妖精公
「パラフェルセーナ公爵自らお出ましとは」
穏やかな、落ち着いたベルグラード男爵の声。
彼は地面に刺さった小さなレイピアを丁寧にハンカチで包んで引き抜き、両手で捧げ持って妖精公に差し出す。
妖精公……パラフェルセーナ公爵は、差し出されたそれを小さな手で無造作につかむ。
「お前が遅いからだ、ベルグラード。まったく……“魔薬捜査官”の役目は遊びではないのだぞ」
「重々承知しておりますぞ。パラフェルセーナ公爵」
「あの……ベルグラード男爵、この御方は……」
話が途切れるのを見計らって、メルはおずおずと男爵に尋ねる。
なぜこんな、公爵ともあろうお方が自らこのようなところにいるのかと。
それに応えたのは、男爵ではなく意外にも公爵そのひとだった。
「不思議そうだな金髪の小娘。なぜ――公爵でありピシュアーの偉大なる女王とも呼ばれる私がこのようなところにいるか。それはだな――」
「パラフェルセーナ公爵こそが我ら“魔薬捜査官”の総取締役、なのだよ」
「ベルグラード……貴様、人のセリフを取るでないわ!」
「……さて、事件の後には大掃除……後始末が必要だな」
気を取り直したパラフェルセーナ公爵は、オオムラサキの翅でひらりひらりと優雅にゼローアの方に飛んでいく。抜身のレイピアを構えたままで。
「さて……“教団”の暗殺者よ」
眼帯に覆われていないパラフェルセーナ公爵の左の瞳は、ぎろりと鋭い刃のようにゼローアを睨む。
だが、ゼローアはそれを真っ向から受け止める。
「暗殺者ではありません。今は、従者をしております」
「は、よくもまぁ、そのように言えたものだな……」
「俺はリゼッタ・シスネ・グリフォスさまの従者です」
「……」
「……」
そのまま少しの間だけ、ゼローアとパラフェルセーナ公爵は睨み合う。いや、公爵が睨んで、ゼローアはそれを表情無く受け止めていただけというのが正しいだろう。
やがて、ベルグラード男爵が少し諌めるような口調で、割って入った。
「パラフェルセーナ公爵、落ち着かれませ。彼もまた、例の“魔薬”に人生を壊された者といえましょう。我らが救済すべき存在です」
「……っ……わかっている……わかっているさ」
パラフェルセーナ公爵は胸の痛いところをつかれたように、はっとした顔になり、それから、少しだけ覇気の欠けた様子で、そう呟いた。
もしかしたら……。
メルは思う。
パラフェルセーナ公爵、この方も、あの“魔薬”によって人生を壊されている――
あるいは大切な人を、思い出を、失っているのではないか。
なんとなくだが、そう思った。
「おい暗殺者」
気を取り直したらしいパラフェルセーナ公爵が、今度はゼローアの頭上でひらひらと舞うように飛ぶ。
「だから暗殺者ではありません」
「ならばグリフォス家の従者と呼ぼうではないか。……お前は、我らとの取引に応じるつもりはあるか?」
「取引?」
ゼローアは怪訝な顔で、首をかしげる。
「そう、取引だ。お前は“教団”の情報を我々に提供する。お前はその見返りを受け取れる。情報次第だが、大抵の望みは叶えてやろう。何が望みだ、金か?」
「……!」
「さぁ、取引に応じるが良い」
「……なんでも叶えてくださるのですね」
「甘く見るな、私はこの国の公爵にしてピシュアーの女王であるぞ」
「それでしたら――この舞台……『夢幻境』を千秋楽まで、なんの問題もなく、公演を続けられるようにしてほしいのです。舞劇団の有力出資者が魔薬を取引していたなどという、そんな話を表沙汰にすることもなく、千秋楽までこの舞台を」
それを聞いたパラフェルセーナ公爵は不愉快そうに吐き捨てた。
「甘く見るな、私はこの国の公爵にしてピシュアーの女王であるぞ。……そのようなことは容易いわ!」
メルは思わず駆け出して、ゼローアを抱きしめる。
「ゼローア! よかった、本当によかった!」
「メルレーテさん! ……って、痛いです痛いです痛いです! なんでそんなに力が強いんですか!!」
後日……ゼローアから聞いたところによると、このときユイハとユウハが武器を構え、ジルセウスが冷ややかに微笑んでいたので、妖精公爵に睨まれたとき以上に身の危険を感じたらしい。
「さて、お前たち……遊んでいる場合ではないぞ。時間的に、舞劇「夢幻境」はそろそろ終幕だろう」
「え、もうそんなに時間が……」
「まずい、見ていなかったとお嬢様におしかりを受ける……」
そこで、妖精公爵がにかっと歯を見せて笑った。
「サービスだ! お前たちをパラフェルセーナ家の持つ特別席に案内しようではないか!」
パラフェルセーナ公爵家専用だというその特別席は意外に広く、椅子が何脚か、そして当然というべきか、公爵やその身内のためだろう小さなテーブルと椅子があった。
「好きなところに座れ」
と、公爵が言ったので、ゼローアに一番前の椅子を譲り、メルとジルセウスはその後ろの椅子、ユイハとユウハがさらにその後ろの椅子に座った。
「リゼッタお嬢様……」
舞台上で優雅に舞い、喝采を受ける主人の姿を見守るゼローア。
「そんなに想っているのならば、伝えればよいだろうに」
パラフェルセーナ公爵がとんでもないことを口にする。
手にはいつの間にか、赤い葡萄酒の入った小さなワイングラス。酔っているのかもしれない。
「……俺は、これで良いんです」
「エアルトと人間ならば、子も成せるだろうに」
「……これでいいんです、俺は、裏方ってやつでいい。お嬢様のお相手をするのは、ヒロインとともに舞って喝采を受けるのは、いつだって王子です」
「そうか」
そういって、公爵は赤葡萄酒を一気にあおる。
メルとジルセウスは……それを聞きながら、いつしか手を握りあっていた。
この手を、絶対に離すまいと、お互いに、強く、強く。
……メルは知らない。
それを後ろから見ていたユイハとユウハが、とても、とても、悲しい顔をしていたことなど。
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