレ殿と、剣を交えている。

 

 キララ姫は愛しい人の名前を、叫ぶ。

「キリヒト公!!」


 そのとき、その一瞬だけ、シグレ殿が隙をみせた。

 キリヒト公はそれを見逃さずに――シグレ殿を斬る。


「あぁ、あぁ、キリヒト公、お会いしとうございました」

「私もです、キララ姫」

「キリヒト公、逃げましょう。今ならまだ船もございます」

 しかし、キリヒト公はそれを受け入れない。


「キララ姫――ここは「夢幻境」は、生と死の境にある場所なのです。そしてわたしはここを離れることができぬ身です。それが、我が神との約定」

「キリヒト公……?」

「しかしキララ姫はまだ生者であらせられる。貴女は行きなさい――生きなさい!」


 呆然とするキララ姫。

 キリヒト公はキララ姫と侍女オユキを小さな船に乗せて――





 そこで舞台は一度暗転する。





 ゆっくりと、舞台袖から尼僧が現れる。

 ゆっくりと、ゆっくりと、年老いていることを表す動きで。


「これが、夢幻境のおはなしです――」

 老いた尼僧は、悲しみと苦しみに、舞う。

「私はあのとき、すべてを失った。ふるさとは敵国に滅ぼされた、侍女は海の波にのまれて死んだ、そして愛する人は――」

 尼僧は、とうとう倒れ伏す。

「もう、二度と会えぬ。想いさえ伝えることもできなかった、愛する人。叶うならば、叶うならばもう一度……」


 だんだんと、舞台が暗くなっていく。

 この明かりは、老いた尼僧の命を表しているのだ。


 そして、明かりが完全に落ちる――そのときだ。


「キララ姫、お迎えにあがりました」


 それは……待ち望んだ声。

 愛する人の声。


「……お待ちしておりました、キリヒト公……」


 そして、明かりは完全に落ちた――








 カーテンコールで主人公――すなわちキララ姫役のリゼッタが現れるのは、一番最後ということになっている。

 その間に、舞台袖でリゼッタはメイクを直され、衣装も第一幕のものにかえる。


 初日を無事に終えたのだ。という満足感の中、リゼッタは考えていた。

 なぜ、キララ姫はあのとき、キリヒト公にすがりついても夢幻境に残ることをしなかったのか、なぜ自分一人生き続けたのか、なぜ、なぜ――


 こんなことは初めてだった。

 役の心になりきれない。

 だけど、リゼッタは満足だった。


「リゼッタさん、カーテンコール出てください!」

「えぇ」


 自分とキララ姫は違うのだ――

 

 私は、あなたのようにならないわ、キララ姫。

 私は、私はね、自分に正直に生きるの……それが、本当の願い。



 ゆっくりと、リゼッタは舞台中央に進み出る。

 そこで、優雅にお辞儀をして――可憐に微笑んだ。


 ――それは、まるで赤い薔薇が咲いたかのような微笑みであった。という言葉が、舞劇道楽の大貴族が残した日記にも残されている。




 

「あの日、私の第一幕の衣装を隠したのは――貴女ね?」

 割れんばかりの拍手に手を振って応えながら、リゼッタは自分の左隣――侍女のオユキ役の役者に、ごく小さな声で話しかける。

「……」

 オユキ役の役者は、わずかに苦い顔をした。

 それが充分に答えだった。


「そうね、確かに、私もこの舞劇団にちゃんと馴染もうとしなかったのがよくなかったかもしれないわ。でも、もういいわ。私はこの「夢幻境」の千秋楽が終わったら、舞劇団を辞めるもの」

「どうして……」



「他にやりたいことができたのよ、私、正直に生きるって決めたの。ついさっきね」





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